未唯への手紙
未唯への手紙
ヒトラーの超人--マルティン・ハイデガー
『ヒトラーと哲学』より
ヒトラーの夢は達成されたかのように見える。人種差別、独裁、戦争が新たな知的風景となり、哲学者たちはその全計画に入り用な鋭利な武器を提供していた。これ以上足りないものがあるだろうか。いや実は、ひとつだけ大学からまだ抜け落ちているものがある。これが整うまでは、夢も不完全なままなのだ。
実際に存在したのだ。将来の世代に種を蒔くことができ、さらにその溢れんばかりの知的迫力が学生世代の崇拝の対象となっている、預言者然とした人物が。だが、人間の知性が生み得るなかでも深遠複雑の極みにあるような思想を掴むほどの畏るべき天才、〈超人〉が、はたしてヒトラーのような悪人に買収されるのだろうか。
一九三三年五月十日ベルリン。期待感が高まりつつあった。夜の冷ややかな空気が静けさをいや増していたが、やがていくつのも影が現れては消え、銀の光が都市のあちこちにきらめく。規則正しい物音が地面から聞こえてくるかのようで、かすかな琥珀色の光が街区や借家区のあいだを抜けていく。しばらくしてリズムが変わり。燃えさかる蛇のようなものが闇から立ち上がる。あたりには儀式の参加者が無数におり、格子状の通りを折れ曲がりつつ並んでいた。
ベルリンのヘーゲル広場--十九世紀を代表する思想家にちなんだ名前の場所--では、火の付いたたいまつを手にした学生の長い列が行進しているのが見られた。フンボルト大学向かいのオペラ広場へと移動した彼らは、ちりぢりになって、興奮しながらひとつの巨大な火を燃え立たせる。黄金の炎が黒々とした空を切り裂き、たちまちあとに灰煙と炭塵とが続く。そして闇のなかに、明色の帽子と隊服に身を包んだ、熱狂した若者たちの群れが見えてくる。隊服の一団は、大事なことがあるとばかりに気が高ぶらせながらも集まりだすと、歌を唄い、「火の誓い」を唱え、そして呪文のように合い言葉を叫び、かたわらでは持ってきた旗がうねっている。全員で大気に充満する濃い煙を、木の燃える臭いを吸い込む。すぐに地面を汚す燃えがらは、ごみ捨て場のくずのよう。だが、そのあと続いて何かが火のなかに投げ込まれる直前、歓喜に酔う闇の群衆の目の前には、白く鮮やかに輝く書籍のとてつもない山があったのだ。本の一ページ一ページが、炎のなかで命を輝かせるかのように一瞬だけ激しく燃えると、あとは急病に倒れたかのようにたちまちぼろぼろの灰と化していく。
初夏のベルリンで、その夜目撃されたのは〈非ドイツ的〉書物の公開焚書であった。実行したのは、大学生を伴ったSA(突撃隊)というナチの準軍事組織の隊員たちである。この催しはポスターで宣伝されていた--「国民社会主義学生同盟は、ユダヤ人どもの恥知らずな煽動に対する返報として、有害なユダヤ文書の公開焼却を呼びかける」。呪われた書物として、ユダヤ人思想家であるスピノザやモーゼス・メンデルスゾーンの本、そのほかジークムント・フロイト、カール・マルクス、アルべルト・アインシュタインの著作なども一覧に挙げられていた。その夜、火にくべられた本は他にも、同化ユダヤ人一家の出身である十九世紀ドイツの抒情詩人ハインリヒ・ハイネのものがあった。
ヨーゼフ・ゲッペルスはこの火を「興隆のシンボル」として言祝ぎ、二万五千冊を超える書籍が燃えさかる炎のなかに投げ込まれたという。群衆は沸いた。嬉しそうに目を細めてこの催しを見物していたアルフレート・ボイムラーも、盛り上がる演説に自分も舞い上がり、歓声を上げたのだった。だがボイムラーもゲッペルスも、どちらもヒトラーの超人ではない。
