未唯への手紙
未唯への手紙
フェイスブック
『R30の欲望スイッチ』より SNS 見えと都合
○みんな、「手紙」が欲しかった
フェイスブックの人気の理由は、よく言われているように「つながりたい」欲求を満たせるツールだったことにある。基本的に知り合い同士でつながるものであるために、ツイッターと比べても結びつきが強い。じゃあフェイスブックにおける「つながり」とは具体的にどういった種類のものなのだろうか。ひとくちにつながると言ってもいろいろあって、「電話」と「メール」と「チャット」ではつながり方が全然違う。フェイスブックは公開日記などとも言われているが、世の中にあるもので一番近いのは「写真つきの手紙」や「絵はがき」、あるいは「年賀状」などだろう。
疲れた体で仕事から帰ってきて家の郵便受けを開けたときに、友達からの手紙や絵はがきが入っていたらちょっと嬉しい。フェイスブックが好まれたのは、そういう嬉しさを毎日最大限に昧わえる仕組みを作ったからだ。だから単純に言ってしまえば、みんな「手紙が欲しかった」のだ。
考えてみると、手紙は様々なコミュニケーションメディアによって長いあいだ隅に追いやられていた。まず電話ができたことによって、近況報告をそれで済ませる人が増え、その後メールが普及して「簡単さ」と「安さ」で手紙のポジションを奪ってしまった。ちょっとした用事ならば、ほとんどの人が電話かメールで済ませるようになり、手紙は古典的なコミュニケーションメディアとして、ビジネスの場や限られた用事のためにしか使われなくなったのだ。でもそのあいだ手紙が人々に望まれていなかったかというとそうではなくて、単に書いて出す手間がかかるのが面倒臭がられていただけだった。やはり貰うと嬉しいものだし、その嬉しさは(メールに押されながらも続いていた)年賀状が証明している。
そして変化が訪れたのは、ミクシィが出てきたときだ。あれはまだ文章メインの公開日記でしかなかったが、日々の出来事をみんながネット上で報告するようになった。ただ、ユーザーはあくまでも若年層が中心で、当時はまだスマートフォンも普及しておらず、パソコン環境がないと使えなかった。しかしスマホの台頭によってそれらの問題も解決し、そこにフェイスブックが入ってきたのだ。速さと気軽さはコミュニケーションを活性化させ、投稿が写真をメインにして成り立つことも〝近況報告をする〟というハードルを下げた。要するにフェイスブックは「手紙が持っている温かみ」が、ツールの進歩によって「楽に享受できるようになった」メディアなのだ。
ただ、フェイスブックを長く続けることで見えてきたものもあるのではないか。それは結局のところ、求めているのは「親しい人とのつながり」だったということだ。興味本位で昔の同級生や知り合いとつながりはしたものの、最終的にはタイムライン上で探しているのは仲のいい人の投稿だという人は多いだろう。言うなれば、興味のない人からの手紙(投稿)は「DM」になっていったというわけだ。だから親しい人が多ければ(あるいはその人たちが定期的に投稿していれば)フェイスブックはきっといつまでも楽しいし、そうでなければ見ることすら億劫なものになっていく。DMだらけの郵便受けなんて、見ても疲れが溜まるだけだからだ。
もちろんフェイスブックが誰にとってもメリットがないものかと言うとそうではなくて、知り合いに何かを一斉に報告するときにはこの上なく便利なツールではある。一人一人にいちいち手紙やはがきを書く手間が省けるし、ネットができる環境さえあれば費用も一切いらないからだ。
個人的にはフェイスブックから離れた人が、手書きの良さを再認識して手紙や年賀状を出すようになってほしいなと思う。親しい人への報告もメールがあれば十分ではあるけれど、手間ひまをかけるからこそ生まれてくる人間関係というのが世の中にはあると思うのだ。
○他人から良く思われたい「見栄」
「手紙がほしい」が受け手の欲望のひとつだとするならば、もう一つフェイスブックを見ていて思うのは「他人から良く思われたい」欲望が見え隠れすることだろうか。
わかりやすいのが「いいね!」ボタンだ。同じ「いいね」でも「見たよ」程度の印から、本当に仲がいい人に対する励ましや肯定まで幅広いのだが、記事を投稿する人で「いいね」が欲しくない人はまずいないだろう。〝承認欲求〟とも言われるけれど、もしこの仕組みがなかったら、フェイスブックの楽しさは大幅に減ると言っていい。
また、写真を投稿する際にも、同じように良く思われるための工夫がされている。わざわざ言うことでもないかもしれないが、多くの人が「写真の加工や調整」をしているからだ。
