未唯への手紙
未唯への手紙
階級政治 問題解決のために、いますぐ着手すべきこと
『チャブ 弱者を敵視する社会』より 「新しい」階級政治へ 「階級は存在しない」という詭弁 見放された労働者階級
本書では、労働者階級がますます投票しなくなった理由についても考えた。バラクーオバマが二〇〇八年のアメリカ大統領選で勝利したのは、当時どれだけ徒労に見えたとしても、幻滅していた貧困層の有権者を掘り起こしたからだ。言い換えれば、選挙民の拡大が勝利の鍵だった。わが国の最優先事項も、自分たちの生活からますます離れていく政治にすっかり幻滅した労働者階級を動かすことだ。
それはまた、サッチャリズムのもとで広がった、労働者階級内の溝を埋めることでもある。これらは最大限強調しておきたい。ジョンーマクドネルが言ったように、「労働者階級のなかには、つねにいろいろな集団がある。熟練労働者と非熟練労働者、臨時雇用とその他の労働者というふうに」。また、トニー・ブレアの戦略部門のトップだったマシューニアイラーが言ったとおり、「仕事があって家を所有している労働者階級の状況と、公営住宅に住む人々の状況には大きなちがいがある」。そして、たとえば後者には、彼の言う「生活保護状態」が集中している。不当に生活保護を受けている人々に対する、労働者階級の怒りはすさまじい。それは私も目にしたことがあるし、理解もできる。
問題の一端は、失業問題が非政治化されたことにある。かつて失業に対する闘いは、左派の大規模な運動の代表格だった。有名なところでは、一九三六年のジャロー・マーチ[訳注:失業し困窮した労働者たちが、ジャローからロンドンの国会議事堂までの四八〇キロを徒歩で行進した]がある。一九七〇年代の失業者数はいまより少なかったが、失業は明確に政治問題と見なされていた。一方、一〇○万もの人々に仕事がないことを受けて、マーガレット・サッチャー率いる保守党は、「労働党は働いていない」という悪名高いポスターでジェイムズ・キャラハンの政府を猛攻撃した。
歴代政府が就業不能給付を使って失業率を操作するうち、議論の前提条件も変わった。失業は公衆衛生の問題として見直され、とくに、多数の受給者が本当に働けないほど健康を害しているのかどうかが議論された。生活保護の受給者を減らすためにニュー・レイバーと保守党の政治家たちが用いた理屈は、本質的には正しい。たしかに一般論としては、仕事をしたほうが個人も家族も生活が楽になる。しかし彼らは、「失業者を雇う仕事はどこにあるのか」という問いを、はなから無視していた。仕事があったとしても、たいてい低賃金の臨時雇いで条件の悪いものだった。
こうして、もうひとつの核となる要求が明らかになる。すなわち、健全で、熟練を要し、安定した、高賃金の仕事だ。これは、失業者のためだけではない。低賃金のサービス業で働く多くの労働者にとっても、別の選択肢を与えることになる。
「私たちがいま話しているのは、産業政策の立案です」と、〈新経済財団〉のエイリス・ローラーは言う。「つまり、欠けたまんなかの部分の熟練労働職を埋める産業を支援し、発展させると決めて、それを貧しい地域や、不況で疲弊した地域に重点的に割り当てる。ほかのいくつかの産業に対する政策も必要です」。労働党政権は、くたびれた晩年に産業政策を弄んだが、製造業が崩壊して一三年もたったあとでは、とうてい大胆さが足りなかった。保守党でさえ、「経済の再調整」や「もう二度ものづくりのイギリス」について議論しているいま、実現可能な新しい産業戦略を立てる政治的余地は充分ある。
好条件の仕事を求める運動は、広範囲に及ぶ社会変革のきっかけになるかもしれない。仕事の創出は、労働者階級コミュニティに深く根をおろした問題の解決にも役立つだろう。住宅問題は、労働者階級の家庭の多くが直面している大きな危機のひとつだが、公営住宅を建てる国家政策には大量の熟練労働が必要となるし、建設業界も活発にし、さらに好条件の仕事を増やすことにもっながる。
