スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

エリザベス女王杯&会見

2020-11-15 19:47:50 | 中央競馬
 第45回エリザベス女王杯
 逃げたいという馬が不在だったようで,発走後の直線は各馬による牽制状態。その中からノームコアが先頭に出ると,向正面にかけてリードを広げていき,2番手のリアアメリアとの差が6馬身くらいになりました。3番手にウインマリリン。4番手にサムシングジャスト。5番手にエスポワール。6番手にソフトフルート。7番手にシャドウディーヴァ。8番手にウインマイティーでこの7頭が前の集団。2馬身差の9番手にリュヌルージュ。10番手にミスニューヨーク。11番手にロサグラウカとラヴズオンリーユー。13番手にラッキーライラック。14番手にサラキアとウラヌスチャーム。16番手にセンテュリオ。17番手にサトノガーネット。最後尾にカーロバンビーナ。1頭,7頭,10頭という隊列で進みました。最初の1000mは59秒3のミドルペース。
 3コーナーでもノームコアは5馬身くらいのリード。外からウラヌスチャームとラッキーライラックが追い上げてきたことで急激にその差が詰まっていきました。ラッキーライラックは直線の入口の時点では一番外でしたが,手応えは楽で前も射程圏。直線に入るとすぐに先頭に立ち,後ろからの追い上げを凌いで優勝。ラッキーライラックのさらに外から並んで勝ち馬に迫ったのがラヴズオンリーユーとサラキア。外のサラキアがクビ差で2着。ラヴズオンリーユーがクビ差の3着。
 優勝したラッキーライラック大阪杯以来の勝利で大レース4勝目。第44回に続く連覇でエリザベス女王杯2勝目。牡馬を相手に古馬の大レースを勝っていましたから実績は最上位。このレースはあまり間隔が開いた馬は勝てない傾向にあり,8月以来の実戦というのが不安だったのですが,問題とはならないくらいの強い内容で勝ちきりました。2歳の早くから活躍し,5歳になっても大レースを2勝するのですから立派な馬だと思います。父はオルフェーヴル。3代母がステラマドリッド。祖母の4つ下の半妹に2002年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬のダイヤモンドビコー
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)以来の大レース制覇。第33回以来12年ぶりのエリザベス女王杯2勝目。管理している松永幹夫調教師は大阪杯以来の大レース7勝目。第44回からの連覇でエリザベス女王杯2勝目。

 3月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日は印鑑を持参しました。年度末の妹の給与の受け取りに必要だったからです。
 3月25日,水曜日。日野公園墓地の墓参りに行きました。このとき石材店に寄り,社長というのは店主のことですが,面会しました。この後に予定されている遺骨を会堂に移すための手続きで,必要なこともありましたし,確認しておきたいこともあったからです。
 伯父,父のきょうだいの長男が石材店を訪れたのは,1月23日でした。H伯母の通夜と葬儀のときに僕が伯父と会ったときは,まだ石材店には行っていないが,すぐに行くという話があったのですが,その通り,その後すぐに行ったことになります。このとき伯父は,受入証明書,つまりお寺が遺骨を受け入れることを保証する書類を持参していました。まず僕はその証明書を確認させてもらいました。そこには三体の遺骨を受け入れることが可能であるという主旨の記述がありました。
 僕がこの件で最初に店主に会ったとき,埋葬証明書は父の分と祖母の分しか出せないということでしたので,その影響で手続きが滞っている面がありました。しかし,このときは店主は,3人分の埋葬証明書を出すことを請け負ってくれました。これはふたつの理由があり,ひとつは,実際に三体の遺骨が納められていることを確認してある,つまり目視したということであり,もうひとつは,墓石に3人の名前が彫ってあるということでした。あくまでも記録は父の分と祖母の分しか残っていなかったのですが,それでも3枚の埋葬証明書を出せるということでしたので,僕にとっては最大の問題であると思われたこの件はこれで落着しました。
 次に,墓地の使用権利書は僕の手許にありました。これも必要な書類のひとつで,これはこの日に持参していましたので,店主に手渡しました。
 遺骨を移すためには役所に報告をしなければなりません。この手続きに関しては僕たちの方でする必要はなく,実際に移す日が決定した段階で,店主がやってくれるとのことでした。
 最後に,費用の支払い方法についてですが,銀行振り込みは不可とのことでした。なので移す当日に,僕が現金を持参することにしました。
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リコー杯女流王座戦&彼岸会

2020-11-14 19:08:22 | 将棋
 10日に明治記念館で指された第10期女流王座戦五番勝負第二局。
 西山朋佳女流王座の先手で角道オープン三間飛車。後手の里見香奈女流四冠は居飛車を選択し急戦含みの駒組。
                                        
 先手が7四に角を打ったので,後手の龍が8七から入った局面。ここでの指し手が勝敗を分けることになりました。
 実戦は☗6三銀と上から打ったために☖4二金寄と逃げられ,☗6二銀成☖5二桂☗同角成☖7一龍☗4二馬☖同角☗7一成銀と進展しました。
                                        
 先手は角と金桂の二枚換えで駒得はできたものの,成銀が遊んでしまったので,実質的には得できていません。この差で後手の勝ちになりました。
 第1図で☗6一銀と下から打てば,☗4一角成の王手龍取りがあるために☖4二金寄は成立せず,互角の戦いが続きました。
 里見四冠が勝って1勝1敗。第三局は来月1日に指される予定です。

 3月18日,水曜日。お寺の奥さんから午後5時5分に電話がありました。彼岸会の日に塔婆を受け取る方法についての詳細でした。
 これまで彼岸会で塔婆を受け取る方法は,次のような段取りでした。お寺に到着すると,受付でその旨を告知します。すると事前に作成された塔婆が本堂に運び込まれ,僧侶の言上の後に手渡されるという手順でした。このとき,言上の間は本堂に滞在しなければなりません。もし僕だけであればこれで何の問題もありませんが,彼岸会には檀家のほとんどがお寺を訪れますから,その分のすべてが同じ手続きによって進められます。ですから受付をしたからすぐに言上が始まるとは限らず,先に受付をした檀家の人たちの塔婆の言上が終了してから,自身の分の塔婆の言上が開始されます。ですから本堂の滞在時間はそんなに短くて済むわけではありません。このことがすべての檀家に該当しますから,本堂には多くの人が同時に滞在することになります。つまりいわゆる密という状態ができてしまうのです。
 新型コロナウイルスの影響から,このような状態を作るのは好ましくありません。というか避けなければなりません。したがって今回の彼岸会では,すべての塔婆の言上に関しては,彼岸会の中でやるのではなく,事前に済ませておくこととし,当日は到着して受付をすればすぐに塔婆を受け取ることができるようにするという方法が採用されることになりました。これで少なくとも本堂での密という状態は避けられることになりました。
 3月19日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。20日は春分の日で休みだったからです。
 3月20日,金曜日。午後8時50分にピアノの先生から電話がありました。22日に予定されていたピアノのレッスンに関する件でした。
 3月22日,日曜日。この日の午前中が彼岸会でした。4本の塔婆を受け取りました。このうち,母の塔婆と祖母,母の母の塔婆は,会堂の中に立ててきました。残りの2本,これは先祖代々のものと父のものですか,この2本は持ち帰りました。後日,日野公園墓地内に立てるからです。
 午後1時半から妹のピアノのレッスンがありました。
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竜王戦&費用の負担