フェイスブックに投稿する写真をいい加減に決めて載せている人はまずいない。厳密に言えば、撮るときに構図を考えているわけで、その次に撮れた写真の中からいいものを選び、さらにこだわる人はフィルターなどをかけて加工しているのだから、2~3の過程を経てOKになったものだけがアップされていることになる。そしてそれぞれの審査の際に重要視されるのは「どうすれば印象が良くなるか」なのだ。それだけでなく、複数枚アップするときは並べたときのバランスも考慮されている。多くの場合はそこに文章もっくわけで、これも写真の魅力が増すように形が整えられてい
若い人はこういうことをごく当たり前にやっているのだけれど、客観的に見ると、この「調整の技術」は相当すごいものがある。昔からできたわけではないので、この何年かで若者が飛躍的に伸ばした技術だと言えるだろう。今や多くの人がカメラマンを兼ねた編集者になっているようなものなのだ(この辺りは世代間の溝も深いところで、年配の人が「とりあえず撮れればOK」くらいの適当な感じで携帯カメラで撮影しているのを見ると、若者は「えっ、なんで…」と引いてしまうことがある)。
それからフェイスブックでは、最初は楽しかったのだけど、友達申請を許可しすぎて、そんなに親しくない人ともつながってしまった人が多いと思う。欲しくもない「いいね」やコメントをもらったりするのも僻陶しいし、親しい人なら報告したいことでも、それ以外の人が見ていると思うと及び腰になったりもするだろう。また、特に興味がない人たちのつまらない近況報告をたくさん見て、自分はこんなふうになりたくない、ちょっと報告しようかと思ったこともあったけど、わざわざ言うことでもないか、と投稿をやめてしまう人もいるんじゃないだろうか。でもそういうのもすべて「他人に良く思われたい」がゆえなのだ。もっと言えば、フェイスブックのアカウントを持っていない人でさえ、その気持ちを持っている。自分はプライペートの自慢大会には参加したくない、そんなにバカじゃないと思っていたりするからだ。もちろん本当に興味がないならいいのだが、やっている人を見下す気持ちがある限り、自分はフェイスブックなんてやらない良識のある人間だと思われたいと言える。
僕もフェイスブックを「他人に良く思われたい」がゆえに利用して、同じ理由でやめてしまった人間なので言うのだが、この水面下の「見栄」こそが、フェイスブックを始めとするSNSの世界にはびこる一番の欲望だと思う。本当はみんなそんなことを気にせずにやればいいのだ。でもそれができない辺りに、現代の日本が持つ独特の空気がある。
○みんな、「手紙」が欲しかった
フェイスブックの人気の理由は、よく言われているように「つながりたい」欲求を満たせるツールだったことにある。基本的に知り合い同士でつながるものであるために、ツイッターと比べても結びつきが強い。じゃあフェイスブックにおける「つながり」とは具体的にどういった種類のものなのだろうか。ひとくちにつながると言ってもいろいろあって、「電話」と「メール」と「チャット」ではつながり方が全然違う。フェイスブックは公開日記などとも言われているが、世の中にあるもので一番近いのは「写真つきの手紙」や「絵はがき」、あるいは「年賀状」などだろう。
疲れた体で仕事から帰ってきて家の郵便受けを開けたときに、友達からの手紙や絵はがきが入っていたらちょっと嬉しい。フェイスブックが好まれたのは、そういう嬉しさを毎日最大限に昧わえる仕組みを作ったからだ。だから単純に言ってしまえば、みんな「手紙が欲しかった」のだ。
考えてみると、手紙は様々なコミュニケーションメディアによって長いあいだ隅に追いやられていた。まず電話ができたことによって、近況報告をそれで済ませる人が増え、その後メールが普及して「簡単さ」と「安さ」で手紙のポジションを奪ってしまった。ちょっとした用事ならば、ほとんどの人が電話かメールで済ませるようになり、手紙は古典的なコミュニケーションメディアとして、ビジネスの場や限られた用事のためにしか使われなくなったのだ。でもそのあいだ手紙が人々に望まれていなかったかというとそうではなくて、単に書いて出す手間がかかるのが面倒臭がられていただけだった。やはり貰うと嬉しいものだし、その嬉しさは(メールに押されながらも続いていた)年賀状が証明している。
そして変化が訪れたのは、ミクシィが出てきたときだ。あれはまだ文章メインの公開日記でしかなかったが、日々の出来事をみんながネット上で報告するようになった。ただ、ユーザーはあくまでも若年層が中心で、当時はまだスマートフォンも普及しておらず、パソコン環境がないと使えなかった。しかしスマホの台頭によってそれらの問題も解決し、そこにフェイスブックが入ってきたのだ。速さと気軽さはコミュニケーションを活性化させ、投稿が写真をメインにして成り立つことも〝近況報告をする〟というハードルを下げた。要するにフェイスブックは「手紙が持っている温かみ」が、ツールの進歩によって「楽に享受できるようになった」メディアなのだ。
