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『ユダヤ人国家』刊行から百二十年の間に実現した夢

『イスラエル』より バルフォア宣言から一世紀--「ユダヤ民族のための民族郷土」

シオニスト運動はユダヤ民族にあらゆる約束をした。実現したものもあれば、しなかったものもある。

テオドール・ヘルツェルは『ユダヤ人国家』で、ユダヤ人が独自の国家を持てば、ヨーロッパでのユダヤ人排斥は消えてなくなると断言した。残念ながら無垢な予測だった。ヨーロッパにおけるユダヤ人排斥の動きは、驚くべき比率で増加し、フランスのユダヤ人はヨーロッパから逃げ出している。反ユダヤ系の政党は、極左にもファシストの右派にも、ヨーロッパ大陸のどこにおいても起こり得るとして、ユダヤ人は警戒を強めている。

ユダヤ国家は、ヘルツェルが全く予想しなかった形で、海外のユダヤ人に深刻な影響を及ぼしている。イスラエルだけがユダヤ精神のすべてではないが、海外のユダヤ人を何よりも刺激するのはイスラエルである。世界中のユダヤ人を大規模な集会やデモに参加させる動機は唯一つ、イスラエルに関してのみである。それ以外のユダヤ人の生活面については、ほとんど個人の領域に追いやられ、宗派間ではあまりにもしきたりが違うため、多種多様なユダヤ人コミュニティには共通点がほとんどない。海外暮らしのユダヤ人が共に集まり、ユダヤ人であることが個人の領域を離れて公の場に入ってくるのは、彼らがユダヤ国家の情勢を考え、論議するときだ。ジェイコブ・ブラウスティン同様、アメリカのユダヤ人も、異郷に暮らしていると思っていないのは同意見だが、それでもイスラエルが、他のどんなユダヤ的な問題よりも、彼らの注意と関心を引きつけている。つまり、ヘルツェルはあながち間違ってはいなかった。ユダヤ国家が、確かに海外のユダヤ人生活に変化をもたらしたのだ。

ヘルツェルは『古くて新しい地』の中で、復活したユダヤ民族が父祖たちの故郷で、周囲の人々と全く平和に暮らす理想郷的なビジョンを示した。このビジョンも部分的には確かに実現した。残っている仕事はまだたくさんあるが、アラブ系イスラエル人はイスラエルにおいて専門的、学術的、社会的、経済的な発展を遂げている。外科医もいれば、エンジニアもおり、弁護士や最高裁の判事もいる。遊牧民ベドウィンの女性も、イスラエルの大学で医学を学んでいる。

アラブ系イスラエル人の立場は確かに複雑だ。だが、ユダヤ国家と国外のアラブ人との関係のほうが、無限の危険に満ちている。近隣の国々との紛争には、果てしなく消耗するばかりで、終わりも解決も見えない。すでに国際社会はこの紛争に辟易しており、ユダヤ国家の中でも、イスラエル人の多くが行き詰まりを感じている。イシャヤフ・レイボヴィッチは正しかった。そのことを占領が証明している。他の民族を占領することにより、イスラエルは自ら嫌われる存在になろうとしている。かといって、今のところ他に方法があるとは思えない。世論調査によると、大半のイスラエル人が占領を終わらせたいと願っている。しかし世論調査はまた、大半のイスラエル人は現状を踏まえて、占領地を譲渡することによって引き起こされかねない安全面でのリスクを負うつもりがないことも示している。占領は、現代イスラエル人の生活において最も悩ましい一面である。

それでもシオニストの夢は、他の多くの面で、ユダヤ民族が抱いてきたどんな大胆な希望よりも傑出していた。エリエゼル・ベン・イェフダは、ユダヤ民族が再びヘブライ語を話すことを心に描いていた。とは言え、果たして数百万の人々がヘブライ語を話し、ヘブライ語作家が世界一流の小説家や詩人と目されるようになるなどと、彼は夢見ていただろうか。一世紀半前にはほとんど話されることのなかった言語で書かれた本が、やがてイスラエルの書店に何千冊も並ぶのを、彼は想像することができただろうか。

イスラエルの独立宣言がヘブライ語の復活について述べているのは偶然ではない。この古代語の復活は、豊かなユダヤ人の生活が回復されたことを表し、そして世界の他のどの場所でも真似できない形で、ユダヤ国家においてユダヤ民族が復興していることを象徴している。

A・D・ゴルドンは、帰還して土地を耕し、父祖たちの故郷の土にまみれ、民族を復活させることをユダヤ人に説いた。彼らはそのとおり実践した。ハイテク国家になった今も、イスラエル人は大地を耕している。イスラエルは水技術で世界をリードしている。北から南まで国中をハイキングすることは、若者だけでなく、その親や祖父母の世代が、今も熱中していることの一つである。国立公園は、祝祭日には人で溢れている。イスラエル人は過去百年間で、二億五千万本の木をこの地に植えてきた。二十世紀末の時点で、百年前の二十世紀初頭に比べてより多くの木が育っている国は世界で二つしかないが、その一つがイスラエルである。ゴルドンが願ったようにイスラエル人の誰もが農業に携わっているわけではないが、そう遠くない昔にはほとんどのユダヤ人が近づくことを許されなかった地を、彼らは愛するようになっている。