〈ディフェンド・カウンシル・ハウジング〉のアラン・ウォルターは、労働党政権の末期に、市場が国民の要求を満せなかったのだから、「いまこそ、第三世代のすばらしい公営住宅の建設に投資すべきだ」と言った。「最高の環境基準にしたがってきちんと設計、建設され、まわりにすぐれた公共施設があり、交通の便がいい公営住宅を建てれば、ようやくわれわれはどこに住もうかという悩みから解放され、二一世紀の住宅提供に集中することができる」
また、仕事を作る運動は、環境危機の課題にも対処することができる。力強い再生可能于不ルギー部門を作り、住宅や事業所に断熱処置をほどこす国家プロジェクト、「グリーン・ニューディール」は、何十万もの雇用を生み出すだろう。「経済政策と環境政策を結びつけるのは政府の役割だと思う」と、ガーディアン紙の経済担当編集者ラリー・エリオットは言う。
非熟練労働者は大勢いるか、建設やそのまわりの業界で働く半熟練労働者に関しては、これまでとまったくちがう状況を政府が作り出せる。家を断熱しながら、同時に新しいグリーン部門を作っていくような、すぐれた政策ができるだろう。住宅に設置する製品は、製造基盤の強化に役立ちそうだ。仕事と新しい産業を創出するこの政府の取り組みで、相乗効果が生まれるにちがいない。
新しい仕事が多数生まれるだけではない。労働者階級の人々が、生活に直結する問題として環境にかかわることにもなる。階級政治にいくらかグリーンが加わるのだ。
言うまでもなく、新しい仕事は古い仕事に代わるものではない。むしろそうなってはいけない。たとえば、清掃員、ゴミ収集業者、バス運転手、スーパーマーケットのレジ係、秘書などがすべていなくなったら、社会は急停止する。他方、高給取りの広告会社の重役や、経営コンサルタント、未公開株式売買の責任者がある日突然いなくなっても、社会は以前とほとんどかわらず、ことによると多くの場合、かなり改善するかもしれない。最初の大きな一歩は、労働者が誇りや社会的価値の感覚を取り戻すことだ。そうすれば、生活全般における彼らの重要性を反映させるために、低賃金の労働条件を改善しなければならない、という議論に大きく踏み出せるだろう。
本書では、労働者階級がますます投票しなくなった理由についても考えた。バラクーオバマが二〇〇八年のアメリカ大統領選で勝利したのは、当時どれだけ徒労に見えたとしても、幻滅していた貧困層の有権者を掘り起こしたからだ。言い換えれば、選挙民の拡大が勝利の鍵だった。わが国の最優先事項も、自分たちの生活からますます離れていく政治にすっかり幻滅した労働者階級を動かすことだ。
それはまた、サッチャリズムのもとで広がった、労働者階級内の溝を埋めることでもある。これらは最大限強調しておきたい。ジョンーマクドネルが言ったように、「労働者階級のなかには、つねにいろいろな集団がある。熟練労働者と非熟練労働者、臨時雇用とその他の労働者というふうに」。また、トニー・ブレアの戦略部門のトップだったマシューニアイラーが言ったとおり、「仕事があって家を所有している労働者階級の状況と、公営住宅に住む人々の状況には大きなちがいがある」。そして、たとえば後者には、彼の言う「生活保護状態」が集中している。不当に生活保護を受けている人々に対する、労働者階級の怒りはすさまじい。それは私も目にしたことがあるし、理解もできる。
問題の一端は、失業問題が非政治化されたことにある。かつて失業に対する闘いは、左派の大規模な運動の代表格だった。有名なところでは、一九三六年のジャロー・マーチ[訳注:失業し困窮した労働者たちが、ジャローからロンドンの国会議事堂までの四八〇キロを徒歩で行進した]がある。一九七〇年代の失業者数はいまより少なかったが、失業は明確に政治問題と見なされていた。一方、一〇○万もの人々に仕事がないことを受けて、マーガレット・サッチャー率いる保守党は、「労働党は働いていない」という悪名高いポスターでジェイムズ・キャラハンの政府を猛攻撃した。
