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資本主義経済の根源的な問題

『本当はもっとよくなるニッポンの未来』より 資本主義と民主主義を超えて

ソ連や東欧諸国などの共産圏が崩壊して以降、資本主義こそすばらしい経済システムであると思っている人が多いようだ。

しかし、本当にそうだろうか。資本主義の考え方では、資本家と労働者、強者と弱者、持てる者と持たざる者とは、はっきりと分ける。強い者はより強く、弱い者はより弱くなっていく危険性を資本主義ははらんでいる。

そもそも資本主義とは何だろうか。

日本の高校生用の教科書では「商品を生産するには、人手と機械、資金(資本)が必要である。経営者はそれらを利用して企業を組織し、事業を行なう。このうち、資金を提供した人が企業の所有者になり、事業から生じた利潤を得る」などと説明されているようだ。あるいは「生産手段を持つ資本家が生産手段を持たない労働者を雇用して、生産を行なう。そして、利潤を目標とする企業間の自由競争が行なわれる」などという説明もある。

私の理解では、資本主義とは、単純にいえば、次のようになる。ものを作るためには、資本(お金)と工場などを建てるための土地、原材料、労働力が必要である。そこで作り上げられたものを売って利益を得る。その利益は、資本家と地主が大部分を取り、材料費を引いた残りを労働者が受け取る。資本と土地がものを生産する上で最も重要であるからだ。

……一般的にも、こうした理解で間違いないだろう。この理解でいうと、お金や土地を持つ人北金持ちがいかにして儲けるかが、資本主義の意義になる。その際、労働力はそのための道具にすぎない。必要なら買い(雇い)、不要になれば手放す(解雇する)。そのような存在である。資本主義は人口の大部分を占める労働者階級に厳しく、一握りの資本家や地主に甘い。かなり偏ったあり方だ。もっといえば、資本主義は金持ちのための哲学なのだ。

それにしても、私は資本主義という経済体制で引っかかる部分がある。それは「利益は、資本家と地主が大部分を取り、材料費を引いた残りを労働者が受け取る。資本と土地がものを生産する上で最も重要である」という箇所だ。

労働力と原材料を抜きにして、ものをつくることはできない。ものをつくるには、原材料と労働力も必要であるはずだ。お金だけから、土地だけから、あるいは、お金と土地だけから、ものがつくられるなど、ありえないことだ。労働者を蔑ろにして、資本家(金持ち)と地主を特別扱いするのはおかしいだろう。

資本主義経済はイギリスで始まった産業革命とその拡張によって世界に広まった。草創期には、悲惨なことも数多くあった。

たとえば、19世紀半ばのイギリス・リバプールの労働者の平均寿命は15歳ほどだったようだ。一方、同時期のリバプールの知識層とジェントリー地主の平均寿命は35歳。20歳もの隔たりがある。同時期のイギリスの農村地帯では、いずれの層もリバプールより高い。

当時のリバプールの労働者の平均寿命が非常に短かったのは、極めて長時間の労働、劣悪な労働環境、多発する事故、ひどい大気汚染などが原因だろう。このことは、産業が興り、経済が発展することで、不幸になった人たちが大勢いたことも示している。最先端の工業都市の住民より、農村に住む人のほうが豊かな暮らしを送れていたのかもしれない。

19世紀半ばのイギリスと21世紀初頭の日本とでは、もちろん状況などがかなり違う。しかし、大多数を占める庶民にとって、資本主義がさはどよい仕組みではないのは、現代も同じではないだろうか。少なくとも最善の仕組みでないように思える。

昨今は、いわゆるーノラック企業・が問題になっている。長時間労働や過剰なノルマを課すなどして、労働者を酷使する。辞められても代わりはいくらでもいるとばかりに、無理難題を押しつける。そういう企業=ブラック企業が増えているようだ。労働者にとっての惨状は、今も新しい問題なのだ。

私は資本主義経済を全否定するつもりなど、まったくない。しかし一方、全肯定するつもりも、同様にまったくない。資本主義経済が暴走しないか、そのことには、常に気をつけて見ていたいと思っている。
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