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ロスアラモスの物理学者

『ご冗談でしょうファインマンさん』より 下から見たロスアラモス

僕もはじめはほんの下っ端だったが、後でグループのリーダーになり、しかも実に偉い人たちに何人か会うことができた。あれだけのすばらしい物理学者に会うことができたのは、僕の生涯を通じて最も豊かな経験だったと思う。

その中にはあのエンリコ・フェルミもいた。ロスアラモスで困難があれば、その相談にのって助力するという役目をおびて、フェルミはシカゴからやってきた。その彼をまじえて会議が開かれた。僕はずっと計算の仕事をしていて、かなりの結果も出していたのだが、この計算は非常に複雑でわかりにくいものだった。普通なら答がだいたいどのようなのかを予言したり、出た答についてなぜそうなったのかを説明するのは僕の得意とするところなのだ。ところがこのときの計算だけは複雑すぎて、さすがの僕もどうして答がそうなるのか説明できなかった。

とりあえず僕はフェルミに今やっている問題を話し、その結果を説明しはじめると、フェルミは「ちょっと待った。君が結論を言う前にちょっと考えさせてくれたまえ。多分こういう風な答が出るだろうと思うね(その通りだった)。そのわけはこうこうだ。そしてこれにはわかりきった説明もつくよ。」

これにはおどろいた。フェルミは僕のお株をすっかり奪ってしまったのだ。奪ったどころか数倍もうわてである。これは僕にとって非常に良い薬になった。

また大数学者ジョン・フォン・ノイマンもいた。僕たちは日曜になると散歩に出かけては、峡谷深く分け入ったりしたものだったが、これにはよくベーテや、ボプ・バッカーもついてきて、ほんとうに楽しかった。このとき、我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない、という面白い考え方を僕の頭に吹きこんだのがフォン・ノイマンである。このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は「社会的無責任感」を強く感じるようになったのだ。それ以来というもの、僕はとても幸福な男になってしまった。僕のこの「積極的無責任さ」の種はフォン・ノイマンが播いたのである。

ここで僕はニールス・ボーアにも会った。その頃ニコラス・ベイカーという名で知られていた彼は、息子のジム・ベイカー(ジムの名もほんとうはオーガ・ボーアというものだ)と二人で、ロスアラモスにやってきた。知っての通り、彼らはデンマークから来た有名な物理学者たちだ。いわゆる物理の大御所にとってすら、ボーアといえば神様のようなものだったのだ。ボーアが来て最初の会議では、誰もがかの有名なボーアを一目見たいと思っていたから、出席者はいつになく多かった。中心議題は原爆の問題だった。僕は後ろの隅に座っていたので、ボーアが入ってきたときと、出ていったとき、人の頭の間からその姿がちらりと見えただけだった。

次にまたボーアが来ることになった日の朝、僕に電話がかかってきた。

 「もしもし、ファィンマンかね?」

 「はあ。」

「こちらはジム・ベィカーだが、おやじと僕とで君と話がしたいんだが…・・・」相手はボーアの息子だ。

 「え? 僕にですか? 僕はファインマンといいまして、ただの……」

 「その通り。八時ならいいかね?」

というわけで僕はみんなが起き出す前の朝八時に、約束の場所に出かけていった。技術関係の事務所に入ると、ボーアが口を切った。

 「僕らはずっと原爆の効率をもっと上げる方法を考えてきたんだが、次のような考えがある……かくかくしかじかだ。」

「だめだ、だめだ。そんなものはうまくいくはずがない。ぜんぜん効率が悪いですよ」とばかり僕がまくしたてると、彼が「これこれではどうかね?」と言う。

「その方がまだましですね。しかしそれにはこのおよそ下らんアイデアが入っていますよ。」といった調子で二時間ぐらい、いろいろな考えをぶっつけ合い、口角泡をとばして議論を闘わした。あの大ニールスは、一所懸命パイプに火をつけるのだが、そのたんびに消えてしまう。しかもむにゃむにゃ言う彼の話し方ときた日には、わかりにくいことおびただしい。息子の方はおやじよりはまだましだった。

最後に「さてと」とニールスがパイプにまた火をつけながら言った。「これでお偉方を呼びいれるとするか。」こうして彼らは他の連中を呼びいれて、全員での話合いとなったのだった。

ことの次第はあとでニールスの息子から聞いた。前にロスアラモスに来たとき、ニールスは息子に向って、「後ろの方に座っているあの若者の名前を覚えてるかな? 僕をおそれず僕の考えが無茶なら無茶だと平気で言えるのは、あいつだけだ。この次にまた、いろいろな考えを論じるときには、何を言っても「はいはいボーア博士、ごもっともです」としか言わない連中と話したって無駄だ。まずあの男をつかまえて先に話をしてからにしよう。」

