未唯への手紙
未唯への手紙
微分方程式は賢い
『微分方程式』より
微分方程式は賢い。
アインシュタイン方程式はアインシュタインよりも賢い!
シュレディンガー方程式はシュレディンガーよりも賢い!
ディラック方程式はディラックよりも賢い!
アインュタインは宇宙は永遠に不変不滅だと信じていたが、アインシュタイン方程式は宇宙が定常ではありえないことを教えた。シュレディンガーは、物理学の基本量は何らかの物理的実在を表すものと思い込んでいたが、シュレディンガー方程式の解である波動関数は確率解釈でしか観測と関係づけられないものだった。ディラックは電子のディラック方程式から存在が導かれる正電荷の粒子を無理矢理に陽子と同定しようとしたが、じつは陽電子が実在したのだった。20世紀の初頭に現れた物理学の基礎理論の3大革命「特殊および一般相対論」「量子力学」「相対論的量子論」のそれぞれを代表するものというべきアインシュタイン方程式、シュレディンガー方程式、ディラック方程式は、いずれも微分方程式である。アインシュタイン方程式は重力の場が時空構造を支配する「時空計量」であって、連立非線形偏微分方程式に従うことを示したものである。シュレディンガー方程式は、一切の「日常常識」が通用しないミクロの世界においても、偏微分方程式によって物理が正確に記述されることを明らかにした。ディラック方程式は、特殊相対論と量子論の融合が必然的に反粒子の存在を導くという驚くべき結論を生んだ。
現在の物理学の基礎理論は素粒子の「標準模型」もしくは「標準理論」とよばれる理論である。その理論的定式化は「場の量子論」とよばれる体系に基づいている。まだ完ぺきとはいえないが、実験的にも理論的にも極めて満足すべき理論である。場の量子論の基本的対象は素粒子そのものではなく、「量子場」とよばれるオペレータ(非可換量)である場(時空の関数)であって、作用積分から変分原理によって導かれる偏微分方程式系によって記述される。
標準理論は重力場を含まない。重力場の古典論であるアインシュタインの一般相対論は、理論的にも実証的にもみごとな成功を収めた人類のもつ最も輝かしい理論であるといえる。素粒子の標準理論は重力場を含まないが、アインシュタインの一般相対論の重力場を量子場として場の量子論の枠組に含めることは可能である。これを「量子アインシュタイン重力」という。場の量子論本来の姿である「ハイゼンベルク描像」において、量子アインシュタイン重力は極めて美しい定式化ができる。しかるに「アインシュタインの重力理論は量子化できない」という、誤った根拠に基づく俗説が巷に流布しているようだ。これはまことに残念なことである。この俗説の真相は次の通りである。
場の量子論の方程式を解くのは非常に難しい。それで通常「共変的摂動論」という近似法が用いられる。これは理論の出発点になっている作用積分を人為的に「自由場の部分」と「相互作用の部分」とに分け、前者を先に処理してしまう「相互作用描像」というものに立脚する計算法である。「相互作用定数」というパラメータのべき級数に展開し、低次から順次「ファインマン・ダイアグラム」を用いて計算を行う。この共変的摂動論の方法で計算すると、よく結果に無限大が現れる。これを「発散の困難」というが、標準理論では発散の困難は「くりこみ」とよばれる処方によって、観測可能量からはすべて消去できることが証明されている。この意味で標準理論は予言能力のある理論なのである。ところが、同じことを量子アインシュタイン重力の場合に適用すると、発散の困難はくりこみによって回避できない。したがって、量子アインシュタイン重力は予言能力がない、すなわち物理として意味がないということになった。これが上述の俗説の理論的根拠である。
しかし、共変的摂動論という計算法での困難を理論そのものの困難にすり替えたという点で、この推論は明らかに論理が飛躍している。が、そればかりでなく、根本から間違っているのだ。量子アインシュタイン重力に相互作用描像を導入することはできないのである。共変的摂動論が使えた理論はすべて特殊相対論の枠組みで構成された理論である。この場合、時空計量は「ミンコフスキー計量」というものが先験的に与えられていて、時空構造のみならず座標系さえもあらかじめ決められているのである。ところがアインシュタイン重力では、時空計量そのものがアインシュタイン方程式の解なのであって、あらかじめ決まった時空計量などは一般相対論の作用積分のどこを探しても存在しない。