『ゲアハルト・シュレーダー』より 社会的市場経済という思想
日本とドイツで構造改革が必要になった最大の理由は、世界経済の急速なグローバル化である。新興国に比較して製造コストが高い国は、価格競争に負ける。日本では高度経済成長期の花形だったソニー、パナソニックなど大手家電メーカーが韓国のサムスンなど後発国のメーカーに競争で敗れている。一九五九(昭和三四)年生まれの私は、ソニーの黄金時代を体験している。同社はウォークマンなどのヒット商品で世界中の家電市場を席巻した。その会社がいま営業利益の大半を電機製品ではなく金融ビジネスに頼っていることは、時代の変遷を物語っている。ドイツでもテレビや洗濯機などを作っていたメーカーが破綻したり、外国企業に買収されたりしている。
高齢化と少子化が進む国内市場は小さすぎる。ドイツの人口は一億人に満たないうえ、減る傾向にある。一九九〇年以降、日独の多くの企業は、自国で商売をしているだけでは食べていくのが難しくなった。
「アゲンダ2010」は、グローバル化に対するドイツの最初の解答でもあった。この国のグローバル化への対応は、日本に比べて進んでいる。東西ドイツが統一された一九九〇年以降、ドイツ企業は急速にグローバル化を進めてきた。
グローバル化とは、一義的には国外の生産比率を高めることである。国内の工場が閉鎖される地域では雇用が減り、国内経済や社会にネガティブな影響を及ぼす。右派・左派のポピュリズム政党やメディアがグローバル化を批判するのは、そのためである。
ドイツ連邦銀行の統計によると、ドイツ企業の対外直接投資は、一九九〇年代半ば以降、急増した。○四年の対外直接投資残高は、九〇年に比べて五一八%も増加した。その伸び率は、国内での投資残高の伸び率(二七八%)を大幅に上回る。
ただし対外直接投資には、現地生産を伴わない、企業買収による資本取引も含まれる。そこで、対外直接投資を行った企業が、国外と国内で雇用している従業員数を比較してみる。○四年の時点で、対外直接投資を行ったドイツ企業が国外に雇用している従業員数は約四六〇万人。これらの企業が国内に抱える従業員の二倍だ。さらに国外の従業員数は、一九九〇年以来約九六%増えている。これは国内の伸び率を大幅に上回る。
ドイツ企業は国外生産比率を引き上げることで、国内の高い人件費や社会保障コスト、法人税が価格競争力に及ぼす悪影響を減らした。さらにグローバル化によって、為替レートの変動や、特定の地域の不況による悪影響を軽減することが可能になった。
カールスルーエにあるフラウンホーファー・システム・イノベーション研究所は、ドイツの一六〇〇社の製造企業を対象に、生産施設の国外移転に関するアンケートを行った。一二年に発表された報告書によると、回答企業はすでに製造能力の約二〇%を国外に移していることがわかった。
国外に生産施設の一部を移した理由としては、「人件費の節約」を挙げる企業が最も多かった。
さらに、生産施設の移転先として中国を挙げた企業が最も多かった。回答企業の半分以上が、「中国などアジア諸国へ生産施設を移転した」と答えている。中国はドイツ企業にとって、中東欧諸国並みの重要度を持っているのだ。
グローバル化の傾向は、自動車業界の統計にはっきり現われている。ドイツ自動車工業会(VDA)によると、ドイツの自動車メーカーは、一二年に全世界で約一三六二万台の車を生産した。前年に比べて五%の増加である。このうち、国内での生産台数は三・七%減ったのに対し、国外での生産台数は一一・五%増加している。海外生産比率は、五六・九%から六〇・五%に上昇した。
ドイツ以外のユーロ圏加盟国の企業活動は、欧州とくにユーロ圏に集中している。これに対し、ドイツの製造業界は約二〇年前から欧州の生産比率を減らして、アジア、北米、南米での生産比率を高めてきた。特に自動車業界では、販売台数、売上高や収益の中にユー口圏が占める比率が、年々減っている。欧州の生産比率を減らし、アジアを増やす「脱欧入亜」の流れが見られる。
このため、ユーロ危機によって深刻な不況が発生しても、ドイツ企業は欧州以外の地域での生産活動を増やしていたため、フランスやイタリアの企業に比べて不況の悪影響が比較的軽微だった。グローバル化が、ユーロ危機の衝撃を緩和したのである。
二一世紀に入って、中国やブラジル、インドなどの新興国の成長率は、欧州を大きく上回っている。このことを考えると、ドイツ企業が二〇年前からグローバル化を進めていたことは、先を読んだ戦略だったと言える。
