スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日杯フューチュリティステークス&最初の先生

2013-12-15 19:13:00 | 中央競馬
 2歳チャンピオンを決める第65回朝日杯フューチュリティステークス
 ショウナンワダチは出負け。最内枠を引いたのですからベルカントが逃げたのは当然。コース形態もあって隊列が定まるのに時間を要しましたが,追っていったのはエルカミーノレアル,マイネルディアベル,掛かっていたと思えるプレイアンドリアル,ウインフルブルームといったあたりで,サトノロブロイ,アトム,ショウナンアチーヴまではほぼ集団になりました。その後ろのインにアジアエクスプレス。前半の800mは46秒8で,ミドルペースといっていいでしょう。
 直線は先行勢が横に広がりましたが,その中から抜け出したのはウインフルブルームとショウナンアチーヴ。この2頭は激しく競り合いましたが,コーナーの半ばあたりから外に出したアジアエキスプレスがこの2頭の外から差し込み,最後は抜け出して優勝。激しい競り合いはショウナンアチーヴに軍配が上がり,1馬身4分の1の差で2着。競り負けたウインフルブルームがクビ差で3着。
 優勝したアジアエクスプレスはここまで2戦2勝。初戦が5馬身,2戦目が7馬身という大差をつけてのもので,能力の高さはおそらく随一。ただその2戦はいずれもダートですので,未知数の部分もかなり大きいという存在でした。全日本2歳優駿に回れば大本命でしたでしょうが,鞍上の進言もありこちらに出走。見事に芝もこなしての大レース制覇となりました。どの程度の成長力があるかは分かりませんが,ダートの方がむしろ向くのではないかと思いますので,来年以降も活躍できることは間違いないものと思います。曾祖母の従弟に1999年の朝日チャレンジカップと京都大賞典を連勝したツルマルツヨシ
 騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手はジャパンカップに続いての日本での大レース制覇。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。管理している手塚貴久調教師は春の桜花賞以来の大レース制覇。第63回以来2年ぶりの朝日杯フューチュリティステークス2勝目。

 母からの又聞きではありますが,先生は自分が癌であることを知った上で,単にそのことを周囲の人たちには伝えなかったというだけではなく,治療を受けることもなかったそうです。断言することはできませんが,実際にその通りであったとしたのなら,先生が自分が癌であるということを知ったときには,もう末期で,手の施しようがないような状態に至っていたということでしょう。
 母の話ですと,調律師からは,話してもよいことであるのかどうか分からないけれども,一応は伝えておくというニュアンスが込められていたそうです。僕たちは先生とは付き合いがありましたが,先生の家族とは何の繋がりもなく,そもそもこの先生の家族構成がどのようなものであるかということすら知りません。ただ,調律師がそのようなニュアンスを含ませたということは,先生が亡くなったということは,親類のことは分かりませんが,それ以外にはごく親しい知人にのみ知らされたということなのだろうと思われます。逆にいうなら,調律師と亡くなった先生とは,かなり親しい間柄であったということでしょう。
 少なくとも僕が高校生の頃には,この先生は妹にピアノのレッスンをしていました。レッスンの開始の当時,たぶん音大生であったと思いますので,僕よりも年上であることは間違いありません。また,僕は大学生のときに,この先生が出演したオペラを友人とふたりで観劇していますが,そのときには学校は卒業していたと思いますが,30代にはなっていなかったと思うのです。したがって僕と10の年の違いはないでしょう。僕は今月の7日に43歳になりましたので,先生は50歳前後での早世であったということになります。調律師は,この先生よりもさらに少し年上だと思いますが,これは僕の見立てにすぎません。こういう形で伝えられましたので,何かお悔やみをするということはできませんでしたが,知らずにいたよりは知っておいた方がよかったということは間違いなく,教えてくれた調律師には感謝しています。
 翌日,12月3日の火曜日は午前中にО眼科へと眼科検診に行きました。病院に着いたのは診療開始の午前9時半でした。
コメント
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