未唯への手紙
未唯への手紙
グローバリゼーション
『健康と社会・生活』より 現代の生活と社会
第二次世界大戦後の世界を特徴づけてきた冷戦構造が解体してくるにっれ、1節で述べた国際社会の変化はさらに加速するようになった。この変化は今日「グローバリゼーション」と呼ばれることが多い。
その意味する内容は、吟味すると次の二つのことに要約できるだろう。
一つは情報技術の飛躍的発展により、出来事をほぼ同時に知ることができるようになったことである。空間的隔たりのもつ意味が極端に小さくなり、世界の共時化が進行した。それは、1991年の湾岸戦争においてすでにみられたが、その後の「9.11」や2003年のイラク攻撃においては、茶の間にその様相が生々しく、しかも時を同じくして伝えられた。このことは人びとの意識に実に大きな影響を与えたといってよい。世界のどこにいようが、人びとは同じ現在を生きているという感覚をもつようになった。それはさらに、自分とは関わりがないととらえていた事柄や人びとが、突然自分と関係があるという認識をもたらす結果にもなった。だからこそ、誰が何をどう伝えるかは、事態の進行に跳ね返ることになり、情報をめぐる争いも過熱することになった。
世界の共時化現象は現代世界に鋭い亀裂が存在することも明らかにした。日々暴力におののくことの多い国の人は、「9.11」に際しての論評において、「アメリカ人もこれで自分たちの恐怖を理解できるようになっただろう」と記した。一方、イラク侵攻に参加した米兵は、なぜイラクに来たかを問われ、「9.11があったから」「9.11とイラクは大量破壊兵器とその拡散に関連しているから」などと答えていた。
このように世界の共時化は世界の深い亀裂の存在とともに進行している。しかし、情報技術は格差を伴いつつ、途上国でも飛躍的に発展を遂げている。北アフリカ・中東では、学歴はあるが就職できないなどの不満を持つ都市の若者が、インターネットや携帯電話で連絡を取りながら反政府運動を展開した。このことが、2011年2月からの民主化をもたらす大きなきっかけになった。
「グローバリゼーション」のもう一つの要素は、冷戦構造の解体と密接に関連している。自由民主主義と市場経済化の徹底である。世界銀行、国際通貨基金、そして失進資本主義国は世界中に市場経済化の徹底を求めている。旧社会主義国や第三世界に対して市場経済化を促進する政策、すなわち構造調整の実施を求め、世界の一元化を促している。社会主義思想に対する評価が著しく低下している現在、市場経済化に対抗することが難しく、福祉国家は後退し、労働環境は厳しさを増している。特に第三世界の政府は、国際機関や「先進国」への従属を強めている。
こうしてますます富める者と貧しい者、勝者と敗者の溝を深めつつ、世界の一元化が進展している。このような経済的一元化とともに進行しているのが自由民主主義化である。
第二次世界大戦後の冷戦の下では、資本主義と社会主義の両陣営の問で民主主義について対立が存在していた。前者においては言論や結社の自由、あるいは機会の均等が重視され、後者においては貧困からの自由、あるいは分配の平等化が重視された。このような民主主義観の相違は、資本主義か社会主義かというイデオロギーの相違によるばかりか、多分に先進資本主義国と開発途上国との相違にもよったといえる。
ところが冷戦構造の解体と社会主義体制の崩壊は、貧困や弱者への対策を重視する社会民主主義的な考え方を弱め、社会的拘束からの自由、機会均等など形式的平等を重視する自由民主主義の考えを強めてきている。
情報技術の発達、自由民主主義の強化、そして市場経済の徹底は冷戦構造の解体と関連しているが、これらの根底にあるのは現代資本主義の動態である。それは競争原理の強化を伴う世界の一元化という特徴を有している。とはいえ、それは多面性をはらみっつ進行している。
その多面性とは何か。世界の一元化といっても、それは極めて不均等な構造を示している。あらゆるものが国境を越えて移動し、国家はその移動を統制できなくなっている。投機的な資金の流れによる金融危機はその一例である。国境の意味が薄れ汗国家の退場」がいわれるようになった。しかしながら国境は執拗に存続し、主権国家は厳然として存在することも否定できない。確かに人の移動を国家は十分統制できず、多くの国家は不法移民の増加に苦しんでいる。ところが、このこと自体が主権国家の強固な存在を暗示している。なぜなら国境を越える人の移動を統制する権利、すなわち国家が出入国管理権を有することが当然視され、それ故に不法性を帯びた人びとの移動が起きるのである。
国際組織の多くが依然として国家を主要な、あるいは唯一の構成メンバーとしているということも、主権国家の存続の証として指摘できるだろう。
環境問題のような地球規模の課題や普遍的人権概念の確立などにより、国家の主権はさまざまな形で制約されるようになっているが、他方で、主権国家の存続ということも現実である/こうした二面性において一元化をとらえる必要がある。
