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平等化の四騎士--戦争、革命、崩壊、疫病

『暴力と不平等の人類史』より 不平等という難題 平等化の四騎士--戦争、革命、崩壊、疫病
格差の出現と拡大
 物質的に不平等な状況が出現するには、われわれ全員が生き延びるのに必要な最低水準を超える資源が手に入るようになる必要がある。余剰資源はすでに数万年前から存在していたし、それを不均等に分けようとする人間もいた。最後の氷河時代、狩猟採集民は、一部の人をほかの人よりずっと豪華に埋葬する時間と手段を手にしていた。だが、まったく新たな規模の富を生み出したのは、食糧の生産、つまり農耕と牧畜である。拡大し続ける不平等は完新世の典型的な特徴となった。植物を栽培し、動物を家畜化するようになったおかげで、生産資源の蓄積と保存が可能になった。これらの資産への権利(次世代へ譲る力を含む)を規定するために、社会規範が発達した。こうした条件のもと、さまざまな経験を通じて、所得と富の分配方法が形成されていった。健康、結婚戦略と繁殖成功度、消費と投資の選択、豊作、イナゴの大発生や牛疫などによって、ひとつの世代から次の世代へと受け継がれる富が決定された。これらの要因が時とともに積み重なり、幸運と努力の結果として、長期的に見ると不平等な帰結が促されることになった。
 理屈のうえでは、出現しつつある格差を社会制度によって平等化することもできたはずだ。物的資源と労働の成果をバランスよく分配し直すべく介入すればいいからだ。前近代的社会のなかには実際にそれを成し遂げたケースもあるとされている。ところが現実には、社会の発展に伴ってその反対の結果が生じることが多かった。食糧源を飼い慣らすことは、人びとを飼い慣らすことでもあった。
 きわめて競争的な組織として国家が形成されると、権力と強制力を伴う厳格な社会階級が確立され、所得と富への権利が歪められてしまった。政治的不平等によって経済的不平等が強化・増幅された。農耕時代の大半のあいだ、国家は多くの人びとを犠牲にして少数の人びとを裕福にした。つまり、賃金や公共サービスヘの寄付は、汚職、略奪、横領による利益の前ではかすんでしまいがちだったのだ。結果として、前近代的社会の多くはとことんまで不平等になり、1人当たりの生産量が少なく経済成長は最低限にとどまるという状況下で、少数のエリートによる余剰の専有がどこまで可能かが試されることになった。
 より穏健な社会制度のもとでより力強い経済発展が促された場合、とりわけ新興の西洋世界では、ひどい不平等が維持され続けた。都市化、商業化、金融部門のイノヴェーション、ますます世界的になる通商、さらには工業化によって、資本を持つ者が多大な収益を懐にするようになった。剥き出しの権力行使による儲けが減り、エリート層を裕福にする昔ながらの収益源が絶たれると、財産権の安定化と国家の肩入れによって相続財産の保護がいっそう強化された。経済構造、社会規範、政治制度が変化した時でさえ、所得と富の不平等は相変わらず著しいままだったし、場合によっては新たな手段を通じてさらに広がってしまったのだ。
不平等を是正する暴力的破壊
 数千年にわたり、文明のおかげで平和裏に平等化が進んだことはなかった。さまざまな社会のさまざまな発展段階において、社会が安定すると経済的不平等が拡大したのだ。古代エジプトであれヴィクトリア朝時代のイギリスであれ、ローマ帝国であれアメリカ合衆国であれ、それは変わらなかった。既存の秩序を破壊し、所得と富の分配の偏りを均し、貧富の差を縮めることに何より大きな役割を果たしたのは、暴力的な衝撃だった。