そこでどうしても共変的摂動論を適用して量子重力をファインマン・ダイアグラムで計算をしたい人は、次のようなインチキを考案した。量子重力場の第0近似(重力定数をゼロにした極限)はミンコフスキー計量のような特定の計量(可換量)だと仮定して座標系まで固定したのである。これは一般相対論の屋台骨である「一般相対性原理」、すなわち「どんなに一般的な座標変換をしても理論の形は変わらない」という原理に真っ向から反することだ。座標系まで最初から勝手に選定したのでは、もはやアインシュタイン重力とはいえない。第0近似を勝手に決めるとはどういうことか、次のような比喩からも明らかであろう。あるフックス型の微分方程式の解として特殊関数 F(x)を定義したいと考えたとする。そのとき、確定特異点のところでの展開を考えるのだが、決定方程式を無視し、最低次として自分に都合のよいものを勝手に仮定してJのべき展開を計算したとする。これで正しい F(x)が求まるだろうか。どんなおかしな結果が出てきたとしても、それでもとの微分方程式は意味がないなどと結論できないであろう。量子重力でも、重力定数のべき級数に展開して計算するとき、その理論から定まる正しい最低次の結果を用いないで計算して、くりこみ不可能な発散の困難が現れても、それを理論そのものの欠陥とみなすことはできないはずである。
以上の議論から明らかなように、量子アインシュタイン重力には共変的摂動論が使えない。重力場の量子論はハイゼンベルク描像において解かねばならない、筆者は、筆者のところの助教であった阿部光雄氏と協力して、場の量子論をハイゼンベルク描像で解く一般的方法を開発した。この方法の第1段階は量子場が満たす偏微分方程式系の解を構成することである。偏微分方程式の初期値問題はコーシー問題とよばれるが、通常のコーシー問題と異なるところは、扱う対象がオペレータであることだ。偏微分方程式は一般に非線形なので、特別簡単な理論モデルを除き、厳密解を求めることは不可能である。そこで相互作用定数についてのべき展開を行う。このべき展開は共変的摂動論での展開と同じではない。第0近似は一般に非線形偏微分方程式であるが、簡単な理論モデルの場合に帰着することが多い。第1次以上の近似では、第O次の量を係数に含む非同次の線形偏微分方程式になる。これを常微分方程式に簡略化すると、第3章3節で考えたような非可換量を含む線形微分方程式になる。したがって、このような微分方程式の解法を偏微分方程式に拡張することが重要な問題である。
コーシー問題が解けたら、第2段階の「オペレータの表現」を決める考察が必要であるが、微分方程式とは関係のない話なので省略する。
筆者らは量子アインシュタイン重力の場合、重力定数でべき展開して第0近似をあらわに求めた。これは第1段階のみならず、第2段階も完全に遂行できる。その結果はもちろん共変的摂動論で勝手に仮定した第O近似とは異なるものである。正しい第0近似は、一般座標変換の量子論版である「BRS変換」という変換のもとで不変になっている。ミンコフスキー計量のような特定の座標系が選定されるのは。オペレータの表現の段階で起こる「自発的対称性の破れ」の結果としてである。標準理論において、光子以外の素粒子が質量をもつのは「カイラル対称性」の自発的破れのおかげであって、もし手抜きして作用積分に直接質量を持ち込めば、理論はくりこみ不可能になる。量子アインシュタイン重力の共変的摂動論がくりこみ不可能になったのは、これと同様に手抜きして時空計量を作用積分に直接持ち込んだからだと考えてもおかしくないであろう。
1970年代以降、素粒子物理学の理論の定式化に「経路積分法」というものが多く用いられるようになった。これはもともとオペレータ形式での場の量子論から得られる共変的摂動論の結果を、途中をすっ飛ばして一挙に積分形(母関数の形で)で与える方法であった。しかし近頃は、そういう根拠づけができない場合にも、経路積分法が拡張された意味でしばしば用いられている。だが、このような拡大解釈に基づく経路積分理論の予言が実験的に確かめられた例は1つもない。正しい物理学の基礎理論は、ニュートン以来の伝統である微分方程式に支えられたオペレータ形式の場の量子論(もしくはその拡張)で定式化できるはずだと、筆者は信じている。
微分方程式は賢い。
アインシュタイン方程式はアインシュタインよりも賢い!
