『仕事の小さな幸福』より
他の人が行かない、細い道だから行く起業家・デザイナーの山口絵理子さん
バングラデシュやネパールなど途上国で開発・製造したナチュラルな素材と色昧を持つバッグ、洋服、財布、ストールなどを販売するビジネスを開拓してきたブランド「マザーハウス」経営者で、自ら製品のデザインも手がけている山口絵理子さん(一九八一年、埼玉県生まれ)。創業まもなくから多くのメディアに採りあげられてきた。
小学校の頃にいじめに遭った反動で、中学時代は非行に走る。高校では柔道に打ち込み全日本ジュニアオリンピックで七位に。大学在学中、米州開発銀行でのインターン経験から途上国援助の矛盾を知ると、アジア最貧国バングラデシュのBRAC大学院開発学部に進学し修士号を取得。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」との理念から二〇〇六年、二十四歳の時に今の会社を興した。
取材した時点ではウェブ販売のほかに国内八店舗、台湾で四店舗を展開し(二〇一四年三月時点では国内十四店舗、台湾に四店舗となっている)、年商も数億円の規模になっていた。経営は軌道に乗り、起業時に掲げた「途上国発のブランド」という理念に人を惹きつけるだけでなく、製品自体のデザィン、品質で勝負している、というあたりから話をうかがうことになった。話を聞かせていただいたのは、二〇一二年の八月二十日だった。
テレビに出演した際のイメージからなのか、夢を追う力強さやビジョンがいいですね、と肯定的に捉えてもらうのもありかたいけれど、私自身は特に楽観的にやらてきたわけでもないんです。むしろ、いつも最悪の状況を予測し、論理的に対策を考えてきたつもりです。
途上国で仕事をしていると、提携している工場でストライキが起きて業務が動かないなど、解決は不可能だろうという問題にしばしば直面するんです。でもそれも冷静に考えれば、自前の工場ではないから起きたことだな、とわかるわけですね。
だから、今は約七十六名(二〇一四年三月時点で一二四名)が働くバングラデシュ・ダッカにある自社工場を充実させることにこだわっています。「途上国から世界に通用するブランドを作り、それぞれの国にある人や資源の良さを最大限に活かしたデザインを」という企業理念をあくまで現実的に前に進めてきたんです。最近は、経営者としてよりも、デザイナーとして商品開発に取り組む時間が多くなっています。
私はファッションの専門学校などを卒業したわけではありません。ただ、のちに私の下に専門性の高いデザイナーを雇うようになってわかりましたが、途上国で、自社工場で生み出す製品にふさわしいデザインを作るには、単に綺麗なかたちや色を考えるというのに留まらない能力が要るんです。
私たちの工場でやっているのは、何十、何百万点も大規模に大量生産品を作るSPAのように、現地の提携工場に均一なものを頼むのとは真逆の、「直に話し合って仕事を進める」かなり手作りの要素が強いやり方ですし、工場のみんなが商品開発に携わったという気持ちも含めて最後の品質を作るものだと思っていますから、デザイナーはコミュニケーターでないといけないと思っています。
簡単に製品が作れる今こそ、時間をかけて人の手で作る温かみは途上国でなければ出せない価値かもしれないな、とも考えているんです。だから、温もりをいかに出すかを私はデザインする上でいちばん大事にしていて、マザーハウスがほかと違うところだと思っています。
そのため、一般にアパレルの世界で褒め言葉とされる「エッジ」を追求することはありません。デコレーション的に何かを足すところからも離れている。もっとシンプルに温かみが出る製品を、となると、作る人や環境も含めて育成することにもなる。それもデザインの一環であるし、店舗のディスプレイも、販売員の教育もデザインの一環だと思っています。
デザインも全くの素人としてはじめたのに、なぜ、今は「温もりが最も大事」と言い切れるようになったのか、ですか。それは……自分で出した答えだからです。意思決定の場面で若いスタッフたちに問うのも、ほんとうに自分で考えてそう思うのか、なんですよ。
綺麗な理念を語るのがうまい人も多いけど、語る内容をどこかから持ってきていると上辺だけの方針に留まり、続けられなくなります。
他の人が行かない、細い道だから行く起業家・デザイナーの山口絵理子さん