 有史以来、最も力強い平等化は最も力強い衝撃の帰結であるのが常だった。不平等を是正してきた暴力的破壊には4つの種類がある。すなわち、大量動員戦争、変革的革命、国家の破綻、致死的伝染病の大流行だ。これらを「平等化の四騎士」と呼ぶことにしよう。聖書に登場する四騎士と同じく、これらの四騎士は「地上から平和を奪い取り」「剣によって、飢餓によって、死によって、地上の獣によって人間を殺す」ために現れた。四騎士は、時には一人ずつ、時には互いに手を組んで行動し、同時代の人びとにとってはこの世の終わりとしか言えないような結果をもたらした。彼らが現れたあと、何億もの人びとが非業の死を遂げた。混乱が収まるころには、持てる者と持たざる者の格差は縮んでいたー-時には劇的に。
2度の世界大戦
 不平等を絶えず抑制してきたのは、特定のタイプの暴力に限られる。大半の戦争は資源の分配に対して一貫性ある影響をいっさい与えなかった。つまり、征服や略奪を目的とする旧態依然の争いにおいては、勝者側のエリートは裕福になり、敗者側のエリートは貧窮した可能性が高かったものの、はっきりしない結末に終わった場合はその帰結を予想するのは難しかった。戦争によって所得と富の格差が是正されるためには、戦争が社会全体に浸透し、たいていは現代の国民国家でしか実現しない規模で人員と資源が動員される必要があった。2度の世界大戦が史上最大の平等化装置の例となったことも、これで説明がつく。産業的規模の戦争による物理的な破壊、没収的な課税、政府による経済への介入、インフレ、物品と資本の世界的な流れの遮断、その他さまざまな要因がすべて結びつくことによって、エリートの富は消え去り、資源は再分配された。
 これらの要因はまた類を見ないほど強力な触媒として機能し、平等化を進める政策転換を引き起こした。つまり、権利の拡大、労働組合の結成、社会保障制度の拡大などへ向けた力強い推進力を生み出したのだ。
 世界大戦の衝撃はいわゆる「大圧縮」をもたらし、あらゆる先進国で所得と富の不平等が大きく減少した。それは主として1914~1945年に集中的に起こったのだが、プロセス全体が完了するにはさらに数十年を要するのが普通だった。より以前の大量動員戦争では、同じような影響が広がることはなかった。ナポレオン時代の戦争やアメリカの南北戦争による分配に関する帰結は多様だし、時代をさかのぼるほど関連証拠は少なくなる。アテナイとスパルタに代表される古代ギリシャの都市国家の文化は、民衆の熱心な軍事動員と平等主義的制度がどれだけあれば物質的不平等が抑制されるかを示す最古の例を、間違いなく提供してくれる--その成功がたとえ部分的なものだとしても。
変革的革命
 世界大戦をきっかけに、平等化を推進する第二の主要な力である変革的革命が起こった。通常なら、内部抗争によって不平等が減ることはない。近代以前の歴史において農民一揆や都市暴動はありふれていたが、失敗に終わるのが普通だったし、発展途上国での内戦は所得の分配を平等にするどころか不平等を拡大することが多いものだ。暴力的な社会再編が並外れて激しいものでない限り、それによって物的資源の入手しやすさが変わることはない。この種の社会再編は、平等化を促進する大量動員戦争と同じく、主として20世紀の現象だった。共産主義者は、資産を没収し、再分配し、その後しばしば集産化を進めることによって不平等を劇的に減らした。こうした革命のうち変化を起こす力が最も大きかったものには、桁はずれの暴力が伴っていた。それが生み出した死者数と人類にもたらした惨状は、最終的には世界大戦に匹敵するほどだった。フランス革命のように流された血がはるかに少ない闘争の場合、それに応じて不平等の縮小幅も小さかった。
国家の破綻、体制の崩壊
