未唯への手紙
未唯への手紙
グローバルなIT産業とアメリカ多国籍企業
『現代アメリカ経済史』より 21世紀のアメリカ多国籍企業--2000年代以降
アメリカIT多国籍企業の新たな企業モデル
21世紀のグローバルなIT産業では、アメリカ多国籍企業が寡占的に支配する産業構造を形成してきた。しかも、このアメリカ多国籍企業は、1980年代から90年代にかけて台頭した新しい企業モデルであった。表12-2が示すように2006年のグローバルなIT産業構造のなかでアメリカ多国籍企業の新しい企業モデルは、3つのタイプの新しい企業モデルに分類できる。しかも、これらの新しい企業モデルは、20世紀初頭に台頭した大規模な統合企業という企業モデルとは根本的に異なる企業モデルであった。
まず第1の企業モデルは、1980年代にPC/WS(パソコン/ワークステーション)事業分野のソフトウェアの専業企業群、半導体の専業企業群、PC/WS/通信機器の開発・製造・販売の専業企業群、ITサービスの専業企業が台頭し、寡占化した企業モデルであった。ソフトウェアの専業企業は、マイクロソフト社、オラクル社、シマンテック/ペリタス社などの寡占的な専業企業群であり、半導体の専業企業モデルは、インテル社、テキサス・インスツルメンツ社、AMD社、PC/WS/通信機器の開発・製造・販売の専業では、デル・コンピュータ社、アップル社など寡占的な専業企業祥であった。
第2の企業モデルは、1990年代中頃以降、インターネットの普及とともに電子商取引(eビジネス)や情報配信サービスを供給し始めた新しい企業モデルが台頭し、急速に寡占化した企業モデルである。アマゾン、グーグル、ヤフー、イーペイ社などのeビジネス、インターネット企業群である。アマゾンは、インターネット経由で書籍やエレクトロニクス製品等の販売を開始したeビジネスであり、グーグルは、インターネット上で検索サービス、位置(マップ)検索サービスなど情報配信サービスを供給し始めたインターネット企業である。両社は、ともに世界初のeビジネス、インターネット企業という新しい企業モデルであった。
この新しい企業モデルでは、21世紀に入ると、高速通信網とモバイル通信網、スマートフォン、クラウド技術を基礎にフェイスブック社などのようなSNSや、さまざまな情報配信サービスが展開され始めた。
これらのサービスはインターネット上のアプリケーション(app ; アプリ)から入手可能となり、アプリを使ってさまざまな情報配信サービスを行う企業モデル、たとえば、ウーバー社(Uber ; 配車サービス)やエアB&B社(宿泊予約サービス)が登場した。こうした企業モデルを基礎にした経済は、プラットフォーム・エコノミー(platform economy)と呼ばれている。
脱製造業をめざすアメリカIT多国籍企業
第3の企業モデルは、これらの新しい企業モデルから挑戦を受けた汎用機メーカーである大規模な統合企業であった。 1980年代にIBMやDECなど汎用機メーカーの大規模な統合企業は、上述の新しい企業モデルに対抗した。しかしながら同時に、グローバルに台頭してきた日本の多国籍企業や韓国、台湾、インドなどアジア企業との国際競争に対抗する必要にも迫られた。このためIBMやヒューレット・パッカード(HP)社などの大規模な統合企業は、製造やサービスのオフショア・アウトソーシング戦略を活用して台頭するアジアの製造請負企業との国際分業関係を形成しながら競争優位を維持した。
大規模な統合企業であったIBMは、1980年代に停滞し続ける主力の汎用機事業部門を縮小しつつ、パソコンやIT機器・システム、エレクトロニクス事業の製造をアジア企業にオフショアリングし、製品開発、設計、マーケティングに経営資源を集中した。さらに、IBMは、 1990年代から21世紀にかけて製造事業からも撤退し始め、ソフトウェア事業、サービス事業への脱製造事業の方向を求めて、その割合を高めてきた。
そして2005年、IBMは、パソコン事業を中国のレノボ社に売却し、撤退した。さらに、2008年、 IBMは、インド子会社の従業員数を8万4000人、また、中国子会社の従業員を1万6000人に増大し、IBMの全従業員の72%を国外とした。こうしてIBMの2008年度の事業収入の構成は、サービス事業収入57%とソフトウェア事業収入21%だけで全収入額(1030億ドル)の78%を占めた。 20世紀の大規模な統合企業であったIBMもまた、21世紀には法人向けサービス事業の脱製造事業をめざしたのである。