2020-11-13 19:01:17 | 将棋
 7日と8日に仁和寺で指された第33期竜王戦七番勝負第三局。
 羽生善治九段の先手で相掛かり。互角に近いと思えるような局面から後手の豊島将之竜王が寄せに出て,一時的に先手がよくなりました。そのまま終われば後手が寄せ損なったという一局だったと思います。
                                        
 実戦は第1図から☗5三銀と打ち,☖同歩☗同歩成と詰めろを掛けましたが,☖8七銀で先手玉に詰みが生じ,後手の勝ちになりました。
 第1図では☗7五馬と歩を取る手があり,☖5七とから駒はぼろぼろ取られるものの上部脱出を企てることはできます。一般に,自玉が詰むか詰まないか分からないのなら受けに回るのが自然なので,☗5三銀と打ったときには先手は自玉は詰まないと思っていたのではないかと推測します。なので僕は現時点ではこれは頓死だったと判断します。
 当日はAbemaTVの中継を視ていましたが,第1図の局面のAIの推奨手は☗9四角でした。この手について僕の棋力では結論は出せませんでしたが,分かったのは次のことです。
 まずこの手は詰めろです。たとえば分かりやすく☖5七とと取ったとすると,☗6一角成と取って☖同王に☗7二銀と打ちます。これを☖同王は☗7三馬から☗7二金で簡単。なので☖5一王と逃げますが☗6三桂☖同歩と捨てて☗7三馬と入ります。ここで金以外の合駒は☗6一銀成から☗7二金で詰み。金合いの場合は☗同馬☖同王☗6一金☖7二王☗6二金打です。
 なので後手は受ける必要があります。ただ駒を使ってしまうと先手玉を詰ますのが難しく,☗5三銀が成立するので最善は☖7一金です。このときに☗8一香成として角を7六に利かせる手があるというのがAIが推奨した理由だと思います。これはどちらの勝ちか僕には分かりませんでした。ただ,後手は詰めろの連続で先手に迫らなければならず,それはできないので先手の勝ちではないかという気がします。なお後手はこの手を避けるだけなら☗9四角に☖8三歩と中合いする手がありますが,これは先手玉を詰ますときに二歩が生じてしまうので先手の勝ちだと思います。
 豊島竜王が勝って2勝1敗。第四局は昨日と今日に指される予定でしたが,羽生九段の発熱のため延期となり,26日と27日に指される予定となっています。

 日野公園墓地に納められているのは,僕の父と父の両親の3人の遺骨です。この遺骨をお寺に移すときには,日野公園墓地内の墓じまいをしなければなりません。そのためには少額ではない費用が必要でした。日野公園内の墓地の名義は伯父,父のきょうだいの長男になっていましたから,僕だけでなく伯父もこのための手続きで石屋の店主と話していて,その金額については承知していたのです。ただ,このことについては,基本的に母の希望によって行うことになったものなので,一切の費用については僕が負担するつもりでした。もちろん僕の父の両親ということは,伯父の両親でもあるわけで,自分の親の遺骨を移すことに対して一定の金額を負担したいという希望があるのであれば,僕がそれを断る理由はありません。ふたりの子どもたち,つまり父のきょうだいのうち,1月にH伯母が死んだことにより,生きているのはこの伯父,つまり長男と次男,そして四女の3人です。このうち四女というのは国際結婚をしてロサンゼルスに住んでいましたから,遺骨を移すということ自体を知らせていませんでした。この伯母が墓参りに行くということはないからです。次男の方は僕は個人的には長男よりも深い付き合いがありますが,金銭面での要望は聞いていません。というか,この伯父は石屋とは連絡を取っていませんから,具体的な金額については知らなかった筈です。そして長男からも費用を負担したいという要望はありませんでしたから,僕がすべてを負担するということを伝えました。
 3月14日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。なのでこの週は妹を迎えに行っていません。妹によれば,この日は紅白歌合戦のビデオを視聴したのだそうです。ただこうしたことは連絡帳には記載がありませんでしたから,何らかの歌のビデオを視聴したことは間違いないかと思いますが,本当に紅白歌合戦であったかどうかは分かりません。
 3月17日,火曜日。僕は火曜日の午前中,1時間だけお手伝いさんに掃除をしてもらっています。この方が糖尿病で,インスリンを注射しています。この日にエタノールを使用した消毒綿を僕に分けてくれました。病院でもらっているのだそうです。
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デイリー盃ロジータ記念&2020年3月の通院

2020-11-12 19:21:45 | 地方競馬
 北海道から1頭,兵庫から1頭が遠征してきた昨晩の第31回ロジータ記念
                                        
 ノラが先手を奪いました。2番手にはルイドフィーネとアクアリーブル。4番手にアートムーブメント。5番手にカミノアカネ。6番手はアンジュエトワールとメモリーオブブルーとミリミリ。9番手にレッドカード。川崎の2100mは発走後の向正面では前の方の差が開く傾向なのですが,このレースはこの9頭は一団でした。2馬身差でコーラルツッキー。1馬身差でクサヒバリ。1馬身差でシャークヴィーナスと3頭は一団。3馬身差でヒキュウ。6馬身差の最後尾にキクノナナで向正面を通過。正面に入るとアクアリーブルが単独の2番手に上がり,3番手をルイドフィーネとアートムーブメントで併走という隊列に変化。2周目の向正面に入ってノラがリードを3馬身くらいに広げました。ミドルペース。
 3コーナーではノラのリードがなくなり,アクアリーブルと雁行。コーナーの途中でルイドフィーネがアクアリーブルの外に出して3番手。直線に入るとノラは一杯。ここからアクアリーブルとルイドフィーネの2頭が抜け出して叩き合い。外のルイドフィーネが直線半ばで決着をつけて優勝。アクアリーブルが1馬身半差で2着。後方から追い上げ外から伸びたコーラルツッキーが6馬身差で3着。
 優勝したルイドフィーネはこれが昨年7月の新馬戦以来の2勝目で南関東重賞初制覇。勝ててはいませんでしたがクラシック路線で常に上位に入っていましたから,実績は上位。2着と3着の間に大きな差がついたように,実績上位だった2頭とほかの馬との間には大きな能力差がありました。春はアクアリーブルに対して差がないものの先着はできなかったのですが,ここで逆転。これは成長度合いの差が現れたものとみることができます。そしてそうであれば,将来性も2着馬よりこちらの方が高いとみることができるでしょう。ただこれが2勝目であるように,安定はしていてもなかなか勝ちきれないという面をもった馬である可能性もあるかと思います。父はサウスヴィグラス。母の父はダンスインザダーク。9つ上の半姉に2011年にクラウンカップ戸塚記念,2013年にしらさぎ賞を勝ったナターレ。Louis de Funesはフランスの喜劇俳優。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は前夜のローレル賞に続いての南関東重賞40勝目。第27回,28回に続く3年ぶりのロジータ記念3勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞18勝目。ロジータ記念は初勝利。