 暴力は国家をすっかり破壊してしまうこともある。国家の破綻や体制の崩壊は、かつては平等化を実現するとりわけ確実な手段だった。歴史の大半で、裕福な人びとは政治権力の序列の頂点を占めていたか、さもなくば頂点にいる人びととコネを持っていた。しかも、現代の基準からすると控えめながら、最低生活水準の維持を超える経済活動に対して国家による保護措置が講じられていた。国家が崩壊すると、こうした政治的地位、コネ、保護が脅威にさらされ、すっかり失われてしまうこともあった。国家が崩壊すれば誰もが苦難に直面したはずだが、裕福な人びとの方が失うものが多かったのは言うまでもない。つまり、エリート層の所得と富が減ったり消え去ったりすることで、全体的な資源分配の偏りが均されたのである。こうした事態は国家の成立以降、常に生じてきた。知られている限り最古の例は、4000年前のエジプト古代王国やメソポタミアのアッカド帝国の終焉などである。こんにちでさえ、ソマリアの経験から、このかって有力だった平等化の力が完全に消滅したわけではないことがわかる。
 国家の破綻は、暴力的手段による平等化の原理を論理的極限まで押し進めるものだ。つまり、既存の政治形態の改革や改造によって再分配や再調整を実現するのではなく、より包括的に過去を清算してしまうのである。最初の三人の騎士はそれぞれ別の段階をあらわしているが、’これはそれらが順番に現れそうだという意味ではなく--最大級の革命が最大級の戦争をきっかけとしていたのに対し、国家の破綻には同じように強力な圧力は必要ないことが多いーその激しさに関しての話である。各騎士に共通しているのは、暴力をテコにして、政治的・社会的秩序とともに所得と富の分配を再構築するという点である。

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まちづくりと公共交通の「聖地」ストラスブール

『欧州コンパクトシティの挑戦』より まちづくりと公共交通の「聖地」 フランス・ストラスブールヘ
世界中にインパクトを与えた憧れのLRTに乗車する!
 近未来型デザインで、欧州議会の所在地にちなんで「ユーロトラム」と名付けられた超低床車両のLRTが、1994年にフランスのストラスブールの街を走り始めた時、世界中にインパクトを与えたという。
 まちづくりや公共交通の関係者の「聖地」として、ストラスブールには日本を含めて海外からも多数の視察者が訪れている。私も、到着して早速に、長年憧れていたスタイリッシュなLRTに乗車して、感動もひとしおだった。
 ストラスブールのLRTは、かつての路面電車のイメージを一新する外観で、曲線を多く使い、窓やドアを大きく取った斬新な車両は100%低床車である。また、「芸術の国フランス」らしい、円形のガラスシェルターが特徴的な「オム・ド・フェール」(鉄の男広場)停留所は東西の路線が交差する乗換駅であり、公共交通と歩行者だけが通行できるトランジットモールになっている。斬新な車両と停留所が古い街並みと調和し、街のにぎわいの中を静かでクリーンなLRTが次々とやってくるのである。
 一般の停留所も、透明な待合室や案内モニターのある円形の券売機など、車両とイメージを合わせている。
 また、吸音効果を狙って軌道に植えた芝生が、「公園の中をLRTが走っているみたい」と大変評判が良く、その後、国内の各都市がLRTを導入するのと合わせて、芝生の軌道もフランス全土に広がっていったのである。
日本のバスなどにはない公共交通の質の高さ
 ストラスブールのLRTはデザイン性だけではなく、都市の基幹的な公共交通として質が高いことも、利用者の信頼を得ている。日本のバスや路面電車、LRTのように、信号で停車したり自動車に追い抜かれたりすることはなく、専用通行路の確保や優先信号のシステムによって、停車するのは停留所だけである。
 ちなみに日本に来たフランス人は、公共交通であるバスが、後続の車が追い抜いていくのを停車して待っているのを見て大変おどろくらしい。つまり、公共交通より車が優先して走ることなどありえず、市街地中心部に近づくほど、車は侵入や速度が規制されて遅くなるのに対して、公共交通は最も早く優先して運行できるのは、その役割を果たすためである。
 また、日本のバスや路面電車などでは、1か所の乗車扉から乗って順番に運賃を支払う方式(パッセンジャーフロー方式)のため、特に乗客の多い時などは乗車に時間がかかる。そして、下車するときは車内を降車扉まで移動する必要があるため、体の不自由な人やベビーカーの利用者などには不便で、停車時間も長くなってしまう。
