goo

宗教改革からハイパー資本主義の暴走へ

『さよなら、インターネット』より ハイパー資本主義は宗教改革にはじまる

宗教改革からハイパー資本主義の暴走へ

 ルターの宗教改革をめぐっては、さまざまな議論がなされてきた。その代表的な論点はマックス・ヴェーバーの『フロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やジョルジュ・バタイユの著作『呪われた部分 有用性の限界』によって示された。

 ルターの宗教改革は、人々を教会の権威からは解放したが、教会より専制的な権威である神に人々を服従させる結果になった。宗教改革は、信仰においては聖職者も一般信徒も同じであるという「万人祭司」と、宗教的権威と政治的権威を持つ者が同等な「神権政治」を確立した。

 これを現代に置き換えれば、万人祭司は「誰もがクリエーター」で、神権政治は「プラットフォーム独占」かもしれない。ヴェーバーの指摘で重要なのは、ルターやジャン・カルヴァンの広めたプロテスタンティズムが、「浪費」を禁じ、「勤労(生産)」と「蓄積」を奨励したことだ。ルターとカルヴァンにとって、カトリック教会の権威より、すべての個人が神と聖書を通じて直接関わる、徹底した個人主義的信仰こそが「万人の神権」だった。

 宗教改革が決定づけたのは、生産の成果として蓄積された富は浪費されることなく、その蓄積を未来へと「投資」されるものとしたことだった。

 ヴエーバーによれば、「世俗内禁欲」(プロテスタンティズムの倫理)に基づく、富の蓄積と投資が「資本主義の精神」を生んだ。

 バタイユはさらに、ルターの宗教改革は経済活動の根本に作用し、宗教的祭儀を中心とした贈与経済の「蕩尽」を排除する社会を生み出したと指摘した。

 贈与や蕩尽より、生産と蓄財を重視する社会が形づくられ、社会に累積したエネルギーの消尽行為そのものが、社会から忌避され、呪われていった。「余剰」の「蕩尽」を実施する宗教祭儀によって支えられていた共同体は、富の「蓄積」と「投資」をめざす個人主義と資本主義経済に邁進する。社会に累積した余剰エネルギーの消尽は、民衆のための大規模な祭典の開催や荘厳な教会建設ではなく、軍事技術の発散と消尽の場となる戦争を拡大させた。

 現代であれば、金融工学に起因するバブル経済やサブプライムローンの破綻といった相次ぐ経済危機を繰り返すことが、「消尽」の新たな局面となった。もちろん、ソーシャルネットワークのプラットフォーム独占によって蓄積された世界の個人データが、AIに「投資」され、富が富を生むハイパー資本主義が根こそぎ「消尽」するのは、ほかならないわたしたちの個人データである。

 ナチス時代の神格にまで祭り上げられたルターをめぐる評価は、歴史の中で大きく揺れてきた。ルターの予見を遥かに超えて、その後の歴史が資本主義、ましてハイパー資本主義の暴走に至るなど、ルターは知る由もなかった。

プラットフォーム独占という悪夢

 社会的イノベーションは「創造的破壊」を伴う。ソーシャルネットワークの創始者マーク・ザッカーバーグが取り組んだ数十社を超える競合他社の買収や、「速く動いて破壊する」全方位展開が、民主主義までを破壊するパワーを備えたていたことを本人が意図していたかは定かではない。

 2012年4月、フェイスブックはベイエリアの従業員13名とともにインスタグラムを10億ドル(約1112億円)で買収した。同年、世界の写真業界を長らく牽引し、4万人を雇用していたコダックが倒産した。4万人が失職し、13人が超人になるデジタル経済に、何か起こっているのか?

 グーグルの検索チームが、ユーザーの検索クエリを手助けする方法としてオートコンプリートを追加したとき、そのアルゴリズムが「ホロコーストは存在しなかった」と主張するネオナチサイトに悪用される可能性があることに彼らは気づかなかった。

 歴史上の体制や秩序、価値観が大きく変動していくときに、ルネサンスの起源とされるルクレティウスの詩篇(写本)の影響力や、ルターの「論題」、そしてエドワード・スノーデンの内部告発に至るまで、人々の妄信を破壊させる啓示があったことが理解できる。

 もともとシリコンバレーにはカウンターカルチャーが内在されていたことを考えれば、1990年代初頭のインターネットは反商業空間で社会変革の最大の道具だった。いまでもそれは、わたしたちの社会を驚くべき仕方で形づくっている。しかし、それはかつてのカウンターカルチャーの夢ではなく、プラットフォーム独占の経済空間となった。

 ルクレティウスの詩篇には、「神と神話」の呪縛を絶ち、世界を原子に還元し、人々を人間であることの生きとし生ける「快」へと解放するチカラが込められていた。ルターが免罪符の購入によっては救済されず、聖書に立ち返るべきだと主張したことを、歴史的改革の端緒と見ることも、当時の人々の不安や不満と見事に合致したポピュリズムの勝利と見ることもできるだろう。

 ルネサンスの起源から600年、そしてルターの宗教改革から500年、符号めいた2017年に、デジタル社会変革という大変動はなぜ起こっているのか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 未唯宇宙7.6.1... サービスとし... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。