歴代政府が就業不能給付を使って失業率を操作するうち、議論の前提条件も変わった。失業は公衆衛生の問題として見直され、とくに、多数の受給者が本当に働けないほど健康を害しているのかどうかが議論された。生活保護の受給者を減らすためにニュー・レイバーと保守党の政治家たちが用いた理屈は、本質的には正しい。たしかに一般論としては、仕事をしたほうが個人も家族も生活が楽になる。しかし彼らは、「失業者を雇う仕事はどこにあるのか」という問いを、はなから無視していた。仕事があったとしても、たいてい低賃金の臨時雇いで条件の悪いものだった。
こうして、もうひとつの核となる要求が明らかになる。すなわち、健全で、熟練を要し、安定した、高賃金の仕事だ。これは、失業者のためだけではない。低賃金のサービス業で働く多くの労働者にとっても、別の選択肢を与えることになる。
「私たちがいま話しているのは、産業政策の立案です」と、〈新経済財団〉のエイリス・ローラーは言う。「つまり、欠けたまんなかの部分の熟練労働職を埋める産業を支援し、発展させると決めて、それを貧しい地域や、不況で疲弊した地域に重点的に割り当てる。ほかのいくつかの産業に対する政策も必要です」。労働党政権は、くたびれた晩年に産業政策を弄んだが、製造業が崩壊して一三年もたったあとでは、とうてい大胆さが足りなかった。保守党でさえ、「経済の再調整」や「もう二度ものづくりのイギリス」について議論しているいま、実現可能な新しい産業戦略を立てる政治的余地は充分ある。
好条件の仕事を求める運動は、広範囲に及ぶ社会変革のきっかけになるかもしれない。仕事の創出は、労働者階級コミュニティに深く根をおろした問題の解決にも役立つだろう。住宅問題は、労働者階級の家庭の多くが直面している大きな危機のひとつだが、公営住宅を建てる国家政策には大量の熟練労働が必要となるし、建設業界も活発にし、さらに好条件の仕事を増やすことにもっながる。
〈ディフェンド・カウンシル・ハウジング〉のアラン・ウォルターは、労働党政権の末期に、市場が国民の要求を満せなかったのだから、「いまこそ、第三世代のすばらしい公営住宅の建設に投資すべきだ」と言った。「最高の環境基準にしたがってきちんと設計、建設され、まわりにすぐれた公共施設があり、交通の便がいい公営住宅を建てれば、ようやくわれわれはどこに住もうかという悩みから解放され、二一世紀の住宅提供に集中することができる」
また、仕事を作る運動は、環境危機の課題にも対処することができる。力強い再生可能于不ルギー部門を作り、住宅や事業所に断熱処置をほどこす国家プロジェクト、「グリーン・ニューディール」は、何十万もの雇用を生み出すだろう。「経済政策と環境政策を結びつけるのは政府の役割だと思う」と、ガーディアン紙の経済担当編集者ラリー・エリオットは言う。
非熟練労働者は大勢いるか、建設やそのまわりの業界で働く半熟練労働者に関しては、これまでとまったくちがう状況を政府が作り出せる。家を断熱しながら、同時に新しいグリーン部門を作っていくような、すぐれた政策ができるだろう。住宅に設置する製品は、製造基盤の強化に役立ちそうだ。仕事と新しい産業を創出するこの政府の取り組みで、相乗効果が生まれるにちがいない。
新しい仕事が多数生まれるだけではない。労働者階級の人々が、生活に直結する問題として環境にかかわることにもなる。階級政治にいくらかグリーンが加わるのだ。
言うまでもなく、新しい仕事は古い仕事に代わるものではない。むしろそうなってはいけない。たとえば、清掃員、ゴミ収集業者、バス運転手、スーパーマーケットのレジ係、秘書などがすべていなくなったら、社会は急停止する。他方、高給取りの広告会社の重役や、経営コンサルタント、未公開株式売買の責任者がある日突然いなくなっても、社会は以前とほとんどかわらず、ことによると多くの場合、かなり改善するかもしれない。最初の大きな一歩は、労働者が誇りや社会的価値の感覚を取り戻すことだ。そうすれば、生活全般における彼らの重要性を反映させるために、低賃金の労働条件を改善しなければならない、という議論に大きく踏み出せるだろう。
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