未唯への手紙

未唯への手紙

カント--感性の形式としての空間と時間

2013年09月20日 | 1.私
『1日で学び直す哲学』より

カント流のカテゴリー論

 まずはカテゴリーの話からはじめましょう。

 すでに見たようにアリストテレスは、言葉の使用法を精査することで、存在の意味を分類しました。それがカテゴリーでした。

 カントも似たようなやり方で、主著『純粋理性批判』の中でカテゴリーを導き出しています。アリストテレスは「AはBである」という判断を、「ある」の意味の違いに着目して、可能な限り列挙するというやり方をとりました。それに対して、カントは判断そのものをまず分類します

  〔1 量の判断〕

   ①すべての人間は動物である。(全称判断)

   ②若干の人間は日本人である。(特称判断)

   ③この人間は大阪生まれである。(単称判断)

  〔2 質の判断〕

   ①彼は人間である。(肯定判断)

   ②彼は猿ではない。(否定判断)

   ③彼は非論理的である。(無限判断)

  〔3 関係の判断〕

   ①人間は理性的である。(定言判断)

   ②もし彼が人間であるなら、理性的である。(仮言判断)

   ③彼は日本人か、ドイツ人のどちらかである。(選言判断)

  〔4 判断の様相〕

   ①人間は理性的でありうる。(蓋然判断)

   ②人間は理性的である。(実然判断)

   ③人間は理性的でなければならない。(必然判断)

 〔量の判断〕というのは、主語の量(すべてか、一部か、ひとつか)によって判断を分類したものです。〔質の判断〕は、主語と述語の関係が肯定されるのか否かによって分類されています。〔関係の判断〕は、主語と述語の関係が条件つきか、あるいは無条件なのかによる分類、〔判断の様相〕は、主語と述語の結びつきの確実性による分類です。

 この判断の表から、カントは以下のようなカテゴリーを導き出してきます。

  〔1 量のカテゴリー〕  ①単一性 ②数多性 ③総体性

  〔2 質のカテゴリー〕  ①実在性 ②否定性 ③制限性

  〔3 関係のカテゴリー〕 ①実体と属性 ②因果性と依存性(原因と結果)         ③相互性(能動と受動の交互作用)

  〔4 様相のカテゴリー〕 ①可能性と不可能性②現実性と非存在 ③必然性と偶然性

カテゴリーの意味の変容

 アリストテレスのカテゴリーとの大きな違いは、カントのカテゴリー表には時間と場所がないことです。それは、カントにおいてカテゴリーが、アリストテレスの場合とはかなり異なる意味合いを与えられているからなのです。

 繰り返しますが、アリストテレスにおいてカテゴリーとは、存在(「ある」)の意味を分類したものでした。存在の意味を分類したということは、別の言い方をすれば、この世にあるありとあらゆるものは、このカテゴリーによって分類可能だということです。それゆえカテゴリーは「最高類概念」と呼ばれています。

 カントは、カテゴリーというアイデアをアリストテレスから受け継ぎながら、この銀杯にプラトン哲学という酒を注ぎ入れます。

 『パイドン』において展開された、「等しさ」をめぐる議論を思い出しましょう。あの議論が示していたのは、人間の認識のあり方でした。

 人間の認識というのは、カメラが映像をとらえるようなものではなく、ある枠組みが認識のシステムとして、あらかじめ私たちの中にあるのだ、ということでした。この「認識の枠組み」こそカテゴリーなのです。

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