日本とドイツで構造改革が必要になった最大の理由は、世界経済の急速なグローバル化である。新興国に比較して製造コストが高い国は、価格競争に負ける。日本では高度経済成長期の花形だったソニー、パナソニックなど大手家電メーカーが韓国のサムスンなど後発国のメーカーに競争で敗れている。一九五九(昭和三四)年生まれの私は、ソニーの黄金時代を体験している。同社はウォークマンなどのヒット商品で世界中の家電市場を席巻した。その会社がいま営業利益の大半を電機製品ではなく金融ビジネスに頼っていることは、時代の変遷を物語っている。ドイツでもテレビや洗濯機などを作っていたメーカーが破綻したり、外国企業に買収されたりしている。
高齢化と少子化が進む国内市場は小さすぎる。ドイツの人口は一億人に満たないうえ、減る傾向にある。一九九〇年以降、日独の多くの企業は、自国で商売をしているだけでは食べていくのが難しくなった。
「アゲンダ2010」は、グローバル化に対するドイツの最初の解答でもあった。この国のグローバル化への対応は、日本に比べて進んでいる。東西ドイツが統一された一九九〇年以降、ドイツ企業は急速にグローバル化を進めてきた。
グローバル化とは、一義的には国外の生産比率を高めることである。国内の工場が閉鎖される地域では雇用が減り、国内経済や社会にネガティブな影響を及ぼす。右派・左派のポピュリズム政党やメディアがグローバル化を批判するのは、そのためである。
ドイツ連邦銀行の統計によると、ドイツ企業の対外直接投資は、一九九〇年代半ば以降、急増した。○四年の対外直接投資残高は、九〇年に比べて五一八%も増加した。その伸び率は、国内での投資残高の伸び率(二七八%)を大幅に上回る。
ただし対外直接投資には、現地生産を伴わない、企業買収による資本取引も含まれる。そこで、対外直接投資を行った企業が、国外と国内で雇用している従業員数を比較してみる。○四年の時点で、対外直接投資を行ったドイツ企業が国外に雇用している従業員数は約四六〇万人。これらの企業が国内に抱える従業員の二倍だ。さらに国外の従業員数は、一九九〇年以来約九六%増えている。これは国内の伸び率を大幅に上回る。
ドイツ企業は国外生産比率を引き上げることで、国内の高い人件費や社会保障コスト、法人税が価格競争力に及ぼす悪影響を減らした。さらにグローバル化によって、為替レートの変動や、特定の地域の不況による悪影響を軽減することが可能になった。
カールスルーエにあるフラウンホーファー・システム・イノベーション研究所は、ドイツの一六〇〇社の製造企業を対象に、生産施設の国外移転に関するアンケートを行った。一二年に発表された報告書によると、回答企業はすでに製造能力の約二〇%を国外に移していることがわかった。
国外に生産施設の一部を移した理由としては、「人件費の節約」を挙げる企業が最も多かった。
さらに、生産施設の移転先として中国を挙げた企業が最も多かった。回答企業の半分以上が、「中国などアジア諸国へ生産施設を移転した」と答えている。中国はドイツ企業にとって、中東欧諸国並みの重要度を持っているのだ。
グローバル化の傾向は、自動車業界の統計にはっきり現われている。ドイツ自動車工業会(VDA)によると、ドイツの自動車メーカーは、一二年に全世界で約一三六二万台の車を生産した。前年に比べて五%の増加である。このうち、国内での生産台数は三・七%減ったのに対し、国外での生産台数は一一・五%増加している。海外生産比率は、五六・九%から六〇・五%に上昇した。
ドイツ以外のユーロ圏加盟国の企業活動は、欧州とくにユーロ圏に集中している。これに対し、ドイツの製造業界は約二〇年前から欧州の生産比率を減らして、アジア、北米、南米での生産比率を高めてきた。特に自動車業界では、販売台数、売上高や収益の中にユー口圏が占める比率が、年々減っている。欧州の生産比率を減らし、アジアを増やす「脱欧入亜」の流れが見られる。
このため、ユーロ危機によって深刻な不況が発生しても、ドイツ企業は欧州以外の地域での生産活動を増やしていたため、フランスやイタリアの企業に比べて不況の悪影響が比較的軽微だった。グローバル化が、ユーロ危機の衝撃を緩和したのである。
二一世紀に入って、中国やブラジル、インドなどの新興国の成長率は、欧州を大きく上回っている。このことを考えると、ドイツ企業が二〇年前からグローバル化を進めていたことは、先を読んだ戦略だったと言える。
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