 ストラスブールのLRTでは、車両の全ての大きな扉から乗降車できる、運賃収受については「信用乗車方式」を採っているため、停車時間も含めた「表定速度」は時速20km程度に保たれている。
 それに対して、都内を営業エリアとする東京都交通局のバスの「表定速度」は10kmを下回るといわれており、それだけ都民は時間をロスし、「急ぐ時は遅いバスより車に」となってしまうのである。
 しかし、ストラスブールが新たな公共交通によって都市の再生を図り、まちづくりの「聖地」といわれるようになるまでには「物語」のようなプロセスがあり、その背景も含めて紹介したい。
車中心の都市の衰退--二度と行こうとは思わない街
 フランスとドイツの国境のアルザス地方に位置するストラスブールは、ライン川の西側に広がり、歴史的にはフランスとドイツがたびたび領有権を争った地として知られている。またアルザス地方の首府であり、市の人口は27万人で、同市が中核となり、近隣の27市町村で構成する広域自治体連合(メトロポール)では45万人の規模となる。
 なお、都市交通や都市計画などは「広域行政」としてメトロポールが事業主体となり、連合の議長にはストラスブールの市長が就任し、職員は同市の職員が兼務し、庁舎も市役所内にある。
 地理的には、フランスでは東の端の「辺境の地」となるが、欧州全体から見れば「真中」になるという条件と、戦争のたびにフランス・ドイツと所属する国が何度も変わった複雑な歴史的背景から、現在では「欧州の平和の象徴」として欧州議会、欧州評議会、そして欧州人権裁判所など、欧州統合に関わる国際機関が多く設置されている。
 今では、LRTによるまちづくりで魅力的な都市となり、多くの人が訪れ、にぎわっているが、以前は内陸の「暗くて、寒くて、寂しい街」といわれていた。
 ストラスブールには、かつて路面電車があったが、1962年に廃止されて車中心の都市となり、1980年代後半では通勤交通手段の割合で自動車が7割、公共交通が1割と、公共交通の利用率はフランスの他都市に比べてむしろ低い方であった。
 歴史的地区である中心市街地(0.8×1km)を毎日24万台の車が通過するとともに、中央を南北に抜ける幹線道路にも1日に5万台が通行し、その4割が通過交通であった。そのため大気汚染や交通渋滞が深刻な問題となり、郊外に大型ショッピングセンターが続々と出店したこともあって、中心市街地の衰退とシャッター通り化が進んだ。
 つまり、日本よりもモータリゼーションが早かった分、車中心社会の弊害が生じるのも早く、いわば現在の日本が直面している中心市街地の衰退や空洞化など、同じような問題に既に直面していたのである。あるいは、「同じような」というより、もっとひどいすさんだ状況で、「街の中心に行けば行くほど人が少なく、一度行ったら二度と行こうとは思わない街」とまでいわれていたという。
環境派市長の登場による車の規制とLRTの導入
 このようなことから、交通機関の整備方策として、1985年にはいったん、車の通行には影響を与えない小型の自動運転地下鉄(臨海副都心を走る「ゆりかもめ」のような新交通システムの地下鉄タイプ)の導入を決定した。
 しかし、1989年に行われた市長選挙では、それまで選択肢として検討されていたLRTか小型地下鉄かが争点となり、市民を巻き込んでの論戦が展開された。当時、野党であった社会党は、都心部の通過交通の規制と輸送力のある近代的なLRTを主張し、対して市街地の商店主たちは、車の利用客が減ることを心配してLRTに強く反対し、地表にもっと駐車スペースもできる小型地下鉄を支持した。
 選挙の結果、緑の党出身で、環境を重視する社会党の女性市長が誕生し、カトリーヌ・トロットマン市長は就任半年あまりでLRT導入の新交通計画を策定したのである。