シュレディンガー方程式はシュレディンガーよりも賢い!
ディラック方程式はディラックよりも賢い!
アインュタインは宇宙は永遠に不変不滅だと信じていたが、アインシュタイン方程式は宇宙が定常ではありえないことを教えた。シュレディンガーは、物理学の基本量は何らかの物理的実在を表すものと思い込んでいたが、シュレディンガー方程式の解である波動関数は確率解釈でしか観測と関係づけられないものだった。ディラックは電子のディラック方程式から存在が導かれる正電荷の粒子を無理矢理に陽子と同定しようとしたが、じつは陽電子が実在したのだった。20世紀の初頭に現れた物理学の基礎理論の3大革命「特殊および一般相対論」「量子力学」「相対論的量子論」のそれぞれを代表するものというべきアインシュタイン方程式、シュレディンガー方程式、ディラック方程式は、いずれも微分方程式である。アインシュタイン方程式は重力の場が時空構造を支配する「時空計量」であって、連立非線形偏微分方程式に従うことを示したものである。シュレディンガー方程式は、一切の「日常常識」が通用しないミクロの世界においても、偏微分方程式によって物理が正確に記述されることを明らかにした。ディラック方程式は、特殊相対論と量子論の融合が必然的に反粒子の存在を導くという驚くべき結論を生んだ。
現在の物理学の基礎理論は素粒子の「標準模型」もしくは「標準理論」とよばれる理論である。その理論的定式化は「場の量子論」とよばれる体系に基づいている。まだ完ぺきとはいえないが、実験的にも理論的にも極めて満足すべき理論である。場の量子論の基本的対象は素粒子そのものではなく、「量子場」とよばれるオペレータ(非可換量)である場(時空の関数)であって、作用積分から変分原理によって導かれる偏微分方程式系によって記述される。
標準理論は重力場を含まない。重力場の古典論であるアインシュタインの一般相対論は、理論的にも実証的にもみごとな成功を収めた人類のもつ最も輝かしい理論であるといえる。素粒子の標準理論は重力場を含まないが、アインシュタインの一般相対論の重力場を量子場として場の量子論の枠組に含めることは可能である。これを「量子アインシュタイン重力」という。場の量子論本来の姿である「ハイゼンベルク描像」において、量子アインシュタイン重力は極めて美しい定式化ができる。しかるに「アインシュタインの重力理論は量子化できない」という、誤った根拠に基づく俗説が巷に流布しているようだ。これはまことに残念なことである。この俗説の真相は次の通りである。
場の量子論の方程式を解くのは非常に難しい。それで通常「共変的摂動論」という近似法が用いられる。これは理論の出発点になっている作用積分を人為的に「自由場の部分」と「相互作用の部分」とに分け、前者を先に処理してしまう「相互作用描像」というものに立脚する計算法である。「相互作用定数」というパラメータのべき級数に展開し、低次から順次「ファインマン・ダイアグラム」を用いて計算を行う。この共変的摂動論の方法で計算すると、よく結果に無限大が現れる。これを「発散の困難」というが、標準理論では発散の困難は「くりこみ」とよばれる処方によって、観測可能量からはすべて消去できることが証明されている。この意味で標準理論は予言能力のある理論なのである。ところが、同じことを量子アインシュタイン重力の場合に適用すると、発散の困難はくりこみによって回避できない。したがって、量子アインシュタイン重力は予言能力がない、すなわち物理として意味がないということになった。これが上述の俗説の理論的根拠である。
しかし、共変的摂動論という計算法での困難を理論そのものの困難にすり替えたという点で、この推論は明らかに論理が飛躍している。が、そればかりでなく、根本から間違っているのだ。量子アインシュタイン重力に相互作用描像を導入することはできないのである。共変的摂動論が使えた理論はすべて特殊相対論の枠組みで構成された理論である。この場合、時空計量は「ミンコフスキー計量」というものが先験的に与えられていて、時空構造のみならず座標系さえもあらかじめ決められているのである。ところがアインシュタイン重力では、時空計量そのものがアインシュタイン方程式の解なのであって、あらかじめ決まった時空計量などは一般相対論の作用積分のどこを探しても存在しない。