未唯への手紙
未唯への手紙
ハイエクの貨幣民営化論
『マクロ経済学』より
消費税は景気を悪化させるか
消費税率の引き上げをめぐって、政治の場では激しい議論が行われました。消費税増税に反対する人たちは、増税をすれば景気に悪影響が出ることを懸念しています。本文中で説明した簡単なマクロモデルでも、増税が景気に悪影響が及ぶことを確認することができます。増税は一般に消費を抑制します。消費が抑えられれば、乗数効果を通じて、経済全体の生産や所得水準も下がるからです。
ただ、現実はそう簡単でもありません。スウェーデンやデンマークの北欧諸国のように、消費税率が25%前後という国もあります。これらの国のほうが、日本よりも所得水準も高いし、経済成長率も高くなっています。消費税率が高いほど経済は停滞するというのは、国際比較で見るかぎりはどうも正しくないようです。
消費税の税収が何に使われるのか、そして消費税も含む税体系全体がどうなっているのかなどによって、経済への影響も大きく異なります。北欧諸国では税負担は重いのですが、その税を利用して手厚い社会保障制度が運営されています。消費税率は高いのですが、その分法人税率を引き下げ、経済活力の維持には配慮した税制になっています。
また、潤沢な税収をもとに手厚い労働者保護制度が確立しているので、企業は従業員の解雇などを柔軟に行っているようです。日本のように企業に雇用維持を強く求めるのではなく、社会全体として労働者を守る制度が確立しており、その分企業に過度な雇用維持責任を押し付けないのです。こうした制度が、北欧の企業の国際競争力を高める結果になっています。
消費税率の引き上げを議論するとき、目先の景気に対する影響と、長期にわたる経済への影響を区別しなくてはいけません。税制の改正は長期的な経済のあり方を決めるものであり、短期的な視野に縛られてはいけないのです、
貨幣民営化論
貨幣は政府や中央銀行などの公的機関が供給するものです。これが世間の常識ですし、現実もそうなっています。しかし自由主義の騎手であるフリードリヒ・ハイエクは、この常識に挑戦し、民間企業が貨幣を発行することのメリットを説きました。貨幣民営化論です。
ハイエクによれば、政府が貨幣発行権を独占的に持つことは国民の利益になりません。政府はつねに貨幣の増発によって財政赤字を埋めようとする誘因をもっているからです。現実にも、過去に多くの国で貨幣が過剰に発行されて深刻なインフレが起き、国民は大きな被害に遭いました。
もし民間企業が貨幣を発行することが可能になれば、複数の民間企業の間で貨幣発行の競争が起きます。深刻なインフレ(つまり貨幣の価値低下)を起こすような貨幣は利用されないでしょう。貨幣発行競争によって、価値が下がらない貨幣、あるいは利子やポイントをつけるような貨幣が選ばれるようになるでしょう。ハイエクはこうした複数の貨幣の間の競争の重要性を説いたのです。
50年以上前にハイエクの議論が出されたとき、多くの人は民間貨幣のイメージを持つことはできなかったでしょう。
しかし、現代社会では、完全な貨幣ではないものの、擬似的な形のさまざまな貨幣が民間企業によって発行されています。その代表的なものが電子マネーです。Suica、楽天Edy、WAON、nanacoなど、さまざまな電子マネーが発行され、そして競争を展開しています。これらの電子マネーはまだ限定された店でしか使えませんが、利用できる店は確実に増えています。利用できる店が増えるほど、電子マネーは現金と同じようにどこでも通用する貨幣的性格をより強く持つようになります。電子マネー以外でも、さまざまな形態の貨幣的サービスが提供されています。クレジットカードなども、貯めたポイントでさまざまなサービス提供することで顧客を引きつけようとしています。もっとも、クレジットカードは貨幣を補助するものにすぎませんので、民間貨幣とはいえませんが。
ネズミ講の構造
ネズミ講というものを知っていますか。仲間をつのって1万円ずつ集めます。そして仲間にこういうのです。あなたの子供(もちろん本当の子供という意味ではなく新たな仲間という意味)を3人集めてください。それぞれから1万円ずつ集めれば、あなたに1万5000円あげます。
現実には、もう少し巧妙な仕組みが考えられるのですが、いずれにしろこの仕組みは、動いている限りはすべての人の利益となります。仲間になるのに1万円払わなくてはいけませんが、3人の子供を見つけてくれば1万5000円入ってきます。30人の子供をつくれば、15万円入ります。
こうしたネズミ講がときどき世の中に出てきます。もちろん、これは犯罪です。ネズミ講の仲間が順調に増えている間はだれも損はしないのですが、必ずどこかで新規加入の枯渇が起こるのです。ネズミのように子供を倍数的に増やしていけば、どこかで枯渇するのです。
驚くべきことに、年金制度にもこのネズミ講的構造が隠されています。若者の人口が多かったとき、若者が年金として預けたお金の一部が、その時代の高齢者へ年金として支払われました。っぎつぎと多くの若者が生まれてくる限りは、この順送り的構造はうまく機能します。
しかし、少子高齢化ということで、新しく生まれてくる若い世代の人口は減少傾向にあります。かつて年配の人の年金を支えた世代が高齢化しても、つぎの若者にはそれを支えるだけの人数がいないのです。ネズミのようにたくさんの子供を産みつづけるのであれば、こうした年金制度はうまく機能するのでしょうが、日本人はネズミのようには子供をたくさん産まなくなったのです。
日本の年金制度の最大の問題は、こうした順送りの構造からどう脱却するかということです。順送り構造をやめれば、いまの若者が年金のために支払った資金は、彼らが歳をとったときに使えるようにしなくてはいけません。すると、いまの高齢者の年金は一般財源から賄うしかないのです。
消費税は景気を悪化させるか