第二次世界大戦後の世界を特徴づけてきた冷戦構造が解体してくるにっれ、1節で述べた国際社会の変化はさらに加速するようになった。この変化は今日「グローバリゼーション」と呼ばれることが多い。
その意味する内容は、吟味すると次の二つのことに要約できるだろう。
一つは情報技術の飛躍的発展により、出来事をほぼ同時に知ることができるようになったことである。空間的隔たりのもつ意味が極端に小さくなり、世界の共時化が進行した。それは、1991年の湾岸戦争においてすでにみられたが、その後の「9.11」や2003年のイラク攻撃においては、茶の間にその様相が生々しく、しかも時を同じくして伝えられた。このことは人びとの意識に実に大きな影響を与えたといってよい。世界のどこにいようが、人びとは同じ現在を生きているという感覚をもつようになった。それはさらに、自分とは関わりがないととらえていた事柄や人びとが、突然自分と関係があるという認識をもたらす結果にもなった。だからこそ、誰が何をどう伝えるかは、事態の進行に跳ね返ることになり、情報をめぐる争いも過熱することになった。
世界の共時化現象は現代世界に鋭い亀裂が存在することも明らかにした。日々暴力におののくことの多い国の人は、「9.11」に際しての論評において、「アメリカ人もこれで自分たちの恐怖を理解できるようになっただろう」と記した。一方、イラク侵攻に参加した米兵は、なぜイラクに来たかを問われ、「9.11があったから」「9.11とイラクは大量破壊兵器とその拡散に関連しているから」などと答えていた。
このように世界の共時化は世界の深い亀裂の存在とともに進行している。しかし、情報技術は格差を伴いつつ、途上国でも飛躍的に発展を遂げている。北アフリカ・中東では、学歴はあるが就職できないなどの不満を持つ都市の若者が、インターネットや携帯電話で連絡を取りながら反政府運動を展開した。このことが、2011年2月からの民主化をもたらす大きなきっかけになった。
「グローバリゼーション」のもう一つの要素は、冷戦構造の解体と密接に関連している。自由民主主義と市場経済化の徹底である。世界銀行、国際通貨基金、そして失進資本主義国は世界中に市場経済化の徹底を求めている。旧社会主義国や第三世界に対して市場経済化を促進する政策、すなわち構造調整の実施を求め、世界の一元化を促している。社会主義思想に対する評価が著しく低下している現在、市場経済化に対抗することが難しく、福祉国家は後退し、労働環境は厳しさを増している。特に第三世界の政府は、国際機関や「先進国」への従属を強めている。
こうしてますます富める者と貧しい者、勝者と敗者の溝を深めつつ、世界の一元化が進展している。このような経済的一元化とともに進行しているのが自由民主主義化である。
第二次世界大戦後の冷戦の下では、資本主義と社会主義の両陣営の問で民主主義について対立が存在していた。前者においては言論や結社の自由、あるいは機会の均等が重視され、後者においては貧困からの自由、あるいは分配の平等化が重視された。このような民主主義観の相違は、資本主義か社会主義かというイデオロギーの相違によるばかりか、多分に先進資本主義国と開発途上国との相違にもよったといえる。
ところが冷戦構造の解体と社会主義体制の崩壊は、貧困や弱者への対策を重視する社会民主主義的な考え方を弱め、社会的拘束からの自由、機会均等など形式的平等を重視する自由民主主義の考えを強めてきている。
情報技術の発達、自由民主主義の強化、そして市場経済の徹底は冷戦構造の解体と関連しているが、これらの根底にあるのは現代資本主義の動態である。それは競争原理の強化を伴う世界の一元化という特徴を有している。とはいえ、それは多面性をはらみっつ進行している。
その多面性とは何か。世界の一元化といっても、それは極めて不均等な構造を示している。あらゆるものが国境を越えて移動し、国家はその移動を統制できなくなっている。投機的な資金の流れによる金融危機はその一例である。国境の意味が薄れ汗国家の退場」がいわれるようになった。しかしながら国境は執拗に存続し、主権国家は厳然として存在することも否定できない。確かに人の移動を国家は十分統制できず、多くの国家は不法移民の増加に苦しんでいる。ところが、このこと自体が主権国家の強固な存在を暗示している。なぜなら国境を越える人の移動を統制する権利、すなわち国家が出入国管理権を有することが当然視され、それ故に不法性を帯びた人びとの移動が起きるのである。
国際組織の多くが依然として国家を主要な、あるいは唯一の構成メンバーとしているということも、主権国家の存続の証として指摘できるだろう。
環境問題のような地球規模の課題や普遍的人権概念の確立などにより、国家の主権はさまざまな形で制約されるようになっているが、他方で、主権国家の存続ということも現実である/こうした二面性において一元化をとらえる必要がある。
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