スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アジアエクスプレス&通夜と葬儀

2020-11-02 18:51:53 | 名馬
 10月15日のエーデルワイス賞を勝った北海道のソロユニットの父はアジアエクスプレスです。
 2歳11月にダート1400mの新馬でデビューし勝利。さらに2週後の同じ条件の特別戦も連勝。この成績で朝日杯フューチュリティステークスに出走すると初の芝をものともせずに優勝。3連勝で大レースを制覇し,この年のJRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されました。
 3歳春はクラシックを目指しスプリングステークスで復帰し2着。皐月賞は6着でした。ここからダート路線に修正。ユニコーンステークスは12着と大敗を喫しましたが,レパードステークスで重賞2勝目。
 4歳春までの休養があり,復帰戦の名古屋大賞典が2着。アンタレスステークスも2着でした。この後,平安ステークスは5着で8月のオープンは太めが残って4着。
 ここから故障で休養。5歳11月のオープンで復帰しましたが,15着と大敗したこともあり,現役生活を終えました。
 現2歳が最初の世代。その中から重賞の勝ち馬が出たのですから,このクラスの種牡馬としては上々の滑り出しといえるでしょう。父が日本で種牡馬として成功していますから,この馬にもその可能性はあると思います。

 1月15日,水曜日。H伯母の通夜が自宅で営まれました。前日の電話での通り,従兄が僕を送迎してくれました。通夜は午後6時からでした。浄土宗の寺の僧侶による読経で,45分ほどでした。その後,用意されていた精進落としを頂いてから帰宅しました。帰宅したのは午後8時50分でした。すると留守番電話が入っていました。これは妹のピアノの先生からでした。ほどなくしてまた電話が入り,要件が伝えられました。19日に予定されていたピアノのレッスンを18日に変更したいという申し出でした。18日は予定がありましたが,それが終ってからであれば大丈夫でしたし,先生もその時間でよいとのことでしたから,了承しました。この日のブログの投稿時刻がいつもより遅くなってしまったのは,こうした事情があったからでした。
 1月16日,木曜日。H伯母の葬儀でした。これは斎場で火葬する時間の都合で,午前8時からでした。前日と同様にすべての移動,というのは,僕の家からH伯母の家までと,H伯母の家から斎場までを含めた移動ですが,それらの移動のすべてを従兄が自家用車に同乗させてくれました。午前6時に迎えにくるということでしたので,それに合わせて支度をしましたが,さすがにこの日は出掛ける前には朝食を摂ることはできませんでした。
 葬儀だけでなく初七日の法要もありました。前日と同じ僧侶で,葬儀が35分ほど,初七日は10分ほどでした。それから棺に入れられた遺体を花で飾り,蓋をするといった一連の儀式が執り行われ,斎場へと向かいました。場所は大和斎場です。母の父,僕の祖父が死んだのは僕が小学校の五年生の時だったと記憶していますが,その祖父を火葬したのがこの大和斎場で,僕がここを訪れたのはそれ以来のことでした。H伯母の家からはそう遠いところではなかったので,この移動はそれほど大変ではありませんでした。遺骨をあげると,その場で解散となりました。僕が帰宅したのは午後12時35分でした。
 1月17日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 1月18日,土曜日。午後1時40分に,支援計画書を作成してくれるKさんが来訪しました。
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