 診察が開始されたのは午後3時20分でした。
 この日はサマリーはもらいましたが,検査詳細情報はもらえませんでしたので,HbA1cの値は分かりませんし,ほかの検査で異常があったかなかったかも分かりません。血糖値の推移については,変動の幅がかなり大きくなっていました。
 まず1月27日から30日,2月5日から14日,そして2月27日と28日については,低血糖の発症がみられました。発症するのは昼食前と夕食前です。これ以外の期間は高血糖が多く,ときに300㎎/㎗を超えていることもありました。このような状況だとインスリンの量は変更しにくいので,とりあえず現状のままにして,推移を見守ることにしました。1年で最も寒い時期のことですから,変動の幅が大きくなってしまったのは止むを得ないことだったと思います。主治医は3月で退職することになっていましたから,次回からは新しい主治医に診察してもらうことになります。
 帰途に薬局に寄りました。この日はインスリンも注射針も在庫が足りました。帰宅したのは午後4時40分でした。
 僕は注射のときには当然ながら消毒をします。そのために消毒綿を自作します。化粧を落とすときに使用するパフをエタノールに浸して作ります。ところが,この時期から,薬用のエタノールの在庫が薬局に見当たらなくなりました。これは新型コロナウイルスの影響です。仕方がありませんから,ノンアルコールのウェット清浄綿というのが売ってありましたので,それを買って使うようになりました。これが3月5日の木曜日のことです。エタノールを入手することができるようになったのはようやく最近になってからのことです。ですからその間はずっと清浄綿を買い,使用し続けていました。それがまだ残っていますので,実際にエタノールを使うようになるのはまだ何日か先のことになります。
 3月6日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 3月9日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 3月11日,水曜日。午前9時半に伯父,父のきょうだいの長男から電話がありました。これは日野公園墓地の墓から寺へ遺骨を移す際の費用についての相談でした。
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神奈川新聞社賞ローレル賞&納骨

2020-11-11 19:04:06 | 地方競馬
 北海道から1頭が遠征してきた東京2歳優駿牝馬トライアルとなっている昨晩の第20回ローレル賞
                                           
 セントレガーロは発馬後に両側の馬に挟まれ不利を受けました。僕が思っていたほど先行争いは激化しなかったのですが,セカイノホシとナジャは並んで逃げるようなレースになりました。3番手にケラススヴィアとサラママ。5番手にディアリッキー,ネレイスフラッシュ,ファストトラベルの3頭。2馬身差でオルディノとスセリヒメとベツセタイ。3馬身差でフェリスダージ。1馬身差でセントレガーロ。2馬身差でウインヒメユリ。4馬身差の最後尾にフライングトリップという隊列。前半の800mは50秒5のミドルペース。
 逃げた2頭は競り合ったまま直線に。その外にケラススヴィア。ディアリッキーも追ってきましたが,直線の入口で外に膨れてしまいました。直線は3頭の争いとなり,まずナジャが脱落。残った2頭の競り合いからケラススヴィアが抜け出す形になって優勝。セカイノホシが2馬身差で2着。最後はまた盛り返すようにナジャが半馬身差で3着。
 優勝したケラススヴィアはここまで2戦して連勝。初戦が5馬身,2戦目が3馬身差と,後ろに差をつけて勝っていましたので,ここも優勝候補の1頭。2着馬は北海道重賞で3着があった馬ですから,それに2馬身の差をつけて勝ったことは評価しなければなりませんし,砂を浴びるような形で勝ったことも収穫です。今後はもっと強い馬が転入してくるかもしれませんから,そういう馬たちとの争いになってくるのではないでしょうか。父はサウスヴィグラス。母の父はネオユニヴァース。祖母の3つ下の半弟に2006年に武蔵野ステークスを勝ったシーキングザベスト。Cerasus Viaはラテン語で桜の道。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手東京記念以来の南関東重賞39勝目。ローレル賞は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞41勝目。ローレル賞は初勝利。

 3月1日,日曜日。H伯母の四九日法要でした。
 妹はフォーマルな喪服というのは所持していません。ですからこういう場合は黒い服を着せることになります。の存命中は,妹の洋服はすべて母が管理していました。母の死後,妹が葬祭に出席したのは,母の通夜と葬儀と四九日,そして一周忌の法要だけです。母の死は8月でしたから,いずれも暑い時期のことでした。ですからそういう時期に着用するための黒い服というのはどこにあるのかを僕は分かっていましたが,冬季,3月ですから冬季というには語弊があるとすればまだ寒い時期に着るための黒い服の所在はよく分かっていませんでしたので,前日に洋服箪笥や押し入れなどを調べて用意するということになりました。H伯母の法要がこの日に営まれるということは,23日の従兄,父のきょうだいの三女の長男からの電話で知らされていて,その場合には妹も参列することになるということは分かっていたのですが,基本的に僕はこのような準備は直前にならなければやらないことにしています。
 事前の電話で打ち合わせをしておいたように,従兄は8時50分に迎えに来てくれました。寒川町内の寺院に到着したのは午前10時10分です。法要の開始時刻は午前11時でしたから,やや早めに到着したことになります。予定通りの時刻に法要が始まり,30分ほどで終了しました。H伯母の墓はこの寺の敷地の中にありましたから,徒歩で墓へと移動し,納骨も済ませました。この後,海老名市内の日本食のレストランで精進落としがありましたので,それにも参加しました。このとき,日本食のコースが出されましたが,その内容が明らかに祝い事のときに出されるべきものでしたので,やや不思議に感じられました。法事に適切なコースがおそらくはなかったのでしょう。これが終って,僕と妹は従兄に自宅まで送ってもらいました。僕たちが帰宅したのは午後2時50分でした。
 3月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後からは内分泌科の通院でした。病院に到着したのは午後2時半でした。中央検査室には患者がひとりも待機していませんでしたので,採血,採尿の順で済ませ,注射針の処理をしました。
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大山名人杯倉敷藤花戦&始発の遅れ

2020-11-10 19:04:02 | 将棋
 5日に指された第28期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が6勝,中井広恵女流六段が6勝。約5年半ぶりの対戦でした。
 倉敷市の副市長による振駒で里見倉敷藤花が先手となり,5筋位取り中飛車。後手の中井六段は左美濃。飛車交換になって先手が飛車を先着しましたが,思うような戦果をあげられず,後手が反撃に出る展開。
                                        
 後手が☖7七歩と打ったところ,先手が金取りを無視して底歩を打った局面。☖7八歩成なら☗同飛成で後手の飛車を召し取ることができます。
 後手は☖3一角と引きましたが,すぐに☖1五歩からの端攻めに出るのが有力だったようです。先手は☗9六歩と突いて☖9五角を阻止しました。
 ☖3一角には☖9五角のほかにもうひとつの狙いがあったようです。それが☖3三桂と桂馬を活用しに行く手。先手はここで☗7七桂☖同桂成☗同飛成と清算しました。後手はこれによって桂馬を入手することができたので☖3六桂。先手は☗2九王と引きました。
 ここで☖3四金と援軍を送りにいきましたが,☖4五歩☗同歩☖3四金の方が勢いがあってよかったようです。実戦はここで先手に決め手が出ました。それが☗8八金。
                                        
 これで☗7八龍から飛車を取る手を後手は防ぐことができません。第2図以降も後手は最善を尽くして攻めたものの駒損が大きく,先手が勝っています。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は21日に指される予定です。