おわりに
20世紀初めに台頭した大規模な統合企業は、1950年代から60年代にかけて経営者資本主義としてアメリカに広く普及したが、80年代になると国際競争力を強化した日本とヨーロッパの大企業との企業間競争に直面して、リストラクチャリングを開始した。コンピュータ産業では、ME革命の進展とともにマイクロソフトやインテル、コンパックなど専業企業という新しい企業モデルが台頭し、IBMやDECなど大規模な統合企業は、経営危機に陥った。
1990年代になると、冷戦構造の崩壊と新自由主義の浸透、IT革命とインターネットの普及とともにアマゾンやヤフー、グーグルなどeビジネスやインターネット企業が台頭し、大規模な統合企業のなかにはやはり経営危機に陥るものも現れた。また,」990年代になるとIT産業においてオフショア・アウトソーシングが普及し、韓国、台湾、インド、中国などアジア汀大企業が台頭した。アメリカ汀多国籍企業は、彼らとの間に新たな国際分業関係を形成し、日本とヨーロッパの多国籍企業に対抗した。
21世紀は、こうした国際分業関係の展開の時代となった。アメリカIT多国籍企業は、このオフショア・アウトソーシングを大規模に南アジア、東アジア、東南アジア地域で展開してきた。このオフショア・アウトソーシングこそ、アメリカ汀多国籍企業が、グローバルに大規模に展開する製造工場・施設や事務所および従業員を再編成する形態であった。
しかしながら、アメリカIT多国籍企業のオフショア・アウトソーシングの展開は、アメリカ本国の製造工場・施設で働く工場労働者(ブルーカラー労働者)のみならず、事務所や営業所で働く管理者や技術者、事務労働者(ホワイトカラー労働者)の職種を新興国の工場・施設や事務所に移転することを意味した。それゆえ、アメリカIT多国籍企業のオフショア・アウトソーシングは、アメリカ本国のIT産業のホワイトカラー労働者、ブルーカラー労儒者の職種の喪失と雇用の不安定性を高め、彼らの賃金低下をもたらした。そのことが、アメリカ本国における所得格差の拡大につながってゆく。
アメリカIT多国籍企業の新たな企業モデル
21世紀のグローバルなIT産業では、アメリカ多国籍企業が寡占的に支配する産業構造を形成してきた。しかも、このアメリカ多国籍企業は、1980年代から90年代にかけて台頭した新しい企業モデルであった。表12-2が示すように2006年のグローバルなIT産業構造のなかでアメリカ多国籍企業の新しい企業モデルは、3つのタイプの新しい企業モデルに分類できる。しかも、これらの新しい企業モデルは、20世紀初頭に台頭した大規模な統合企業という企業モデルとは根本的に異なる企業モデルであった。
まず第1の企業モデルは、1980年代にPC/WS(パソコン/ワークステーション)事業分野のソフトウェアの専業企業群、半導体の専業企業群、PC/WS/通信機器の開発・製造・販売の専業企業群、ITサービスの専業企業が台頭し、寡占化した企業モデルであった。ソフトウェアの専業企業は、マイクロソフト社、オラクル社、シマンテック/ペリタス社などの寡占的な専業企業群であり、半導体の専業企業モデルは、インテル社、テキサス・インスツルメンツ社、AMD社、PC/WS/通信機器の開発・製造・販売の専業では、デル・コンピュータ社、アップル社など寡占的な専業企業祥であった。
第2の企業モデルは、1990年代中頃以降、インターネットの普及とともに電子商取引(eビジネス)や情報配信サービスを供給し始めた新しい企業モデルが台頭し、急速に寡占化した企業モデルである。アマゾン、グーグル、ヤフー、イーペイ社などのeビジネス、インターネット企業群である。アマゾンは、インターネット経由で書籍やエレクトロニクス製品等の販売を開始したeビジネスであり、グーグルは、インターネット上で検索サービス、位置(マップ)検索サービスなど情報配信サービスを供給し始めたインターネット企業である。両社は、ともに世界初のeビジネス、インターネット企業という新しい企業モデルであった。
この新しい企業モデルでは、21世紀に入ると、高速通信網とモバイル通信網、スマートフォン、クラウド技術を基礎にフェイスブック社などのようなSNSや、さまざまな情報配信サービスが展開され始めた。