バングラデシュやネパールなど途上国で開発・製造したナチュラルな素材と色昧を持つバッグ、洋服、財布、ストールなどを販売するビジネスを開拓してきたブランド「マザーハウス」経営者で、自ら製品のデザインも手がけている山口絵理子さん(一九八一年、埼玉県生まれ)。創業まもなくから多くのメディアに採りあげられてきた。
小学校の頃にいじめに遭った反動で、中学時代は非行に走る。高校では柔道に打ち込み全日本ジュニアオリンピックで七位に。大学在学中、米州開発銀行でのインターン経験から途上国援助の矛盾を知ると、アジア最貧国バングラデシュのBRAC大学院開発学部に進学し修士号を取得。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」との理念から二〇〇六年、二十四歳の時に今の会社を興した。
取材した時点ではウェブ販売のほかに国内八店舗、台湾で四店舗を展開し(二〇一四年三月時点では国内十四店舗、台湾に四店舗となっている)、年商も数億円の規模になっていた。経営は軌道に乗り、起業時に掲げた「途上国発のブランド」という理念に人を惹きつけるだけでなく、製品自体のデザィン、品質で勝負している、というあたりから話をうかがうことになった。話を聞かせていただいたのは、二〇一二年の八月二十日だった。
テレビに出演した際のイメージからなのか、夢を追う力強さやビジョンがいいですね、と肯定的に捉えてもらうのもありかたいけれど、私自身は特に楽観的にやらてきたわけでもないんです。むしろ、いつも最悪の状況を予測し、論理的に対策を考えてきたつもりです。
途上国で仕事をしていると、提携している工場でストライキが起きて業務が動かないなど、解決は不可能だろうという問題にしばしば直面するんです。でもそれも冷静に考えれば、自前の工場ではないから起きたことだな、とわかるわけですね。
だから、今は約七十六名(二〇一四年三月時点で一二四名)が働くバングラデシュ・ダッカにある自社工場を充実させることにこだわっています。「途上国から世界に通用するブランドを作り、それぞれの国にある人や資源の良さを最大限に活かしたデザインを」という企業理念をあくまで現実的に前に進めてきたんです。最近は、経営者としてよりも、デザイナーとして商品開発に取り組む時間が多くなっています。
私はファッションの専門学校などを卒業したわけではありません。ただ、のちに私の下に専門性の高いデザイナーを雇うようになってわかりましたが、途上国で、自社工場で生み出す製品にふさわしいデザインを作るには、単に綺麗なかたちや色を考えるというのに留まらない能力が要るんです。
私たちの工場でやっているのは、何十、何百万点も大規模に大量生産品を作るSPAのように、現地の提携工場に均一なものを頼むのとは真逆の、「直に話し合って仕事を進める」かなり手作りの要素が強いやり方ですし、工場のみんなが商品開発に携わったという気持ちも含めて最後の品質を作るものだと思っていますから、デザイナーはコミュニケーターでないといけないと思っています。
簡単に製品が作れる今こそ、時間をかけて人の手で作る温かみは途上国でなければ出せない価値かもしれないな、とも考えているんです。だから、温もりをいかに出すかを私はデザインする上でいちばん大事にしていて、マザーハウスがほかと違うところだと思っています。
そのため、一般にアパレルの世界で褒め言葉とされる「エッジ」を追求することはありません。デコレーション的に何かを足すところからも離れている。もっとシンプルに温かみが出る製品を、となると、作る人や環境も含めて育成することにもなる。それもデザインの一環であるし、店舗のディスプレイも、販売員の教育もデザインの一環だと思っています。
デザインも全くの素人としてはじめたのに、なぜ、今は「温もりが最も大事」と言い切れるようになったのか、ですか。それは……自分で出した答えだからです。意思決定の場面で若いスタッフたちに問うのも、ほんとうに自分で考えてそう思うのか、なんですよ。
綺麗な理念を語るのがうまい人も多いけど、語る内容をどこかから持ってきていると上辺だけの方針に留まり、続けられなくなります。
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