 2月28日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 僕は妹の送迎の往復には,基本的にふたつの路線バスを乗り継ぎます。このうち,上大岡駅から通所施設の最寄りの停留所へ向かうバスと,上大岡駅から僕の家の最寄りの停留所へ向かうバスは,共に上大岡駅が始発です。この日は迎えに行く際,上大岡駅から妹の通所施設の最寄りのバス停へと向かうバスがなかなか来なかったために,僕が上大岡駅に滞在している間に午後3時になってしまいました。僕は午後3時に通所施設に妹を迎えに行くということになっています。帰りの会があるので,妹が午後3時ちょうどに出てくるということはほとんどありません。ですから5分ほどなら遅れても何ら問題ありませんが,この日はそれにも間に合わないことが決定的になりましたので,通所移設に電話を入れ,遅れることを報告しました。
 始発のバスなのに定刻に遅れるというのは不思議に思われるかもしれません。このバスは,上大岡駅から洋光台駅を経由して港南台駅との区間を往復します。基本的に,港南台から来たバスが,上大岡で折り返してまた港南台へと向かうという運行になっています。このとき,港南台から来たバスが上大岡で折り返す際に,十分な時間的な余裕がとられていないのだと思われます。したがって,港南台駅から上大岡駅へ向かうバスに大きな遅れが生じると,上大岡始発のバスも必然的に遅れてしまうのです。このバスは運行の区間がわりと長いということもあって,この日のように10分以上も遅れてしまうということはありませんでしたが,2分とか3分なら遅れるということがこれまでにも何度かあったのです。
 僕の家の最寄りの停留所と上大岡駅を結ぶバスは,根岸駅から上大岡駅へ向かったバスが,上大岡で折り返して根岸駅へ戻るという運行になっていますから,運行のシステムとしては上大岡駅と港南台駅間を結んでいるバスと同様です。ただこちらのバスは運行区間がそれほど長くないこともあり,上大岡駅で折り返す際に十分な時間的余裕をとることができます。ですからこちらのバスが上大岡駅の始発時間を遅れてしまうということはありません。
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泗水杯争奪戦&簡素化

2020-11-09 19:03:33 | 競輪
 昨晩の四日市記念の決勝。並びは宿口‐平原の埼玉に佐藤,浅井‐坂口‐志智の中部で稲垣,松浦,北津留は単騎。
 佐藤がスタートを取って宿口の前受け。4番手に浅井,7番手に松浦,8番手に北津留,最後尾に稲垣で周回。残り2周となるホームの手前から松浦が上昇。北津留と稲垣が続き,この3人がホームの出口の前で宿口を叩きました。バックに入ると稲垣が動いて松浦の前に。7番手まで引いた宿口が巻き返し,中団の浅井もそれに合わせていって打鐘。宿口ラインが前に出ると,稲垣はどこにも飛びつくことができず,ホームでは浅井が4番手に。バックから浅井が発進。これに平原が合わせて踏み込み,最終コーナーは踏み合いになりましたが,平原が制しました。直線ではこの踏み合いで疲れた平原が内によれるところがあり,番手の佐藤が差して優勝。平原が半車身差で2着でこのラインのワンツー。浅井マークから佐藤にスイッチする形になった坂口が4分の3車身差で3着。
                                        
 優勝した福島の佐藤慎太郎選手は昨年末の競輪グランプリ以来の優勝。記念競輪は2015年5月の宇都宮記念以来となる8勝目。四日市記念は初優勝。このレースは宿口の先行が有力なので,展開的には平原が有利そうでした。浅井が捲ってきたときに,余裕をもって対応することができなかったので,直線では佐藤が逆転したといったところでしょう。佐藤はかつてのように,マークする選手がいなくても自分で何かをやるということはできなくなってきていますから,結果はあくまでもマークした先行選手次第ということになります。しかしその選手がレースで力を出せば,自身は勝てなくてもきわめて堅実な成績を残しています。今年はFⅠには出走していない上に,開催中止の影響で出走回数も減っているのですが,1着の回数は昨年より増えていますから,優勝は少なくても常に軽視はできないということは変わっていません。

 2月14日,金曜日。妹の歯科検診でした。この通院があったために,この週は木曜に迎えに行ったのです。この日はそれまでと違った歯科助手だったのですが,クリーニングには問題がありませんでした。ただ,奥歯には汚れが多いという指摘を受けました。午後4時20分に帰宅しましたが,妹は疲れてしまったようで,ベッドに横になって眠ってしまいました。夕食のオムライスなどは完食しましたが,検温したところ微熱がありましたので,年末年始の休みのときと同じように,カロナールを飲ませてそのまま寝かせました。
 午後8時半に,ピアノの先生からの電話がありました。翌日のピアノの開始時刻の伝達です。妹の状況からもしかしたらできないかもしれないと思いましたが,もしそうなったら翌日にこちらから電話をすることにしました。
 2月15日,土曜日。妹はピアノのレッスンを受けられると言いましたので,前日の予定通りに先生に来てもらいました。午後3時半からでした。妹はとくに具合が悪くなるということはありませんでした。どうやら前夜の発熱は一時的なものであったようです。
 2月17日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 2月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 2月23日,日曜日。午後2時40分に従兄,父のきょうだいの三女の長男から電話がありました。3月1日に,H伯母の四九日の法要が営まれるという報告でした。場所は寒川町内の寺院です。この日は妹が帰宅している日です。僕と妹だけでそこまで行くのは大変ですが,従兄が午前9時に自家用車で迎えに来てくれるということでしたので,僕も妹も出席することにしました。
 2月25日,火曜日。妹を数所施設に送りました。24日の月曜は天皇誕生日の振替休日でしたので,この週の送りは火曜日になりました。
 2月27日,木曜日。午後2時40分にお寺の奥さんから電話がありました。春の彼岸会の日程と,実施方法の報告でした。この時期にはすでに新型コロナウイルスへの対策が必要になっていました。彼岸会は大勢が集まりますので,実施の方法がそれまでよりも簡素化されることになったのです。
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ブリーダーズカップスプリント&三者面談

2020-11-08 18:43:35 | 海外競馬
 日本時間の今日の未明,アメリカのキーンランド競馬場で行われたブリーダーズカップスプリントGⅠダート6ハロン。
 ジャスパープリンスは13番枠から押していき先手を奪いました。最終コーナーの途中から騎手の手が動き出し,直線の入口までは先頭で頑張りましたがそこで一杯。直線の途中では騎手が追うのをやめ,勝ち馬からは17馬身差ほどの最下位でした。
 この馬は日本ではオープンを勝っていますが,重賞には出走経験がありません。ですからダート競馬の最高峰のレースではこういう結果も止むを得ないでしょう。それでも最初からスピードで負けてしまったわけではなく,逃げることができたわけで,これはこれで収穫だったといってもいいと思います。
 ブリーダーズカップダートマイルにエントリーしたピンシャンは,繰り上がりで出走権を確保しましたが,出走取消となっています。

 1月30日,木曜日。従妹の通夜と葬儀のために25日から来訪していた叔父は,ずっと僕の家に宿泊していたのですが,この日は世田谷区の用賀にある叔父の友人の家に泊めてもらいました。
 1月31日,金曜日。叔父は午前9時に僕の家に戻りました。この日の午後1時半の飛行機で福江島に帰ることになっていましたので,午前11時に僕の家を出ました。僕は午後から通所施設へ妹を迎えに行きました。
 2月3日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日は地域担当支援主任のSさんが対応してくれました。なので持参していた受給者証を渡しました。
 2月4日,火曜日。グループホームで三者面談がありました。年度末に近いこの時期の三者面談は,年度の開始時期,今年度でいえば昨年の5月に実施した三者面談の状況の報告です。今年度からはグループホームの三者面談と,通所施設の三者面談が別々に実施されることになっています。別の日では大変ですから,通所施設の妹の担当者にはグループホームに来てもらい,同日に別々に実施するということになりました。面談の開始は午後3時半で,まずグループホームの三者面談から行われました。僕はグループホームに行くことはほとんどありません。妹の担当者と会ったのは,5月の三者面談のとき以来です。このときは当時よりも担当者の髪が伸びていて,瞬間的にはその人と分かりませんでした。
 報告でしたから,僕と妹はほとんど担当者の話を聞いているだけです。ですからどちらの面談もそれほど長くの時間を要しません。通所施設の三者面談も終えて僕はひとりで帰りました。帰宅したのは午後5時20分でした。
 2月5日,水曜日。午前中に根岸駅にあるドラッグストアに行きました。ついででしたのでI歯科に寄って予約を入れてきました。
 2月7日,金曜日。5日に予約を入れた歯科の検診でした。午前10時半から。クリーニングを施しただけです。
 2月8日,土曜日。妹は土曜レクリエーションでした。ですからこの週末は妹を迎えに行っていません。この日はバナナのクレープを作って食べたそうです。
 2月13日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
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周防国府杯争奪戦&参列者

