未唯への手紙

未唯への手紙

聖書の成立 「知恵」の高まり

2014年05月08日 | 1.私
「旧約聖書」100分で名著 より 聖書の成立 ペルシア帝国による権威づけ

そこで、第二段階が生じます。

ペルシア帝国滅亡の後も「律法」の権威が維持されることになった最大の理由は、「知恵」の問題に対処するのに「律法」が絶大な効力をもったからだ、と考えられます。

「知恵」とは、「考える力」のことです。誰にでも、多かれ少なかれ「知恵」の能力があります。言葉を用いて、明確に、そして論理的に思考することこそが「考える」ということだとするような傾向がありますが、こうした立場は人間の考える能力のうち「理性」の働きを重視し過ぎています。人間は理性を用いて論理的に考えるだけではありません。

日本語には「念じる」という言葉があります。人間は、言葉を用いて考えるだけでなく、言葉にできないようなことも考えています。「念じる」は、人間の思考のこうした広がりもカバーしてくれるように思われます。「念じる」といったことも含めた人間の思考能力が、「知恵」です。

「知恵」の働きは結局のところ、「判断」に結びつきます。原始人でも「知恵」を用いて考えます。手に入れた珍しい果実を、食べてよいかどうか考えます。珍iしい果実の場合、経験がないので、判断のためのしっかりした根拠がありません。根拠がなくても、人間は判断できます。「食べてよい」と判断すれば、食べるという行為が行われます。「食べてはならない」と判断すれば、その果実を捨てます。

また人間は学習によって、「知恵」の能力を高めることができます。珍しい果実を食べた者がその場で死ぬと、この新しい情報が根拠になって、「この果実は食べると死ぬ、だから食べてはならない」という知恵がつきます。

古代の一般の人々の知恵の能力は、かなり低いものだったとまずは考えるべきです。「原始」の状態からなんとか抜け出して、暗中模索で「文明」を作っているのが古代です。ある程度以上の社会組織ができますが、初期の頃は、少数の傑出した指導者が、知恵のレペルの低い者たちの集団を何とかまとめて、生き延びるのがやっとといった状態です。

ユダヤ民族の場合、ある程度以上の判断ができるのは、王を中心にした将軍や役人、宗教的指導者である祭司たちといった人々だけでした。民衆から時々、傑出した者が現れると、「預言者」(神から特別な能力を与えられた者)ということになります。

しかし時代が進むにしたがって、人々の「知恵」のレペルが高くなってきます。帝国支配が生じて、広い範囲の平和がかなり安定的に実現したこと、諸文明の高い文化に接する機会があれこれとあったこと、が重要です。特に前六世紀の「バビロン捕囚」において、ユダヤ人たちが、バビロニア帝国の首都バビロンの近くにとどめ置かれ、労役などのために首都に行く機会がかなりあったらしいことは、大きな意味をもったと思われます。

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