スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

三沢と冬木&保険証確認

2016-06-13 19:05:10 | NOAH
 サムソン・冬木と三沢は個人的に仲が良かったそうです。
 冬木は国際プロレスからの移籍組ですが,その時点ではキャリアが浅い若手でしたので,全日本プロレスでは合宿所生活を送っていました。三沢もデビューする前からそこで暮らしていたのですから,出会いはまだ三沢がプロレスラーになる前だったことになります。同じ釜の飯を食ったという意味で仲良くなる契機はあったわけですが,それだけを理由にすることはできません。少なくとも,越中,後藤,川田利明は三沢と同じ時期に合宿所にいた筈で,冬木とだけ特別に親しくなるのにはほかに理由が必要だからです。ところが三沢が語っているところによると,冬木は別に三沢を特別にかわいがったというわけではなく,むしろ後輩に無茶な命令をする先輩だったように思えます。なのでふたりが特別に親しくなった理由というのは僕にはいっかな分かりません。
                                     
 僕はふたりが親しいという事実を長いこと知りませんでした。知ったのは馬場の死後,NOAHの旗揚げの前に三沢が全日本プロレスの社長をしていた時期だったと思います。冬木は天龍源一郎の後を追って全日本を離脱しました。しかしその後,全日本に復帰したいという意向をもったらしく,そのことを三沢に伝えたそうです。三沢はある程度のことを馬場から任されていたので,それに尽力したふしがありますが,どうも馬場からよい返事が得られなかったようです。なのでそれは実現しないまま馬場の死を迎えてしまいました。
 そういう動きがあったということも僕は知りませんでした。ですが馬場の死後にこのことを冬木が明かし,しかし馬場がオーナーの全日本に復帰するということに意味があったのだから,馬場が死んでしまった以上,もう全日本への復帰は目指さないという意味の発言をしたのです。つまり冬木が全日本を離脱した後も,冬木と三沢は個人的に連絡を取り合っていたということが判明したのです。
 三沢が尽力したのはたぶん本当で,冬木の復帰も構わないと思っていたのも事実だと思います。実際に冬木がプロレスを続けられなくなったとき,NOAHで記念試合を開催しているからです。

 病院に着いて僕が最初にしているのは保険証の確認です。これは清算の前に済ませておけばよいものですが,僕は着いてすぐにしているのです。時間が掛かる作業というわけではないですし,清算の直前に行うと,支払いが確定するまでの時間がやや長くなるということを経験的に感じているからです。このときは国民健康保険証が新しくなっていました。この場合にはそれを複写します。なので普段よりは時間を要しますが,大した問題ではありません。コピーをするということ自体はもう何度も経験していますから知っていました。
 中央検査室では僕の前にひとりの患者が採血を待っていました。最近は以前のように大勢の患者が待っているというケースはなくなりました。これは時間の問題かもしれません。最近の僕は大体は午後12時45分前後に検査をしますが,この時間だと多くの通院患者はもう検査を終えた後ということなのだと思います。採血室では4人が同時に採血できるようになっていますが,この時間ですと技師はふたりしかいないというケースが多く,日によってはひとりだけということもあります。つまり病院の方でもこの時間ならそれだけの技師で十分と判断しているのでしょう。
 こういう状況ですから僕の前に待っている患者がひとりでもいれば,時間には少しの余裕があります。なのでこの日は先に採尿をしました。隣にあるトイレから戻ったときにもまだ僕の順番は回ってきていませんでした。ですから注射針の処理を済ませてから採血という順序になりました。
 この日は診察の予約時間が午後2時半になっていました。それでもまだ午後1時にはなっていませんから,午後3時のときほどではないとはいえ,時間に余裕があるのは同じです。なので小港まで出て外食しました。それでも食事を終えて午後2時を過ぎるということは絶対にありません。仮に2時を少し過ぎてしまったという場合でも,2時半までに病院には必ず到着できますので,この場合でも小港で外食するなら少し時間を潰すだけの余裕があることになります。この日も午後2時20分くらいには内分泌科の受付で事前の作業をすべて済ませることができました。
コメント
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