僕はいつもそういった意味では間抜けだったのだ。話す相手が誰であるかなど、ついぞ気にしたことがない。僕の関心があるのは、いつも物理学そのものだけだ。だから誰かの考えがお粗末だと思えばお粗末だと言うし、よさそうならよさそうだと言うだけの話で、いとも簡単だ。

僕はいつもこういう生き方をしてきた。誰でもそれができれば、たいへん楽しい生涯が送れるはずだ。こういった生き方のできる僕は、実に幸せな男と言わねばなるまい。

さて原爆エネルギーの計算がすむと、次の段階はむろん爆発実験だ。家内の死後、短い休暇をとって家に帰っていた僕のところに「○月○日赤ん坊出産の予定」という知らせが来た。

僕は急進ロスアラモスにとんだ。僕が着くのと、実験地点行きのバスが出るのとが、ほとんど同時だったので、僕はそのまま実験地点へ直行することになった。爆発地点から二〇マイル離れたところで僕たちは待機した。無線装置を通して、何時何分の爆発実験の始まりから逐次その経過を伝えてくるはずだったのに、肝心の無線が故障ときて、何事が起こっているのかさっぱりわからない。ところが爆発のほんの数分前にこの無線が急に聞こえはじめ、僕たちのように遠くの地点にいる者には、あと二〇秒くらいだと伝えてきた。もっと近く、六マイルの地点にいた者もあった。

全員に黒眼鏡が配られていた。黒眼鏡とは驚いた! 二〇マイルも離れていては黒眼鏡ごしでは何も見えるわけがない。僕は実際に目を害するのは紫外線だけだろうと考え(いくらまぶしいからといって明るい光が眼を害することはない)、トラックの窓ガラスの後ろから見ることにした。ガラスは紫外線を通さないから安全だし、問題のそいつが爆発するのがこの目で見えようというもんだ。

ついにそのときが来た。ものすごい閃光がひらめき、その眩しさに僕は思わず身を伏せてしまった。トラックの床に紫色のまだらが見えた。「これは爆発そのものの像じゃない。残像だ!」そう言って頭をあげると、白い光が黄色に変ってゆき、ついにはオレンジ色になった。雲がもくもく湧いてはまた消えてゆく。衝撃波の圧縮と膨張によるものだ。

そしてその真ん中から眩しい光をだす大きなオレンジ色の球がだんだん上昇を始め、少し拡がりながら周囲が黒くなってきた。そしてそのうち、消えてゆく火が中でひらめいている、巨大な黒い煙の固まりに変っていった。

だがこのすべては、ほんの一分ほどのできごとだったのだ。すさまじい閃光から暗黒へとつながる一連のできごとだった。そして僕はこの目でそれを見たのだ! この第一回卜リニティ実験を肉眼で見たのはおそらく僕一人だろう。他の連中は皆黒眼鏡をかけてはいたし、六マイルの地点にいた者は床に伏せろと言われたから、結局何も見てはいなかった。おそらく人間の眼でじかにこの爆発実験を見た者は僕のほか誰一人いなかったと思う。

そして一分半もたった頃か、突然ドカーンという大音響が聞こえた。それから雷みたいなゴロゴロという地ひびきがしてきた。そしてこの音を聞いたとき、僕ははじめて納得がいったのだった。それまではみんな声をのんで見ていたが、この音で一同ほうっと息をついた。ことにこの遠くからの音の確実さが、爆弾の成功を意味しただけに、僕の感じた解放感は大きかった。

「あれはいったい何です?」と僕の横に立っている男が言った。

「あれが原子爆弾だよ」と僕は言った。これがウィリアム・ローレンスという男で、この実験の実況を記事にするために来ていたのだ。僕が彼を案内する係だったのだが、彼が理解するには、すべてがあまりに専門的すぎるということがわかったので、あとになってH・D・スミスという人が代りにやってきたのを案内することになったのだった。僕は彼をある部屋に連れていき、幅の狭い台の端にのった銀メッキの球体を見せた。手をのせてみると暖かい。放射能の暖かみだ。この球こそプルトニウムだった。ドアのところで僕らはこれを話題にしゃべっていた。これこそ人間の手で造られた新しい元素、おそらく地球の誕生直後のほんの短期間を除いては、今まで地球に存在したことのない元素なのだ。それがここにこうして隔離され、放射能を放ちながらその特性をちゃんと持って存在しているのだ。しかも僕たちがこの手でこれを造りだしたのである。だからこそ測り知れない価値があるのだ。
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