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歩いて暮らせる街

『日本列島再生論』より 減り行く人口の中で

昨年の9月には、フライブルグを訪問しています

ドイツ南西部の人口約二二万人のフライブルク市。初夏の陽気に包まれた中心市街地は大都会と見まごうばかりの人出でにぎわっていた。

大聖堂近くには百貨店など様々な店舗が立地し、次世代型路面電車のLRT(ライト・レール・トランジット)などの公共交通機関と自転車、歩行者が行き交う。

先進的な取り組みで「環境首都」と呼ばれるフライブルク市は、安全で人に優しく、車なしでも便利に暮らせる街だ。東日本大震災後、にわかに注目を集めるようになったコンパクト・シティーのさきがけでもある。

フライブルク市は一九六九年、配達車両を除き、中心市街地への車の進入を禁止した。当初は商店街の店主らの反対もあったが、歩行者は増加し、理解が広がった。

一九九二年以降は、強制力がある地区整備プランで、食料品などを販売するスーパーの郊外への出店を規制し、中心部への買い物客の流入を促した。

超低床のLRTは「水平式エレペーター」とも言われ、高齢者や子供も利用しやすく、中心市街地の移動の主役だ。二〇一七年を目標とする新路線の整備や、郊外への延伸を計画中で、車の乗り入れ禁止地域の大幅拡大も進む。

フライブルク市で都市計画担当を務めるマーティン・ハーグ副市長は「『人が使いやすく、楽しめる街』が市のコンパクト・シティーの基本理念。経済性と社会性とのバランスをとった政策が必要だ」と強調する。

日本では、大規模小売店舗法(旧大店法)が二〇〇〇年に廃止されたことによって、郊外への大型店進出が加速した。大駐車場があり、大量の商品を車で持ち帰るスタイルが定着するにつれ、中心市街地の空洞化が一層進んだ。小規模店舗が多い商店街は「シャッター通り」と化し、郊外への公共交通手段のない住民は〝買い物難民〟となり、NPO(非営利組織)などが支援に乗り出す事例も多い。

政府は二〇〇六年九月、中心市街地の活性化を図るための基本方針を示し、コンパクトな街づくりの支援に乗り出した。東日本大震災後、被災地の復興過程で、少子高齢化社会に合った街のあり方としても、コンパクトーシティーの利点が注目されるようになったのは、既に述べた通りだ。限界集落問題の打開策として期待する声も出ている。

現状は、市町村が策定した中心市街地活性化基本計画が認定されると、国から補助などが出る仕組みだ。ただ、それでコンパクトーシティーの成功が約束されるわけではないことは、青森市の例が物語っている。一方で、青森市と同じ二〇〇七年二月に認定を受けた富山市は、国内での「成功例」として注目されるようになった。

富山市では、富山駅南側に位置する総曲輪地区の日曜日の歩行者数が二〇〇六年の二万四九三二人(八月調査)から、二〇一一年は二万七四〇七人(年四回の調査の平均)に増えた。中心市街地への転入者も増加しており、二〇〇七年から二〇一二年にかけて完成したマンション七棟はいずれも完売状態だ。

富山市のコンパクトーシティー構想の軸は、LRT環状線「セントラム」である。二〇〇七年に総曲輪地区に開業した広場付きの再開発ビルと富山駅をセントラムがつなぎ、週末は多様なイペントでにぎわう。

森雅志市長は「少子高齢化で車を運転できない人が増えてくる。歩いて暮らせる街をつくることが、今の行政に突きつけられている責務だ」と説く。

富山駅では、北陸新幹線開業に向けて高架化工事が進む。その下をLRTが駅南と駅北を結んで走る予定で、街の利便性は更に高まると期待されている。

人口増と経済成長の下で郊外に拡散した都市を人口減時代に合った街に再設計するには、公共交通網の再構築と中心市街地ならではの魅力づくりへの重点投資が必要だ。同時に、青森で新幹線の駅の立地が街づくりを左右したように、市町村と国、企業との連携が、コンパクトーンティーの成否のカギを握っていると言えそうだ。

社会構造の変化に合ったコミュニティーのあり方、住み方をめぐり、各地で試行錯誤が続いている。
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