スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

周防国府杯争奪戦&眠り

2018-11-09 19:03:22 | 競輪
 4日に行われた防府記念の決勝。並びは鈴木‐諸橋の新潟,三谷‐村上の近畿,清水‐松浦の中国で杉森と郡司と山田は単騎。
 前受けは三谷。3番手に鈴木,5番手に清水で7番手以降は山田,郡司,杉森で周回。残り3周のバックの出口から清水が上昇。ホームで三谷を叩いて誘導の後ろに。鈴木はこの動きに乗るような形で上昇。バックで清水を叩くと誘導を斬りました。山田は清水が動いたところで一緒に動いたので松浦の後ろ。鈴木の動きに乗った郡司が3番手,杉森が4番手となり引いた清水は5番手。打鐘から三谷が発進。鈴木が応戦して先行争いに。ホームから山田が単騎で動き,それに乗る形になったのが清水。山田に追いついた勢いでそのまま捲った清水が後ろを大きく引き離して優勝。諸橋の後ろから外に持ち出して捲った郡司が7車身差で2着。清水のスピードについていくことができなかった松浦が4分の3車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は記念競輪初優勝。昨年はFⅠで5回の優勝。今年からビッグにも出場するようになった新鋭で,ビッグでも決勝に進出できるくらいまで力をつけていました。ここは三谷が鈴木と先行争いをし,郡司が内に詰まるような競走になった上に単騎で動いた山田を利することができた展開面が大きかったのは事実。それでもこれだけの着差をつけての優勝ですから,もう十分に記念競輪クラスでは優勝候補の一角を占める選手になったと考えていいでしょう。自らの1着に固執するのではなく,ラインが共倒れにならないようにするレースを心掛けている印象があり,たぶん今後もそういうレースを続けて行く方が,優勝回数を積み上げていくことに直結していくことになるのではないかと思います。

 伯母はこの日,夕食を摂った後でまた病院に母の見舞いに行きました。緩和病棟はいつでも面会が可能でしたから,そういうこともできたのです。日中も行っていたのですが,伯母は帰国する日が間近となっていましたので,少しでも長く母と一緒にいたかったのだろうと思います。
 7月27日,金曜日。この日は午後に見舞いに行きました。この見舞いの間に,Fさんが見舞いに来てくれました。Fさんは僕より先に帰りましたが,Fさんが帰った後で母は少し眠りました。この日は昼食の後で嘔吐してしまったため,吐き気止めの注射をしましたが,この注射が眠気を誘うのだと母は言っていました。
 嘔吐の原因が何であったかは定かではありません。ただ,もしかしたらこの頃から母の身体は,徐々に食物を受け入れるということを拒否し始めていたのかもしれません。また,注射と眠気の因果関係も,母が言った通りのものであったかも僕には分からないです。ごく単純にいえば人間は死期が迫れば眠っている時間が長くなるもので,そういう兆候であったかもしれないと僕には思えるからです。
 7月28日,土曜日。この日も午後に見舞いに行きました。この日は僕が病室に入ったときには母は眠っていましたが,少しすると目覚めました。その後でベッドを起こして話をしましたが,またベッドを倒すと眠ってしまいましたので,声を掛けて僕は帰りました。
 先述した通り,この日は妹のグループホームがある場所の近くで地区の盆踊りがあり,グループホームの居住者も参加することになっていました。妹もそれに参加したいとのことでしたから,前日は迎えには行かず,この週末をホームで過ごすようにしたのです。月曜にはそのときに着るための浴衣も持参しました。ところがこの日は台風が接近していましたので,この盆踊りは中止になっています。僕は見舞いのために家を出たときには天候でいえば曇り,つまり雨は降っていませんでした。再び眠った母がまた目を覚ますまで待たず,声を掛けて帰ってしまったのにはこういう理由もありました。僕が帰宅したのは午後4時50分だったのですが,それでもこの時点では暴風雨に近かったです。
コメント
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