ビアリクもノルダウもジャボティンスキーも皆、ユダヤ民族が二度と犠牲者にならないよう訴えた。イスラエルはこのビジョンも実現した。イスラエルは今なおテロと戦っている。イランの核兵器の脅威を案じてはいるが、この七十年間、ユダヤ人は自らを守り、予想だにしない形で世界一流の軍事力を持つに至った。現在のイスラエル人は、ビアリクが「殺戮の街にて」で非難したヨーロッパのユダヤ人とは、全く違う。

武力行使は倫理的に決して単純ではない。特に民間人の密集する地に意図的に設けられたテロリストの拠点と戦わねばならないときは、殊の外、複雑である。だが、イスラエルはそのような問題を回避しない。時には失策をすることもある--それも、とてもひどく--が、イギリスのケンプ大佐が重要な真実を指摘しているように、イスラエル国防軍ほど一般市民の犠牲を回避しようと入念な対策を講じる軍隊は世界のどこにもない。この点についても、イスラエル人の大多数は、紛争を深く案じつつも、誇りに思っている。

アハッド・ハアムが夢見たイスラエルの地での精神的復興も実現した。イスラエル国民は、ユダヤの伝統や民族の古典に興じている。ベングリオンが見たら、仰天することだろう。イスラエルでは、作家や詩人が多くの人に親しまれている。代表的な社会運動家の多くが小説家であり、詩人や作家が国の紙幣に描かれている。イスラエル人が権力者に真実を訴えたいときには、しばしば作家を頼りにする。

ヘルツェルが『古くて新しい地』の読者に約束しているのは、ユダヤ人の避難所としてのみならず、ユダヤ国家が進歩と絶え間ない繁栄の源泉となることだった。この夢も実現した。イスラエルは、面積はニュージャージー州ほどの小さな国で、人口はロサンゼルスくらいなのに、医療技術は世界のトップレベルである。二〇一五年の世界大学ランキングでは、ヘブライ大学が六七位、テクニオン工科大学(いわばマサチューセッツエ科大学のイスラエル版)が七七位、ヴァイツマン研究所が一〇一位から一五〇位の間、テルアビブ大学が一五一位から二〇〇位の間にランクされた。教育を重視するユダヤの伝統は、第一回シオニスト会議での提案にも反映され、建国に先立ってイシューヴに大学を設立したことが桁外れの成果をもたらし、科学や経済、文学の分野で数多くのノーベル賞受賞者を輩出した。

ヘルツェルは彼のビジョンの中で、豊かに進歩した技術を世界の人々と共有することを述べているが、イスラエルはこれも達成した。メナヘム・ベギンが一九七七年に首相に就任してまず行なったのは、イスラエルの船に命じて、ベトナムのボート・ピープルを救うことだった。彼らは公海で飲み水もなく、絶望状況で漂流し、どの国の船からも無視されていた。イスラエルは彼らを救出し、全員に市民権を与えた。イスラエルの友と言うには程遠かったアメリカの大統領ジミー・ガーターは、後にベギンの決断を称えている。「それは、憐れみの行為であり、思いやりの行為だ。困窮した人々、自己実現を求めて自由でありたいと願う人々にとって、郷土がいかに大切かを政府に認識させた。その行為は、イスラエル民族の歴史的な苦闘を象徴している」とカーターは述べている。

ベギンの決断は、ヘルツェルが予想したとおり、ユダヤの歴史に根づいていた。ベギンはカーターにこう答えている。「私たちは、自らの民族の運命を忘れたことはない。迫害され、卑しめられ、遂には肉体的に抹殺されたことを。だから、私が首相として最初にした行為が、これらの人々をイスラエルの地に避難させることだったのは、当然である」。長年にわたってイスラエルは、数多くの自然災害に応じて人道的支援を行ない、しばしばどの国にも先んじて最大規模の緊急病院を設立してきた。

ヘルツェルのシオニスト会議は民主的であり、イスラエルはその伝統を踏襲してきた。第二次大戦後に百近くの国が独立しているが(そのほとんどが帝国崩壊の結果として独立)、イスラエルはその中でも数少ない、民主主義として始まり一度も途絶えることなく民主国家として機能している国である。 イスラエルにおける男女同権に関しては課題が多いが、注目に値するのは、建国以来イスラエルは、民主主義の世界では唯一、女性も軍隊に徴兵される国という点である。初めて女性を首相に選んだ民主国家の一つであり、初めて女性が最高裁長官を務めた国でもある。
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