2020-11-07 19:20:47 | 競輪
 3日に行われた防府記念の決勝。並びは坂井‐和田の東日本,宮本-清水-桑原-柏野の中国,市橋‐山田の九州で小倉は単騎。
 山田がスタートを取って市橋の前受け。3番手に小倉,4番手に宮本,8番手に坂井で周回。残り4周のバックの入口から早くも坂井が上昇。宮本の外で併走。このまま残り2周を迎え,ホームから坂井が発進。しかし市橋が突っ張りました。バックに入って宮本が内から上昇。うまく市橋の後ろの入りました。清水は続いたものの桑原はマークを外し,市橋‐宮本‐清水の順で打鐘。市橋を叩けなかったもののそのまま踏み続けた外の坂井がホームから発進した宮本とうまくタイミングが合い,今度は宮本-坂井‐清水という順に。清水がバックから発進。前のふたりを捲ると,コーナーでインを突いた和田が宮本をどかして清水の後ろに。しかし直線では差が詰まらず,優勝は清水。1車身差の2着に和田。バックから自力で外を捲った山田が1車身差の3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は7月のサマーナイトフェスティバル以来の優勝。記念競輪は6月の久留米記念以来の6勝目。防府記念は一昨年,昨年に続く三連覇で3勝目。このレースは清水の脚力が最上位。それに宮本という援軍を得ましたので,展開もかなり有利になるのではないかと思われました。ただ,宮本がトリッキーなレースをしたために,結果的に最終周回のホームではマークを外すことに。それでも落ち着いてバックから捲り,力量が上位であることを示しました。2着に和田,3着に山田と,別のラインで脚力上位の選手による決着になったのは,展開に乱れがあったためでしょう。

 H伯母のときと読経の内容が同じだったわけですから,読経の時間もさほど変わらなかった筈です。しかしこのときは参列者が多く,読経が終っても参列者による焼香がまだ続いていました。僕は従妹がどのような日常を送っていたのかを詳しく知りません。ただ,彼女は僕よりふたつ下,つまり40代で死んでしまったわけですから,高齢になってから死ぬよりも友人たちの数というのが相対的に多くなるのは当然で,その分だけ参列者が多くなったということなのだと思います。
 通夜の後は別室で精進落としが行われましたが,僕はそれには参加せずに帰りました。もちろん叔父は参加したわけですが,葬儀の施主というのは従妹の母親となっていて,この母親と叔父は離婚したために,従妹と叔父の仲はあまり良好な関係ではなくなったわけですし,僕と彼女の関係も疎遠となったわけです。叔父を別とすれば叔父,つまり死んだ従妹の父親の親族として参列したのは僕だけであり,僕自身もまた通夜や葬儀の日程については叔父を通して知ったのであって,彼女の母親側からは一切の連絡がありませんでした。ですから僕が参列すること自体が,施主であった彼女の母親,すなわち僕の叔母ということになりますが,この叔母側の親族からはあまり快くは思われていない可能性がありました。ですから僕はそういった点も考慮して,通夜と葬儀には参列しましたが,参列しただけですぐに帰ることにしたのです。帰宅したのは午後9時半でした。この日のブログの投稿時刻がほかの日と比べて遅くなっているのは,こうした事情があったからです。
 1月29日,水曜日。従妹の葬儀でした。これは午前11時から通夜と同じく大和斎場で。通夜のときと同様に,叔父は早くに行かなければなりませんでしたので,この日も僕はひとりで向いました。この日は雨も降っていませんでしたので,相模大塚駅と大和斎場の往復も前日と比べれば楽でした。
 葬儀の読経の後に,初七日の読経もありました。その後でお別れのセレモニー。そして出棺まで見届けて,僕はすぐに帰りました。ですから僕は従妹の火葬が始まるその瞬間には立ち会っていません。この瞬間に立ち会うと,帰るのが難しくなるからです。
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農林水産大臣賞典JBCクラシック&大和斎場

2020-11-06 19:20:12 | 地方競馬
 3日に大井競馬場の2000mで行われた第20回JBCクラシック
 ダノンファラオとチュウワウィザードが並んで逃げる形になりました。2馬身差でクリソベリル。それをマークしてオメガパフューム。2馬身差でデルマルーヴル。2馬身差でアングライフェン。差がなくサブノクロヒョウ。3馬身差でサクラアリュールとミューチャリー。2馬身差でサウンドトゥルーとノンコノユメとロードレガリス。2馬身差でセンチュリオン。差がなくマースインディ。2馬身差の最後尾にブラックバゴという隊列。前半の1000mは61秒4のスローペース。
 並んで逃げた2頭のリードは広がって3コーナーを通過。ここからクリソベリルが差を詰めていき,オメガパフュームはその外から追う形。直線でも前の2頭の競り合いは続きましたが,追ってきたクリソベリルがあっさりと外から差し,そのまま抜け出して快勝。マークしていたオメガパフュームは突き放される形にはなったものの,内の2頭は楽に差して2馬身半差の2着は安泰。ダノンファラオを競り落としたチュウワウィザードが2馬身差の3着。
                                   
 優勝したクリソベリル帝王賞からの連勝で大レース4勝目。このレースは上位の3頭とそれ以外で能力の差が歴然としていましたので,よほどのことがない限り順当な結果になるだろうと思っていました。中でもクリソベリルはほかの2頭より上位。前にチュウワウィザードがいて後ろにオメガパフュームがいるという状況は,競馬の形としては難しかったと思いますが,ベストのタイミングで追い出すことができたので,快勝になったのではないでしょうか。ダートでは現役最強で,2着馬との着差がそのまま能力の差とみていいと思います。2着馬と3着馬は着差ほどの能力差があるわけではなく,大井の2000mだとオメガパフュームの方が上ということでしょう。父はゴールドアリュール。母の父はエルコンドルパサー。祖母がキャサリーンパー。6つ上の全兄が2013年にジャパンダートダービー,2014年に日本テレビ盃,2015年にダイオライト記念,2016年にダイオライト記念,2017年にダイオライト記念を勝ったクリソライト。5つ上の半姉が2016年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬のマリアライト。4つ上の半兄が2015年に神戸新聞杯を勝ったリアファル。Chrysoberylは金緑石。
 騎乗した川田将雅騎手は帝王賞以来の大レース22勝目。第19回からの連覇でJBCクラシック2勝目。2009年のJBCスプリント,2011年のJBCスプリントを制していてJBCは4勝目。管理している音無秀孝調教師は帝王賞以来の大レース18勝目。JBCは全体で初勝利。