数日前の五月一日、ドイツ南部のフライブルクでは、もっと大きな火が焚かれていた。だがこの炎は広報の一環だった。この手の込んだ公的行事にあって、ドイツでも最大級の評価を受ける哲学教授が並々ならぬ熱意を持って現れ、ナチ党に入党したのだ。入党日はカール・シュミットと同日で、党員番号は三一二五八九四。彼はナチ党本部と相談の上、この日を計算づくで選んでいた。なぜなら五月一日とは〈民族共同体の国民祝祭日〉。この哲学者は、大学構成員の参加を「軍隊式に要請」していた。演説のなかでこの有名教授は、第三帝国は「ドイツ民族のための新しい精神世界の建設」と告げ、国民社会主義の建設は今や「ドイツの大学の最も重要な使命となっている」とした。さらに彼は演説のなかでヒトラーの目標を褒め称え、大学のナチ化を「この上なく高い意味と質とをもつ国民的な仕事」として歓迎したのである。
地元のナチ新聞は、この有名な思想家に大きな敬意を払って、このように記している。「我々は、マルティン・ハイデガーが、その強い責任感とドイツ人の運命および未来についての憂慮をもって、我々の壮大な運動の中心に立っていたことを知っている」。同紙のこの人物への賞賛は、これだけでは済まなかった。続いてこう述べている。「我々はまた、彼が自らのドイツ的心情を決して隠さず、存在と力を求めるアドルフ・ヒトラーの党の厳しい戦いを以前からこの上なく効果的に支援し、常にドイツの神聖なる問題のために犠牲を払う覚悟を固めていたことも知っている。ナチ党員にして彼のところを訪ねて失望した者は誰一人としていなかった」。
フライブルク大学教授のマルティン・ハイデガー--ドイツを導く光のひとつにして、この章で問題となる哲学者である。彼の知性は力強く、その思想もまばゆいばかり--ようやく待望の〈超人〉が現れたわけだ。
ヒトラーの夢は達成されたかのように見える。人種差別、独裁、戦争が新たな知的風景となり、哲学者たちはその全計画に入り用な鋭利な武器を提供していた。これ以上足りないものがあるだろうか。いや実は、ひとつだけ大学からまだ抜け落ちているものがある。これが整うまでは、夢も不完全なままなのだ。
実際に存在したのだ。将来の世代に種を蒔くことができ、さらにその溢れんばかりの知的迫力が学生世代の崇拝の対象となっている、預言者然とした人物が。だが、人間の知性が生み得るなかでも深遠複雑の極みにあるような思想を掴むほどの畏るべき天才、〈超人〉が、はたしてヒトラーのような悪人に買収されるのだろうか。
一九三三年五月十日ベルリン。期待感が高まりつつあった。夜の冷ややかな空気が静けさをいや増していたが、やがていくつのも影が現れては消え、銀の光が都市のあちこちにきらめく。規則正しい物音が地面から聞こえてくるかのようで、かすかな琥珀色の光が街区や借家区のあいだを抜けていく。しばらくしてリズムが変わり。燃えさかる蛇のようなものが闇から立ち上がる。あたりには儀式の参加者が無数におり、格子状の通りを折れ曲がりつつ並んでいた。
ベルリンのヘーゲル広場--十九世紀を代表する思想家にちなんだ名前の場所--では、火の付いたたいまつを手にした学生の長い列が行進しているのが見られた。フンボルト大学向かいのオペラ広場へと移動した彼らは、ちりぢりになって、興奮しながらひとつの巨大な火を燃え立たせる。黄金の炎が黒々とした空を切り裂き、たちまちあとに灰煙と炭塵とが続く。そして闇のなかに、明色の帽子と隊服に身を包んだ、熱狂した若者たちの群れが見えてくる。隊服の一団は、大事なことがあるとばかりに気が高ぶらせながらも集まりだすと、歌を唄い、「火の誓い」を唱え、そして呪文のように合い言葉を叫び、かたわらでは持ってきた旗がうねっている。全員で大気に充満する濃い煙を、木の燃える臭いを吸い込む。すぐに地面を汚す燃えがらは、ごみ捨て場のくずのよう。だが、そのあと続いて何かが火のなかに投げ込まれる直前、歓喜に酔う闇の群衆の目の前には、白く鮮やかに輝く書籍のとてつもない山があったのだ。本の一ページ一ページが、炎のなかで命を輝かせるかのように一瞬だけ激しく燃えると、あとは急病に倒れたかのようにたちまちぼろぼろの灰と化していく。