消費税率の引き上げをめぐって、政治の場では激しい議論が行われました。消費税増税に反対する人たちは、増税をすれば景気に悪影響が出ることを懸念しています。本文中で説明した簡単なマクロモデルでも、増税が景気に悪影響が及ぶことを確認することができます。増税は一般に消費を抑制します。消費が抑えられれば、乗数効果を通じて、経済全体の生産や所得水準も下がるからです。
ただ、現実はそう簡単でもありません。スウェーデンやデンマークの北欧諸国のように、消費税率が25%前後という国もあります。これらの国のほうが、日本よりも所得水準も高いし、経済成長率も高くなっています。消費税率が高いほど経済は停滞するというのは、国際比較で見るかぎりはどうも正しくないようです。
消費税の税収が何に使われるのか、そして消費税も含む税体系全体がどうなっているのかなどによって、経済への影響も大きく異なります。北欧諸国では税負担は重いのですが、その税を利用して手厚い社会保障制度が運営されています。消費税率は高いのですが、その分法人税率を引き下げ、経済活力の維持には配慮した税制になっています。
また、潤沢な税収をもとに手厚い労働者保護制度が確立しているので、企業は従業員の解雇などを柔軟に行っているようです。日本のように企業に雇用維持を強く求めるのではなく、社会全体として労働者を守る制度が確立しており、その分企業に過度な雇用維持責任を押し付けないのです。こうした制度が、北欧の企業の国際競争力を高める結果になっています。
消費税率の引き上げを議論するとき、目先の景気に対する影響と、長期にわたる経済への影響を区別しなくてはいけません。税制の改正は長期的な経済のあり方を決めるものであり、短期的な視野に縛られてはいけないのです、
貨幣民営化論
貨幣は政府や中央銀行などの公的機関が供給するものです。これが世間の常識ですし、現実もそうなっています。しかし自由主義の騎手であるフリードリヒ・ハイエクは、この常識に挑戦し、民間企業が貨幣を発行することのメリットを説きました。貨幣民営化論です。
ハイエクによれば、政府が貨幣発行権を独占的に持つことは国民の利益になりません。政府はつねに貨幣の増発によって財政赤字を埋めようとする誘因をもっているからです。現実にも、過去に多くの国で貨幣が過剰に発行されて深刻なインフレが起き、国民は大きな被害に遭いました。
もし民間企業が貨幣を発行することが可能になれば、複数の民間企業の間で貨幣発行の競争が起きます。深刻なインフレ(つまり貨幣の価値低下)を起こすような貨幣は利用されないでしょう。貨幣発行競争によって、価値が下がらない貨幣、あるいは利子やポイントをつけるような貨幣が選ばれるようになるでしょう。ハイエクはこうした複数の貨幣の間の競争の重要性を説いたのです。
50年以上前にハイエクの議論が出されたとき、多くの人は民間貨幣のイメージを持つことはできなかったでしょう。
しかし、現代社会では、完全な貨幣ではないものの、擬似的な形のさまざまな貨幣が民間企業によって発行されています。その代表的なものが電子マネーです。Suica、楽天Edy、WAON、nanacoなど、さまざまな電子マネーが発行され、そして競争を展開しています。これらの電子マネーはまだ限定された店でしか使えませんが、利用できる店は確実に増えています。利用できる店が増えるほど、電子マネーは現金と同じようにどこでも通用する貨幣的性格をより強く持つようになります。電子マネー以外でも、さまざまな形態の貨幣的サービスが提供されています。クレジットカードなども、貯めたポイントでさまざまなサービス提供することで顧客を引きつけようとしています。もっとも、クレジットカードは貨幣を補助するものにすぎませんので、民間貨幣とはいえませんが。
ネズミ講の構造
ネズミ講というものを知っていますか。仲間をつのって1万円ずつ集めます。そして仲間にこういうのです。あなたの子供(もちろん本当の子供という意味ではなく新たな仲間という意味)を3人集めてください。それぞれから1万円ずつ集めれば、あなたに1万5000円あげます。
現実には、もう少し巧妙な仕組みが考えられるのですが、いずれにしろこの仕組みは、動いている限りはすべての人の利益となります。仲間になるのに1万円払わなくてはいけませんが、3人の子供を見つけてくれば1万5000円入ってきます。30人の子供をつくれば、15万円入ります。
こうしたネズミ講がときどき世の中に出てきます。もちろん、これは犯罪です。ネズミ講の仲間が順調に増えている間はだれも損はしないのですが、必ずどこかで新規加入の枯渇が起こるのです。ネズミのように子供を倍数的に増やしていけば、どこかで枯渇するのです。
驚くべきことに、年金制度にもこのネズミ講的構造が隠されています。若者の人口が多かったとき、若者が年金として預けたお金の一部が、その時代の高齢者へ年金として支払われました。っぎつぎと多くの若者が生まれてくる限りは、この順送り的構造はうまく機能します。
しかし、少子高齢化ということで、新しく生まれてくる若い世代の人口は減少傾向にあります。かつて年配の人の年金を支えた世代が高齢化しても、つぎの若者にはそれを支えるだけの人数がいないのです。ネズミのようにたくさんの子供を産みつづけるのであれば、こうした年金制度はうまく機能するのでしょうが、日本人はネズミのようには子供をたくさん産まなくなったのです。
日本の年金制度の最大の問題は、こうした順送りの構造からどう脱却するかということです。順送り構造をやめれば、いまの若者が年金のために支払った資金は、彼らが歳をとったときに使えるようにしなくてはいけません。すると、いまの高齢者の年金は一般財源から賄うしかないのです。
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