スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JRA賞&発生理由

2014-01-10 19:12:12 | 中央競馬
 2013年のJRA賞が7日に発表されました。今年も競走馬部門のみ紹介します。
 年度代表馬はロードカナロア高松宮記念,安田記念,スプリンターズステークス,香港スプリントと大レースを4勝。ほかに阪急杯も優勝。間違いなく最も高いレベルで実績を積み上げた馬で,当然の受賞だと思います。部門別では最優秀短距離馬で,これも当然。2012年の最優秀短距離馬に続いて2年連続の受賞。
 最優秀2歳牡馬は朝日杯フューチュリティステークスを勝ったアジアエクスプレスで,最優秀2歳牝馬は札幌2歳ステークスと阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったレッドリヴェール。この両部門に関しては例年同様で,とくに付記するべきことはありません。前者はどういう路線を辿るのかがまず注目で,後者はクラシックで活躍してくれるでしょう。
 最優秀3歳牡馬は毎日杯,京都新聞杯,東京優駿,ニエル賞を勝ったキズナ。この受賞も僕は当然だと思います。今年の走りに最も期待が集まる馬なのではないでしょうか。
 最優秀3歳牝馬はフィリーズレビュー,オークス,秋華賞,エリザベス女王杯を勝ったメイショウマンボ。この部門はこの馬以外にあり得ません。血統的には息長く走れるように思えますので,今年の活躍も楽しみですが,牡馬相手となったときにどの程度までやれるのかは,未知数のところが残ります。
 最優秀4歳以上牡馬は大阪杯,フォワ賞,有馬記念を勝ったオルフェーヴル2011年の年度代表馬,2012年の最優秀4歳以上牡馬で,3年連続の受賞。
 この選出は僕は納得できないです。最も優秀な4歳以上の牡馬がロードカナロアではなくオルフェーヴルならば,ロードカナロアが年度代表馬ということはあり得ないですし,年度代表馬がロードカナロアであるならば,この部門もロードカナロアでなければならないと考えるからです。投票は投票者の裁量なのでとやかくいうことはしませんが,論理的破綻に目を瞑って情実で投票する人が多いことを,個人的には残念に感じます。僕の考えではこの部門と年度代表馬はロードカナロアで,オルフェーヴルには特別賞を贈るべきでした。
 最優秀4歳以上牝馬はジャパンカップを勝ったジェンティルドンナ。昨年のジャパンカップは必ずしもレベルが高いレースではなかったと思いますが,この馬の受賞自体は順当であると思います。2012年の年度代表馬で2年連続の受賞。
 最優秀ダートホースは武蔵野ステークスとジャパンカップダートを勝ったベルシャザール。この部門はホッコータルマエとの二者択一ですが,JRA賞という以上,JRA主催の大レースを制したこの馬が選ばれるのが自然であったと思います。底力がある馬ですし,ダートは年齢による衰えが芝ほどではないので,今年の活躍も期待できると思います。
 最優秀障害馬は東京ジャンプステークスと中山大障害を勝ったアポロマーベリック。これも順当な受賞と思います。障害は昨年は残念な出来事が多かったので,この馬は怪我なく走り続けてほしいです。

 強い意味の全体の中に,強い意味の中の弱い意味というのが出てきてしまうのは,ここまでの考察からして,自然であると考えることができます。これは,ふたつの意味の関係がどのようなものであるのかという点から派生してくるという見方が可能だからです。
 強い意味は弱い意味を十全に説明しますが,弱い意味によって十全に説明されることはありません。これを強弱ではなく,大小という観点から理解するならば,強い意味は弱い意味よりも大きな広がりをもっていて,その広がりの中に,弱い意味の全体が包含されているということになり得るからです。いい換えれば,強い意味がこの公理Axiomaの意味の全体であるとするなら,弱い意味の全体はその強い意味の一部を構成していると理解することができるのです。
 弱い意味は,何の問題もなく公理的性格を有しています。これでみれば,少なくとも強い意味の全体の一部は,無条件に公理的性格を有しているような要素によって構成されているということになります。
 強い意味の中の弱い意味というのは,弱い意味と同様に,無条件で公理的性格を有しているといえます。もちろん,弱い意味と強い意味の中の弱い意味というのは,意味している内容そのものは完全に同一であるわけではなく,むしろ差異があるといわなければなりません。しかし,なぜそれが無条件に公理的性格を有すると判断できるのかを導く筋道というものは,この両者の間で一致します。いや,正確にいうなら,筋道自体は一致していないというべきかもしれませんが,その筋道の前提となっている条件は同一であるといえます。それは知性intellectusが何を原因causaと十全に認識し,また何を結果effectusと十全に認識するcognoscereのかという点です。知性のうちにこの条件が揃っているならば,その知性は弱い意味が公理であるということ,いい換えれば共通概念notiones communesであることを把握しますし,同様に強い意味の中の弱い意味も公理であり共通概念であるということを把握するのです。
 したがって,強い意味の中の弱い意味というのは,実は弱い意味と同一の意味であること,少なくともそれを把握する知性にとっては同一であるということになります。よって,強い意味が強い意味といわれる所以,というかこれは僕が暫定的にそういっているだけですから,僕が強い意味を強い意味といっている所以は,強い意味の中の弱い意味のうちには,ほんの少しも含まれていないということになります。
コメント
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