初夏のベルリンで、その夜目撃されたのは〈非ドイツ的〉書物の公開焚書であった。実行したのは、大学生を伴ったSA(突撃隊)というナチの準軍事組織の隊員たちである。この催しはポスターで宣伝されていた--「国民社会主義学生同盟は、ユダヤ人どもの恥知らずな煽動に対する返報として、有害なユダヤ文書の公開焼却を呼びかける」。呪われた書物として、ユダヤ人思想家であるスピノザやモーゼス・メンデルスゾーンの本、そのほかジークムント・フロイト、カール・マルクス、アルべルト・アインシュタインの著作なども一覧に挙げられていた。その夜、火にくべられた本は他にも、同化ユダヤ人一家の出身である十九世紀ドイツの抒情詩人ハインリヒ・ハイネのものがあった。
ヨーゼフ・ゲッペルスはこの火を「興隆のシンボル」として言祝ぎ、二万五千冊を超える書籍が燃えさかる炎のなかに投げ込まれたという。群衆は沸いた。嬉しそうに目を細めてこの催しを見物していたアルフレート・ボイムラーも、盛り上がる演説に自分も舞い上がり、歓声を上げたのだった。だがボイムラーもゲッペルスも、どちらもヒトラーの超人ではない。
数日前の五月一日、ドイツ南部のフライブルクでは、もっと大きな火が焚かれていた。だがこの炎は広報の一環だった。この手の込んだ公的行事にあって、ドイツでも最大級の評価を受ける哲学教授が並々ならぬ熱意を持って現れ、ナチ党に入党したのだ。入党日はカール・シュミットと同日で、党員番号は三一二五八九四。彼はナチ党本部と相談の上、この日を計算づくで選んでいた。なぜなら五月一日とは〈民族共同体の国民祝祭日〉。この哲学者は、大学構成員の参加を「軍隊式に要請」していた。演説のなかでこの有名教授は、第三帝国は「ドイツ民族のための新しい精神世界の建設」と告げ、国民社会主義の建設は今や「ドイツの大学の最も重要な使命となっている」とした。さらに彼は演説のなかでヒトラーの目標を褒め称え、大学のナチ化を「この上なく高い意味と質とをもつ国民的な仕事」として歓迎したのである。
地元のナチ新聞は、この有名な思想家に大きな敬意を払って、このように記している。「我々は、マルティン・ハイデガーが、その強い責任感とドイツ人の運命および未来についての憂慮をもって、我々の壮大な運動の中心に立っていたことを知っている」。同紙のこの人物への賞賛は、これだけでは済まなかった。続いてこう述べている。「我々はまた、彼が自らのドイツ的心情を決して隠さず、存在と力を求めるアドルフ・ヒトラーの党の厳しい戦いを以前からこの上なく効果的に支援し、常にドイツの神聖なる問題のために犠牲を払う覚悟を固めていたことも知っている。ナチ党員にして彼のところを訪ねて失望した者は誰一人としていなかった」。
フライブルク大学教授のマルティン・ハイデガー--ドイツを導く光のひとつにして、この章で問題となる哲学者である。彼の知性は力強く、その思想もまばゆいばかり--ようやく待望の〈超人〉が現れたわけだ。
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