 1月28日,火曜日。従妹の通夜でした。
 彼女は僕よりも2つ年下です。このブログで糖尿病共生記という主旨の日記を書くようになってから,僕の両親を含め,何人かの親類が死んでいきました。そのたびに僕は通夜や葬儀に参列してきたわけですが,年下の通夜や葬儀に参列するというのは,僕にとってはこれが初めての経験でした。
 通夜と葬儀が行われたのは大和斎場です。ここはつい先日,H伯母の火葬をしたところですので,場所がどこであるのかということは分かっていました。ここは単なる火葬場ではなく,通夜や葬儀などのセレモニーも行えるホールが併設されています。僕の祖母,母の母も僕がこのブログで日記を書くようになった以降に死んだ人のひとりですが,祖母の場合も同様に,火葬が行える南部斎場の中で,通夜と葬儀を行いました。大和斎場もここと同じような施設を兼備していたわけです。従妹は大和市内に在住でしたから,火葬場の選択としては自然であり,よって斎場がここであったということも自然であったといえるでしょう。
 H伯母の火葬のときは,従兄が運転する自家用車に同乗させてもらったわけですが,今回はそういうわけにはいきません。大和斎場の最寄り駅はおそらく小田急江ノ島線の鶴間駅だと思われますが,地図で場所を確認した限り,相模鉄道の相模大塚駅から歩くことも可能であるように思えました。小田急江ノ島線を使う場合は,大和駅で相鉄から小田急に乗り換えることになります。これは面倒ですので,僕は相鉄でそのまま相模大塚まで行き,そこから歩いていくことにしました。叔父は僕の家に宿泊していましたが,娘の通夜と葬儀ですから早めに到着しておく必要があり,僕は開始時刻に間に合えばよいという立場ですから,叔父が先に出掛け,僕は後からひとりで行くという形になりました。
 通夜は午後7時からでした。実はこの日は雨が降っていまして,歩くのはちょっと大変だったのですが,迷うことなく大和斎場に到着することができました。読経したのはH伯母のときと同じく浄土宗の寺の僧侶で,読経の内容は同じでした。ただH伯母のときは南無阿弥陀仏の唱和を求められましたが,この日はありませんでした。
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農林水産大臣賞典JBC2歳優駿&2020年1月の通院

2020-11-05 18:55:28 | 地方競馬
 3日に行われた第1回JBC2歳優駿
 先手を奪ったのはカズカポレイ。2番手にルーチェドーロ。3番手はプライムデイとブライトフラッグ。5番手にレイニーデイとシビックドライヴでここまでが先行集団を形成。3馬身差でラッキードリームとタイセイアゲイン。オタクインパクトの3頭が好位。3馬身差でギガキング。サハラヴァンクールの2頭は中団。3馬身差でノットリグレットとトランセンデンス。2馬身差の最後尾にカイカセンゲンという隊列。ハイペースでした。
 3コーナーではカズカポレイとルーチェドーロ,そしてブライトフラッグの3頭が並んでいましたが,ほどなくカズカポレイは一杯となりずるずると後退。ルーチェドーロもコーナーの途中では一杯になり,ブライトフラッグが先頭で直線に。2番手に上がっていたレイニーデイがこれを追いましたが,さらに外からラッキードリームが2頭を差して先頭に。前半は後方に位置していたトランセンデンスが大外から脚を伸ばしてラッキードリームを急追。しかし届かず,優勝はラッキードリーム。トランセンデンスがクビ差で2着。レイニーデイが1馬身差の3着でブライトフラッグがクビ差で4着。大外から追い込んだサハラヴァンクールがハナ差まで詰め寄って5着。
 優勝したラッキードリームはここまで5戦して3勝。負けたのはおそらく距離が不足していた栄冠賞と芝のコスモス賞で,前走は北海道重賞のサッポロクラシックカップを勝っていました。門別競馬場の2歳のレースは,よほど能力があるかパワーがある馬でなければJRAの馬が通用するのは困難。そこでまず北海道勢の比較が重要になるのですが,今年はランク付けをするのが難しく,混戦が予想されました。結果的にサッポロクラシックカップの上位の2頭がそのまま1着と2着を占める形になりましたので,そのレースのレベルが最も高かったということなのでしょう。とはいえ2着馬はその後のサンライズカップでは5着に負けていましたから,この着順がそのまま能力の差だと判断するのは早計かもしれません。祖母の父がサクラユタカオー。ひとつ上の半兄に今年の優駿スプリントを勝っている現役のカプリフレイバー
 騎乗した北海道の石川倭騎手は一昨年のエーデルワイス賞以来の重賞2勝目。管理している北海道の林和弘調教師は開業から23年半で重賞初勝利、
 このレースは昨年までの北海道2歳優駿が発展したものです。そのためにこういう名称になっていますが,JBC競走の一貫とすれば,ほかのレースの名称とのバランスが不釣り合いに思えます。

 僕はこの日の午後は内分泌科の通院でした。ですからもしもこの日が従妹の葬儀であったら,僕も参列できなかったでしょう。通夜であれば参列できたとは思いますが,喪服で通院しなければならず,また処方箋を薬局にもっていくことはできなかったでしょうから,それを別の日にしなければならなくなっていたでしょう。そういう点でいえば,通夜が28日で葬儀が29日というのは,僕にとっても都合のよい日程であったことになります。
 病院に着いたのは午後2時10分でした。何度かいったことがあるかと思いますが,僕は病院に到着するとまず保険証確認という作業を行います。このときに,保険証のほかに診察券が必要になります。このとき,診察券を読み取るための磁気が弱化しているということでしたので,新しいものに交換してもらいました。新しいものといっても病院の診察券なのでデザインが変わるというわけではありませんから,見た目では何も分かりません。そしてこのときに同時に予約票も出してくれましたので,この日は予約票を出すために専用の機械に通すという作業を自分でする必要はありませんでした。ですからそのまま中央検査室に直行しました。
 中央検査室では採血を待っている患者がひとりもいませんでした。ですからすぐに僕の採血になり,その後に採尿をしました。この日は処理しなければならない使用済みの注射針は持参していませんでした。
 診察が開始されたのは午後3時25分でした。HbA1cは8.0%と,前年の12月と比べてもかなり高くなっていました。8%を超えたのは前年の4月以来のことでした。これは朝食前の血糖値が高騰しているケースが多くなっていたからです。その理由はやはり気候の影響だったと思われます。ですから持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎増量するという措置が採られました。これ以外には何も異常がありませんでした。HbA1c以外に何も異常が出なかったのは,前年の12月と同様です。
 最後に,主治医から3月で退職するということが伝えられました。主治医は概ね2年勤務すると交替というのが通例になっていますから,驚くことではありませんでした。
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農林水産大臣賞典JBCスプリント&従妹の死

