スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&絶対に無限な神と限りでの神

2020-10-16 19:05:30 | 地方競馬
 昨晩の第23回エーデルワイス賞。ウワサノシブコは出走取消で15頭。
 好発はトゥルスウィーとスマイルミュの2頭。内の方からマウンテンムスメがハナへ。2番手にスマイルミュ。3番手にマーサマイディアとソロユニット。5番手にクローリスノキセキとトゥルスウィー。7番手はエイシンウィンク。8番手以下はラストリージョ,レディブラウン,アークリオン,スーパービンゴ,ホーキーポーキーと続いてここまでの12頭は集団。あとはブルーカルセドニー,ミコブラック,アウィウィリオの順でこの3頭は離されました。前半の600mは34秒2のハイペース。
 3コーナーを回ると前の2頭は一杯になり,3案手を追走していたマーサマイディアとソロユニットが前に。この2頭の雁行が直線の入口まで続きました。直線に入るとすぐにソロユニットが先頭に。この2頭の後ろまで追い上げていたラストリージョは前の2頭に並ぼうかというところで一杯。抜け出したソロユニットが後ろとの差を広げていって楽勝。前半は前から離された位置を追走していたミコブラックが外から追い込んで4馬身差の2着。マーサマイディアが1馬身半差で2着。ラストリージョが1馬身差の4着で,やはり後方から追い込んできたブルーカルセドニーがハナ差で5着。
 優勝したソロユニットはデビュー戦こそ2着でしたがその後は前走のリリーカップまで4連勝。5連勝での重賞制覇。結果から一目瞭然ですが,このメンバーではスピード能力の絶対値が違っていました。メンバー全体のレベルがどうであったのかは分からない部分があるのですが,これだけの着差をつけて勝っているわけですから,例年の勝ち馬よりは高いレベルにあるとみてよいだろうと思います。父は2013年のJRA賞の最優秀2歳牡馬のアジアエクスプレス。母の父はアグネスデジタル。祖母の父は1987年に阪急杯とCBC賞を勝ったセントシーザー
 騎乗した北海道の阿部龍騎手は,写真判定の判断に誤りがあったために確定後に着順が変更された2018年の北海道2歳優駿以来の重賞3勝目。第20回以来3年ぶりのエーデルワイス賞2勝目。管理している北海道の角川秀樹調教師も2018年の北海道2歳優駿以来となる重賞10勝目。第11回,12回,15回,18回,20回に続き3年ぶりのエーデルワイス賞6勝目。

 絶対に無限な実体substantiaについて,僕たちが理解し得ることは,まとめると次のようになります。
 まず,絶対に無限な実体は,無限に多くのinfinita属性attributumによって本性essentiaを構成されなければなりません。したがって,僕たちにとって未知のもの,より正確にいうと,僕たちが知り得ない,これは十全に認識し得ないという意味ではなく,たとえ混乱しても認識し得ないものが,絶対に無限な実体の本性を構成しているということです。したがって,絶対に無限な実体の本性を,そのまま認識するcognoscereということはできないということを同時に知るのです。一方,絶対に無限な実体は必然的にnecessario存在するということも僕たちは認識します。つまり,その本性をそのままの形で知り得ないものについて,それが存在するということは知るのです。これらのことが何ら矛盾していないということは,ここまでの説明から明らかでしょう。
                                   
 絶対に無限な実体のことを神Deusというなら,神について僕たちは上述したのと同じことを知るということになります。ただし,絶対に無限な実体の本性が無限に多くの属性によって構成されるのである以上,思惟の属性Cogitationis attributumおよび延長の属性Extensionis attributumもその本性を構成しているのですから,その限りでは僕たちは絶対に無限な実体を認識します。僕の見解opinioでは十全に認識するのです。そしてもちろんこのことも,絶対に無限な実体を神というなら,神について妥当するということになるのです。よって,僕たちは神を十全に認識するのですが,それは絶対に無限な実体としての神であるというよりは,延長の属性および思惟の属性,とくに各々の思惟の属性が実在的に区別されるという点に注意するなら,延長の属性と延長の属性に対応する思惟の属性によって説明される限りでの神であるというべきだというのが,僕の見解です。前にもいったように,人間が神を十全に認識することができるということは,スピノザの哲学の中では肯定されなければならないことなのですが,そこで意味されている神というのは,延長の属性によって説明される神と,延長の属性に対応する思惟の属性によって説明される限りでの神であり,絶対に無限な実体としての神ではないというのが僕の見解になります。
コメント
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