スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

周防国府杯争奪戦&矛盾の中身

2019-11-08 19:03:34 | 競輪
 4日の防府記念の決勝。並びは郡司‐内藤の神奈川と清水‐原田‐渡部の中国四国で佐藤,吉沢,三谷,山田の4人が単騎。
 渡部がスタートを取って清水の前受け。4番手に三谷,5番手に郡司,7番手以下は佐藤,山田,吉沢で周回。残り3周から吉沢が上昇。バックの出口で誘導が退避して吉沢が前に。追っていた郡司がホームで吉沢を叩いて前に出ると,最後尾になった三谷がバックから発進して打鐘。三谷はホームで郡司を叩き,郡司は飛びつくことができず,車間が開いての2番手に。バックの入口から清水が発進。郡司が牽制しましたがそれを乗り越えました。離して逃げていた三谷に迫った清水は直線の入口でついに直後まで追いつき,ここからは清水と番手の原田のマッチレース。原田の伸び脚は鋭かったのですが,わずかに残した清水が優勝。原田が8分の1車輪差の2着で中国四国のワンツー。逃げた三谷が4分の3車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は立川記念以来の優勝で記念競輪3勝目。防府記念は昨年に続いての連覇で2勝目。このレースは郡司,三谷,清水の3人が脚力上位。その中でラインが長くなった清水が最も有利に戦えそうというメンバー構成。郡司はだれか単騎の選手が来ることを予測して早めに前に出たと思うのですが,三谷のかましのスピードに続いていくことができませんでした。ここが勝敗を分けた大きなポイントのひとつでしょう。清水はその後で郡司に抵抗されたのを乗り越え,それでいながら自力脚のある原田の差しを押さえたのですから,強い内容であったと思います。

 スピノザがそこでいいたいことの主旨が何であるのかということを別として,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の三五節と七四節でいわれているのは,真の観念idea veraと確実性certitudoとが同等にみなされているということです。したがってこれでみれば,ある人間の精神mens humanaのうちにXの真の観念があれば,その人間はXについて確実であるということになります。他面からいえば,このときにはその人間は,自分がXについて確実であるということを知っているということになります。確実性というのはそういうことを意味しなければならないからです。
                                       
 ですからこのことは『エチカ』でいえば,第二部定理四三に該当するといえるでしょう。そこでは,真の観念を有する人間は,自分が真の観念を有しているということを疑い得ないといういい方で表現されていますが,それを疑い得ないのはそれについて確実であるということを知っているからです。つまりこの定理Propositioは,真の観念を有している人間は,自分がそれについて確実であるということを知っているという意味にとれるのであり,それはつまり,真の観念と確実性を等置しているということになるでしょう。
 これに対して『知性改善論』の七八節では,もし精神の中にひとつの観念しかないなら,それが真verumであるか偽であるかを問わず,疑惑dubitatioもなければ確実性もないといわれています。要するに,もし精神の中にひとつの観念しかないと仮定した場合は,その観念が真の観念であるのか誤った観念idea falsaであるのかということとは関係なく,その人間はその観念について疑惑をもつことも確実性をもつこともないといっているのです。ですからこの場合には,確実性にせよ疑惑にせよ,それはいくつかの観念を比較することによって生じるということになるでしょう。よってこの場合には,ある人間があるひとつの事物を真に認識し,つまりその事物の真の観念を有し,それ以外には何も認識するcognoscereことがないと仮定した場合には,その人間はそれについて確実性を有することはないといわなければなりません。つまりこの場合は,真の観念と確実性を等置することはできないことになります。
 これが秋保が指摘している『知性改善論』における矛盾の中身です。
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