 中心市街地の通過交通を排除して、歩行者に最も優しい街をつくり、「道路空間め再配分」を行うとの政策に対して、地元のメディアからは「当局は街から重要な車を追い出そうとしている」との批判が相次いだ。これに対して、事業開始に向けてLRTへの理解を求め、車中心の社会からの転換を求めるキャンペーンのポスターを作っている。ポスターではストラスブール通りでのシミュレーションとして、LRTの一両編成で、バス3台分の人数を、また車177台分の人数を運ぶことができることをアピールしている。ポスターの左から車の写真には「咳き込む」、バスには「呼吸する」、そしてLRTには「深呼吸できる!」と書かれている。
 反対派や地元のメディアヘ反論するに当たって、このようにインパクトがあり、かつ的確にポイントを押さえて主張する「センス」と「度胸」を、はたして日本の行政は持ちえているだろうかと思う。
 またフランスでは、都市計画や都市交通の公共事業について、住民を対象とした法定の合意形成のプロセスとしてコンセルタシオン(事前協議)が義務付けられている。 LRTの第1路線でもコンセルタシオンが行われているが、市街地の商店主のほか、古い路面電車に悪いイメージを持っている高齢者を中心に、LRTへの反対も多かった。そこで担当の交通局長らは、住民に対する説明と議論を500回以上行うなど、粘り強く説得した。合わせて、「補償委員会」を設置して、工事中の売上げの減少を補てんする対応も進めたのである。

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豊田市図書館の30冊

369.26『2040年の超少子高齢社会をみつめて』
369.31『歴史を未来につなぐ』「3.11からの歴史学」の射程
146.15『分析心理学セミナー1925』ユング心理学のはじまり
204『暴力と不平等の人類史』戦争・革命・崩壊・疫病
336.1『「つながり」の創りかた』新時代の収益化戦略 リカーリングモデル
519.1『反転する環境国家』「持続可能性」の罠をこえて
518.8『自治体行政マンが見た 欧州コンパクトシティの挑戦』人口減少時代のまちづくり・総合計画・地方版総合戦略のために
686.55『EUROPEAN RAIL TIMETABLE SUMMER 2019』
311.7『真実の終わり』
375.32『教育と愛国』誰が教室を窒息させるのか 毎日放送映像取材班
377.13『海外で研究者になる』終活と仕事事情
367.7『「老年哲学」のすすめ』生き直し・学び直しのための哲学入門
335.21『ローカルエコノミーのつくり方』ミッドサイズの都市から変わる仕事と経済のしくみ
361.45『世界にバカは4人いる』他人を平気で困らせる人々と付き合う方法
361.7『地域をまわって考えたこと』
740.7『副業するならカメラマン』
033『世界一素朴な質問、宇宙一美しい答』
070『ファクトチェック最前線』フェイクニュースに翻弄されない社会を目指して
367.6『セルフネグレクトと父』虐待と自己放棄のはざまで
007.13『AIの教科書』ビジネスの構築から最新技術までを網羅
210.32『考古学から学ぶ古墳入門』
302.22『習近平の敗北 紅い帝国・中国の危機』
816『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』
148.9『78枚で占うタロット読み解くBOOK』リーディングがもっと楽しくなる
210.77『「文藝春秋」にみる平成史』
309.1『デモクラシーの宿命--歴史に何を学ぶのか』
309.3『フィラデルフィアの精神』グローバル市場に立ち向かう社会正義
293.3『英国の街を歩く』街にあるメッセージを読む
336.17『デジタル時代のイノベーション戦略』
167.3『日亜対訳 クルアーン』

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