2020-11-04 18:58:03 | 地方競馬
 大井競馬場の1200mで行われた昨日の第20回JBCスプリント
 ブルドッグボスはダッシュがつかず3馬身の不利。まずヒロシゲゴールドが先頭に立ち,2番手にモズスーパーフレアで3番手にノブワイルド。その後ろにマテラスカイ,ベストマッチョ,クルセイズスピリツの3頭。7番手にキャンドルグラスでその後ろのジャスティンとミスターメロディまでは集団。2馬身差でサブノジュニア。さらにトロヴァオ。シャインヴィットゥとコパノキッキング。サクセスエナジーとブルドッグボス。4馬身差の最後尾にメイショウアイアン。前半の600mは33秒4の超ハイペース。
 3コーナーに入る前にモズスーパーフレアが先手を奪い,ヒロシゲゴールドは後退。モズスーパーフレアはコーナーから後ろを離していき,直線の入口では3馬身くらいのリード。ここからマテラスカイが追い上げてきて,一杯になったモズスーパーフレアを差して一旦は先頭。これに襲いかかかったのが馬群を捌いて伸びてきたサブノジュニア。サブノジュニアが追ってきた時点で脚色の差が歴然としていて,あっさりとマテラスカイを差したサブノジュニアが抜け出して快勝。マテラスカイが1馬身4分の3差で2着。致命的な不利がありながら大外からよく追い込んだブルドッグボスが4分の3馬身差の3着に届き,途中から逃げたモズスーパーフレアはクビ差で4着。
 優勝したサブノジュニアアフター5スター賞以来の勝利。重賞初制覇を大レースで飾りました。この馬は大井の1200mできわめて安定して走っていた馬。今年に入ってジャスティンとは2戦して2敗でしたが,ここは先行意欲の高そうな馬が多い上にジャスティンが外目の枠を引きましたので,逆転の可能性もあり得るとみていました。勝つためには持ち時計を詰めなければならないと思われましたが,これまで以上のタイムでも走ることができる能力を有していたということでしょう。純粋なスプリント能力だけいえば2着馬が最上位なのですから,馬連で万馬券になったほどの波乱の決着ではなかったと思います。父は第3回を制したサウスヴィグラスで父仔制覇。祖母の母はフジキセキ。ひとつ上の半兄に2017年に東京記念を勝っている現役のサブノクロヒョウ
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。管理している堀千亜樹調教師もマリーンカップ以来の重賞2勝目で大レース初制覇。

 この日に妹の新しい受給者証が郵送されてきました。
 1月23日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は前日に郵送された受給者証は持参しませんでした。というのは受給者証はグループホームに預けるものなので,もし地域担当支援主任のSさんと会えるのなら渡すのですが,僕がSさんと会うとすれば妹を送っていく日の朝であって,迎えに行く日には会えないということが分かっていたからです。地域担当支援主任は,グループホームの利用者の,グループホームから通所施設への送迎の際には付き添うことになっています。僕が妹を送っていく時間帯にはもうすでに利用者が通所施設に到着している場合がほとんどなので,Sさんと会う場合があります。しかし僕が迎えに行くときにはすでに利用者はグループホームに向って出発した後なので,Sさんと会うことはないのです。
 1月24日,金曜日。妹を本牧脳神経外科に連れて行きました。この通院があったので,この週は木曜日に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をしただけでした。
 1月25日,土曜日。午前8時に福江島の叔父から電話がありました。従妹が前日に死んだとのことでした。すでに説明したように,僕は7日の電話で,従妹が聖路加国際病院から聖マリアンナ医科大病院に転院したということは知らされていましたが,その転院先が緩和病棟であったということはこの後に知ったことです。そのときの電話では余命が半年くらいと叔父に伝えられていましたので,この電話のときには,急なことのように感じられました。叔父がこのときに彼女の容態をどの程度まで知らされていたのかは僕には分かりませんが,叔父自身にとっても急なことであったのには変わりなかったようです。また僕の家に宿泊させてほしいとのことでしたので,了承しました。この日の飛行機のチケットが取れましたので,叔父はこの日のうちにこちらに来て,夜の10時20分に僕の家に到着しました。
 1月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。従姉の通夜と葬儀はH伯母のようにはすぐには行われず,通夜が28日で葬儀が29日でしたので,妹はどちらにも参列しませんでした。
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農林水産大臣賞典JBCレディスクラシック&モニタリング

2020-11-03 19:29:04 | 地方競馬
 大井競馬場の1800mで実施された第10回JBCレディスクラシック
 枠入りを嫌がる馬が多く,やや時間を要しました。サンルイビルはダッシュが鈍く1馬身の不利。すぐにサルサディオーネが先頭に。2番手にファッショニスタ。3番手にマドラスチェック。4番手にローザノワール。5番手にプリンシアコメータとダノンレジーナ。7番手にマルシュロレーヌ。8番手にレーヌブランシュとシネマソングス。10番手にナムラメルシー。11番手にマルカンセンサーで,この11頭は集団。4馬身差でサルサレイアとレイチェルウーズ。6馬身差でヨミ。3馬身差の最後尾にサンルイビルという隊列。前半の800mは49秒5のミドルペース。
 前の方の隊列はあまり変わらず,マルシュロレーヌが大外から追い上げる形で直線へ。内を回ったマドラスチェックが,逃げたサルサディオーネと2番手のファッショニスタの間に進路を取り,サルサディオーネが一杯になったところからは2頭が抜け出しての競り合い。外のファッショニスタが競り落として優勝。マドラスチェックがアタマ差で2着。手応えのわりに伸び脚を欠いたマルシュロレーヌは3馬身差の3着まで。
 優勝したファッショニスタは前走のスパーキングレディーカップからの連勝。重賞3勝目で大レース初制覇。この馬は牝馬のダート路線で常に安定した成績を残していましたから,能力面では通用するのは間違いがないところ。懸念材料は距離とみていました。ただこのレースはペースが落ち着き,それを2番手で楽に追走したことにより克服した形。本質的にはもう少し短い距離の方がよい馬だろうと思います。
 騎乗した北村友一騎手は宝塚記念以来の大レース6勝目。JBCはすべてのレース通じて初勝利。管理している安田隆行調教師は2013年の香港スプリント以来の大レース15勝目。JBCはすべてのレースを通して初勝利。

 Kさんが来訪したのは,新しい支援計画書を作成するために,妹が家でどのように過ごしているのかを視察するためです。これは正式名称を,サービス等利用計画・障害児支援利用計画といいます。名称は立派なものですが,中身はごくありきたりのものといっていいかもしれません。妹の計画書は,2月1日が開始で1月31日までの1年間となっています。したがって今年の2月以降の分を作成するための面談がこの日に行われたのです。9日にKさんに僕から電話を入れたのは,この日程の調整のためでした。面談は20分ほどで終了しました。主に妹に対する聞き取り調査でした。この利用計画は,達成されているかどうかを調査するために,Kさんによるモニタリングがあります。これは概ね3ヶ月に1度です。ただモニタリング調査はグループホームで行われます。つまりKさんは3ヶ月に1度,妹のモニタリングのためにグループホームに通い,妹と話をしています。またKさんはほかにもグループホームの利用者を担当していますので,実際にKさんがグループホームを訪問する頻度はそれよりも多くなっています。なので僕がKさんと顔を合わせるのはほぼ1年に1度,この日が2度目でしたが,妹はもっと多くKさんと会っていることになります。
 この後,15日にピアノの先生からの電話での申し出を受諾したように,妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半からでした。
 1月20日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日は地域担当支援主任のSさんに会いました。そして三者面談の日時を決定しました。
 1月22日,水曜日。午前11時20分に,月曜に会ったSさんから電話がありました。三者面談の日時を変更してほしいという依頼でした。
 三者面談は基本的にグループホームで行うので,僕がグループホームに行き,そのまま妹を連れて帰る日というのが僕にとっては最も手間が掛かりません。つまり土曜レクリエーションがない週の金曜日とか,金曜日に妹が病院に行く場合の木曜日といった日が,僕にとって最も都合のよい日程です。この日に指定されたのはそれに該当しなかったのですが,行くことはできましたので了承しました。
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アジアエクスプレス&通夜と葬儀