これらのサービスはインターネット上のアプリケーション(app ; アプリ)から入手可能となり、アプリを使ってさまざまな情報配信サービスを行う企業モデル、たとえば、ウーバー社(Uber ; 配車サービス)やエアB&B社(宿泊予約サービス)が登場した。こうした企業モデルを基礎にした経済は、プラットフォーム・エコノミー(platform economy)と呼ばれている。
脱製造業をめざすアメリカIT多国籍企業
第3の企業モデルは、これらの新しい企業モデルから挑戦を受けた汎用機メーカーである大規模な統合企業であった。 1980年代にIBMやDECなど汎用機メーカーの大規模な統合企業は、上述の新しい企業モデルに対抗した。しかしながら同時に、グローバルに台頭してきた日本の多国籍企業や韓国、台湾、インドなどアジア企業との国際競争に対抗する必要にも迫られた。このためIBMやヒューレット・パッカード(HP)社などの大規模な統合企業は、製造やサービスのオフショア・アウトソーシング戦略を活用して台頭するアジアの製造請負企業との国際分業関係を形成しながら競争優位を維持した。
大規模な統合企業であったIBMは、1980年代に停滞し続ける主力の汎用機事業部門を縮小しつつ、パソコンやIT機器・システム、エレクトロニクス事業の製造をアジア企業にオフショアリングし、製品開発、設計、マーケティングに経営資源を集中した。さらに、IBMは、 1990年代から21世紀にかけて製造事業からも撤退し始め、ソフトウェア事業、サービス事業への脱製造事業の方向を求めて、その割合を高めてきた。
そして2005年、IBMは、パソコン事業を中国のレノボ社に売却し、撤退した。さらに、2008年、 IBMは、インド子会社の従業員数を8万4000人、また、中国子会社の従業員を1万6000人に増大し、IBMの全従業員の72%を国外とした。こうしてIBMの2008年度の事業収入の構成は、サービス事業収入57%とソフトウェア事業収入21%だけで全収入額(1030億ドル)の78%を占めた。 20世紀の大規模な統合企業であったIBMもまた、21世紀には法人向けサービス事業の脱製造事業をめざしたのである。
おわりに
20世紀初めに台頭した大規模な統合企業は、1950年代から60年代にかけて経営者資本主義としてアメリカに広く普及したが、80年代になると国際競争力を強化した日本とヨーロッパの大企業との企業間競争に直面して、リストラクチャリングを開始した。コンピュータ産業では、ME革命の進展とともにマイクロソフトやインテル、コンパックなど専業企業という新しい企業モデルが台頭し、IBMやDECなど大規模な統合企業は、経営危機に陥った。
1990年代になると、冷戦構造の崩壊と新自由主義の浸透、IT革命とインターネットの普及とともにアマゾンやヤフー、グーグルなどeビジネスやインターネット企業が台頭し、大規模な統合企業のなかにはやはり経営危機に陥るものも現れた。また,」990年代になるとIT産業においてオフショア・アウトソーシングが普及し、韓国、台湾、インド、中国などアジア汀大企業が台頭した。アメリカ汀多国籍企業は、彼らとの間に新たな国際分業関係を形成し、日本とヨーロッパの多国籍企業に対抗した。
21世紀は、こうした国際分業関係の展開の時代となった。アメリカIT多国籍企業は、このオフショア・アウトソーシングを大規模に南アジア、東アジア、東南アジア地域で展開してきた。このオフショア・アウトソーシングこそ、アメリカ汀多国籍企業が、グローバルに大規模に展開する製造工場・施設や事務所および従業員を再編成する形態であった。
しかしながら、アメリカIT多国籍企業のオフショア・アウトソーシングの展開は、アメリカ本国の製造工場・施設で働く工場労働者(ブルーカラー労働者)のみならず、事務所や営業所で働く管理者や技術者、事務労働者(ホワイトカラー労働者)の職種を新興国の工場・施設や事務所に移転することを意味した。それゆえ、アメリカIT多国籍企業のオフショア・アウトソーシングは、アメリカ本国のIT産業のホワイトカラー労働者、ブルーカラー労儒者の職種の喪失と雇用の不安定性を高め、彼らの賃金低下をもたらした。そのことが、アメリカ本国における所得格差の拡大につながってゆく。
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