ただ、フェイスブックを長く続けることで見えてきたものもあるのではないか。それは結局のところ、求めているのは「親しい人とのつながり」だったということだ。興味本位で昔の同級生や知り合いとつながりはしたものの、最終的にはタイムライン上で探しているのは仲のいい人の投稿だという人は多いだろう。言うなれば、興味のない人からの手紙(投稿)は「DM」になっていったというわけだ。だから親しい人が多ければ(あるいはその人たちが定期的に投稿していれば)フェイスブックはきっといつまでも楽しいし、そうでなければ見ることすら億劫なものになっていく。DMだらけの郵便受けなんて、見ても疲れが溜まるだけだからだ。
もちろんフェイスブックが誰にとってもメリットがないものかと言うとそうではなくて、知り合いに何かを一斉に報告するときにはこの上なく便利なツールではある。一人一人にいちいち手紙やはがきを書く手間が省けるし、ネットができる環境さえあれば費用も一切いらないからだ。
個人的にはフェイスブックから離れた人が、手書きの良さを再認識して手紙や年賀状を出すようになってほしいなと思う。親しい人への報告もメールがあれば十分ではあるけれど、手間ひまをかけるからこそ生まれてくる人間関係というのが世の中にはあると思うのだ。
○他人から良く思われたい「見栄」
「手紙がほしい」が受け手の欲望のひとつだとするならば、もう一つフェイスブックを見ていて思うのは「他人から良く思われたい」欲望が見え隠れすることだろうか。
わかりやすいのが「いいね!」ボタンだ。同じ「いいね」でも「見たよ」程度の印から、本当に仲がいい人に対する励ましや肯定まで幅広いのだが、記事を投稿する人で「いいね」が欲しくない人はまずいないだろう。〝承認欲求〟とも言われるけれど、もしこの仕組みがなかったら、フェイスブックの楽しさは大幅に減ると言っていい。
また、写真を投稿する際にも、同じように良く思われるための工夫がされている。わざわざ言うことでもないかもしれないが、多くの人が「写真の加工や調整」をしているからだ。
フェイスブックに投稿する写真をいい加減に決めて載せている人はまずいない。厳密に言えば、撮るときに構図を考えているわけで、その次に撮れた写真の中からいいものを選び、さらにこだわる人はフィルターなどをかけて加工しているのだから、2~3の過程を経てOKになったものだけがアップされていることになる。そしてそれぞれの審査の際に重要視されるのは「どうすれば印象が良くなるか」なのだ。それだけでなく、複数枚アップするときは並べたときのバランスも考慮されている。多くの場合はそこに文章もっくわけで、これも写真の魅力が増すように形が整えられてい
若い人はこういうことをごく当たり前にやっているのだけれど、客観的に見ると、この「調整の技術」は相当すごいものがある。昔からできたわけではないので、この何年かで若者が飛躍的に伸ばした技術だと言えるだろう。今や多くの人がカメラマンを兼ねた編集者になっているようなものなのだ(この辺りは世代間の溝も深いところで、年配の人が「とりあえず撮れればOK」くらいの適当な感じで携帯カメラで撮影しているのを見ると、若者は「えっ、なんで…」と引いてしまうことがある)。
それからフェイスブックでは、最初は楽しかったのだけど、友達申請を許可しすぎて、そんなに親しくない人ともつながってしまった人が多いと思う。欲しくもない「いいね」やコメントをもらったりするのも僻陶しいし、親しい人なら報告したいことでも、それ以外の人が見ていると思うと及び腰になったりもするだろう。また、特に興味がない人たちのつまらない近況報告をたくさん見て、自分はこんなふうになりたくない、ちょっと報告しようかと思ったこともあったけど、わざわざ言うことでもないか、と投稿をやめてしまう人もいるんじゃないだろうか。でもそういうのもすべて「他人に良く思われたい」がゆえなのだ。もっと言えば、フェイスブックのアカウントを持っていない人でさえ、その気持ちを持っている。自分はプライペートの自慢大会には参加したくない、そんなにバカじゃないと思っていたりするからだ。もちろん本当に興味がないならいいのだが、やっている人を見下す気持ちがある限り、自分はフェイスブックなんてやらない良識のある人間だと思われたいと言える。
僕もフェイスブックを「他人に良く思われたい」がゆえに利用して、同じ理由でやめてしまった人間なので言うのだが、この水面下の「見栄」こそが、フェイスブックを始めとするSNSの世界にはびこる一番の欲望だと思う。本当はみんなそんなことを気にせずにやればいいのだ。でもそれができない辺りに、現代の日本が持つ独特の空気がある。
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