2020-11-02 18:51:53 | 名馬
 10月15日のエーデルワイス賞を勝った北海道のソロユニットの父はアジアエクスプレスです。
 2歳11月にダート1400mの新馬でデビューし勝利。さらに2週後の同じ条件の特別戦も連勝。この成績で朝日杯フューチュリティステークスに出走すると初の芝をものともせずに優勝。3連勝で大レースを制覇し,この年のJRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されました。
 3歳春はクラシックを目指しスプリングステークスで復帰し2着。皐月賞は6着でした。ここからダート路線に修正。ユニコーンステークスは12着と大敗を喫しましたが,レパードステークスで重賞2勝目。
 4歳春までの休養があり,復帰戦の名古屋大賞典が2着。アンタレスステークスも2着でした。この後,平安ステークスは5着で8月のオープンは太めが残って4着。
 ここから故障で休養。5歳11月のオープンで復帰しましたが,15着と大敗したこともあり,現役生活を終えました。
 現2歳が最初の世代。その中から重賞の勝ち馬が出たのですから,このクラスの種牡馬としては上々の滑り出しといえるでしょう。父が日本で種牡馬として成功していますから,この馬にもその可能性はあると思います。

 1月15日,水曜日。H伯母の通夜が自宅で営まれました。前日の電話での通り,従兄が僕を送迎してくれました。通夜は午後6時からでした。浄土宗の寺の僧侶による読経で,45分ほどでした。その後,用意されていた精進落としを頂いてから帰宅しました。帰宅したのは午後8時50分でした。すると留守番電話が入っていました。これは妹のピアノの先生からでした。ほどなくしてまた電話が入り,要件が伝えられました。19日に予定されていたピアノのレッスンを18日に変更したいという申し出でした。18日は予定がありましたが,それが終ってからであれば大丈夫でしたし,先生もその時間でよいとのことでしたから,了承しました。この日のブログの投稿時刻がいつもより遅くなってしまったのは,こうした事情があったからでした。
 1月16日,木曜日。H伯母の葬儀でした。これは斎場で火葬する時間の都合で,午前8時からでした。前日と同様にすべての移動,というのは,僕の家からH伯母の家までと,H伯母の家から斎場までを含めた移動ですが,それらの移動のすべてを従兄が自家用車に同乗させてくれました。午前6時に迎えにくるということでしたので,それに合わせて支度をしましたが,さすがにこの日は出掛ける前には朝食を摂ることはできませんでした。
 葬儀だけでなく初七日の法要もありました。前日と同じ僧侶で,葬儀が35分ほど,初七日は10分ほどでした。それから棺に入れられた遺体を花で飾り,蓋をするといった一連の儀式が執り行われ,斎場へと向かいました。場所は大和斎場です。母の父,僕の祖父が死んだのは僕が小学校の五年生の時だったと記憶していますが,その祖父を火葬したのがこの大和斎場で,僕がここを訪れたのはそれ以来のことでした。H伯母の家からはそう遠いところではなかったので,この移動はそれほど大変ではありませんでした。遺骨をあげると,その場で解散となりました。僕が帰宅したのは午後12時35分でした。
 1月17日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 1月18日,土曜日。午後1時40分に,支援計画書を作成してくれるKさんが来訪しました。
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天皇賞(秋)&H伯母

2020-11-01 19:27:41 | 中央競馬
 第162回天皇賞(秋)
 ダイワキャグニーが押して先手を取りにいきましたが,外からダノンプレミアムが楽に追い抜いていきました。2コーナーのあたりでダイワキャグニーは少し不利を被ったかもしれません。ダノンプレミアムはそのまま後ろを離していき3馬身から4馬身くらいのリードに。控えたダイワキャグニーが2番手。2馬身差でアーモンドアイ。1馬身差でダノンキングリー。1馬身差でブラストワンピース,ウインブライト,ジナンボーの3頭でこの5頭は一団。2馬身差でフィエールマンとクロノジェネシス。4馬身差でスカーレットカラー。最後尾にカデナ。前半の1000mは60秒5の超スローペース。
 ダノンプレミアムは馬場の内を開けての逃げ。3コーナーを回ると3馬身差でダイワキャグニー。その直後にウインブライト,アーモンドアイ,ジナンボーの3頭が併走という隊列に。直線はダノンプレミアムにダイワキャグニーが迫っていきましたが,その外のアーモンドアイは楽な手応え。残り100m付近で逃げ粘るダノンプレミアムを差したアーモンドアイが先頭に立つと,外からクロノジェネシスとフィエールマンが並んで追い上げてきました。ですがこの2頭はアーモンドアイには追いつけず,優勝はアーモンドアイ。外のフィエールマンが半馬身差の2着でクロノジェネシスがクビ差で3着。
 優勝したアーモンドアイヴィクトリアマイル以来の勝利で大レース8勝目。第160回に続く連覇で天皇賞(秋)2勝目。ここは出走メンバーを見た段階で,相当な確率でこの馬が勝ちそうだと思いました。2着馬は路線が違い対戦経験があまりない馬で,3着馬は今年になって力をつけてきた馬ということを考えると,能力通りの順当な結果になったといえそうです。スローペースで前の3頭と4着のダノンプレミアムの差が2馬身だったのは,上位3頭の力量が上位だったという証明といってもいいでしょう。父はロードカナロア。母がフサイチパンドラで祖母がロッタレース
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はスプリンターズステークス以来の大レース制覇。第158回,160回に続く三連覇で天皇賞(秋)3勝目。第159回,161回も制覇していて天皇賞五連覇で5勝目。管理している国枝栄調教師はヴィクトリアマイル以来の大レース19勝目。第160回からの連覇で天皇賞(秋)2勝目。第139回も制していて天皇賞は3勝目。

 1月11日,土曜日。妹は土曜レクリエーションでした。このためにこの週末は迎えに行っていません。この日はリンゴのホットケーキを作って食べたのだと妹は言っていました。本当にリンゴ風味のホットケーキであったかもしれませんが,あるいはアップルパイに類するものだったかもしれません。
 1月14日,火曜日。午前9時35分に,従兄,というのは父のきょうだいの三女の長男から,電話がありました。これは父のきょうだいの次女,僕やこの従兄からみれば伯母にあたるH叔母が死んだという知らせでした。午後3時15分に同じ従兄から電話があり,通夜と葬儀の日程が知らされました。明日が通夜で葬儀は明後日とのことでした。一般に死んだ直後に通夜や葬儀を営むことは,斎場や葬儀場の都合から難しいので,この日程にはいささか驚かされました。ただ,僕は17日には妹を迎えに行かなければなりません。つまりこの日程はちょうど妹が不在の間でしたから,僕にとっては都合のよいものであったのは事実です。
 H叔母は大和市内に住んでいました。夫は鹿児島出身で,どういう経緯で出会いまたどういう経緯で結婚したのかといった詳しい事情はまったく知りませんが,僕が物心ついたころから住んでいたのは大和市内です。ふたりの間には娘がひとりいました。僕からみれば従姉になります。この従姉は結婚していましたから,この時点では同居していません。余談ですが従姉の結婚式の当日はスーパークリークが菊花賞を勝った日で,このことはよく記憶に残っています。従姉には娘がひとり,息子がふたりありました。つまりH伯母夫婦には3人の孫がいたということになります。
 通夜と葬儀はこのH伯母の自宅で行われるとのことでした。僕はH伯母が大和市内に住んでいるということは知っていましたが,訪問したことは1度しかありません。それもおそらく小学生か中学生のときに連れて行ってもらったものでしたから,具体的にどのあたりだったのかというようなことについての記憶は定かではありません。ただ,知らせてくれた従兄は夫婦で自動車で行くとのことでしたから,僕も一緒に乗せてもらえることになりました。
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