そこでどうしても共変的摂動論を適用して量子重力をファインマン・ダイアグラムで計算をしたい人は、次のようなインチキを考案した。量子重力場の第0近似(重力定数をゼロにした極限)はミンコフスキー計量のような特定の計量(可換量)だと仮定して座標系まで固定したのである。これは一般相対論の屋台骨である「一般相対性原理」、すなわち「どんなに一般的な座標変換をしても理論の形は変わらない」という原理に真っ向から反することだ。座標系まで最初から勝手に選定したのでは、もはやアインシュタイン重力とはいえない。第0近似を勝手に決めるとはどういうことか、次のような比喩からも明らかであろう。あるフックス型の微分方程式の解として特殊関数 F(x)を定義したいと考えたとする。そのとき、確定特異点のところでの展開を考えるのだが、決定方程式を無視し、最低次として自分に都合のよいものを勝手に仮定してJのべき展開を計算したとする。これで正しい F(x)が求まるだろうか。どんなおかしな結果が出てきたとしても、それでもとの微分方程式は意味がないなどと結論できないであろう。量子重力でも、重力定数のべき級数に展開して計算するとき、その理論から定まる正しい最低次の結果を用いないで計算して、くりこみ不可能な発散の困難が現れても、それを理論そのものの欠陥とみなすことはできないはずである。
以上の議論から明らかなように、量子アインシュタイン重力には共変的摂動論が使えない。重力場の量子論はハイゼンベルク描像において解かねばならない、筆者は、筆者のところの助教であった阿部光雄氏と協力して、場の量子論をハイゼンベルク描像で解く一般的方法を開発した。この方法の第1段階は量子場が満たす偏微分方程式系の解を構成することである。偏微分方程式の初期値問題はコーシー問題とよばれるが、通常のコーシー問題と異なるところは、扱う対象がオペレータであることだ。偏微分方程式は一般に非線形なので、特別簡単な理論モデルを除き、厳密解を求めることは不可能である。そこで相互作用定数についてのべき展開を行う。このべき展開は共変的摂動論での展開と同じではない。第0近似は一般に非線形偏微分方程式であるが、簡単な理論モデルの場合に帰着することが多い。第1次以上の近似では、第O次の量を係数に含む非同次の線形偏微分方程式になる。これを常微分方程式に簡略化すると、第3章3節で考えたような非可換量を含む線形微分方程式になる。したがって、このような微分方程式の解法を偏微分方程式に拡張することが重要な問題である。
コーシー問題が解けたら、第2段階の「オペレータの表現」を決める考察が必要であるが、微分方程式とは関係のない話なので省略する。
筆者らは量子アインシュタイン重力の場合、重力定数でべき展開して第0近似をあらわに求めた。これは第1段階のみならず、第2段階も完全に遂行できる。その結果はもちろん共変的摂動論で勝手に仮定した第O近似とは異なるものである。正しい第0近似は、一般座標変換の量子論版である「BRS変換」という変換のもとで不変になっている。ミンコフスキー計量のような特定の座標系が選定されるのは。オペレータの表現の段階で起こる「自発的対称性の破れ」の結果としてである。標準理論において、光子以外の素粒子が質量をもつのは「カイラル対称性」の自発的破れのおかげであって、もし手抜きして作用積分に直接質量を持ち込めば、理論はくりこみ不可能になる。量子アインシュタイン重力の共変的摂動論がくりこみ不可能になったのは、これと同様に手抜きして時空計量を作用積分に直接持ち込んだからだと考えてもおかしくないであろう。
1970年代以降、素粒子物理学の理論の定式化に「経路積分法」というものが多く用いられるようになった。これはもともとオペレータ形式での場の量子論から得られる共変的摂動論の結果を、途中をすっ飛ばして一挙に積分形(母関数の形で)で与える方法であった。しかし近頃は、そういう根拠づけができない場合にも、経路積分法が拡張された意味でしばしば用いられている。だが、このような拡大解釈に基づく経路積分理論の予言が実験的に確かめられた例は1つもない。正しい物理学の基礎理論は、ニュートン以来の伝統である微分方程式に支えられたオペレータ形式の場の量子論(もしくはその拡張)で定式化できるはずだと、筆者は信じている。
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