
大阪、京都と続いた歌謡曲シングル盤ハンティング・ツアー・レポートは一応前回でお終いなのだが、京都編の最後で「東京ナイト」を取り上げたついでと言っては何だが、先月亡くなられた山内さんへの追悼の意味も込めて今日はもう1曲、「二人の銀座」でいってみたい。
山内&和泉ペアは60年代に計5枚のデュエット・シングルを出しているが、「ユー・アンド・ミー」、「星空の二人」、「二人の朝」といった歯が浮くような激甘青春歌謡は私的にはNGで、やはりこのデュオは「東京ナイト」と「二人の銀座」というベンチャーズ歌謡の2曲に尽きる。そういえば太陽レコードで「東京ナイト」をレジへ持って行った時、店主のオッチャンが “山内賢、亡くなったんやてなぁ... いくつやったん?” と話しかけてこられたので “67歳やったみたいですよ。映画とかリアルタイムで見たことないので、僕が知ってるのはこの曲と「二人の銀座」だけなんです。” と答えたところ、 “せやなぁ... 僕もその2曲だけで十分やと思うわ。” と仰っていた。
私のこの曲との出会いは今から6年ぐらい前のこと、ベンチャーズにハマるきっかけとなった4枚組CD「EPコレクション」に入っていたオリジナル・ヴァージョン「Ginza Lights」を聴いて大感激! ベンチャーズってめっちゃエエ曲書くやん!と目からウロコ状態で、心の琴線を震わすようなマイナー調のメロディーにすっかり参ってしまった。彼らはこの後「北国の青い空」(奥村チヨ)や「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「京都の恋」に「京都慕情」(渚ゆう子)と、ひょっとして日本人よりも日本の情緒を深く理解してるんやないかと思わせるような哀愁舞い散るメロディーを持った名曲をいくつも生み出していくのだが、そのきっかけとなったのがこの「二人の銀座」なんである。
この曲、元々は66年のアルバム「ゴー・ウィズ・ザ・ベンチャーズ」に入っていたもので、彼らのインタビューによると “特に日本を意識して書いたわけではなく、出来上がってみるとどことなく日本的な感じがしたのでそういうタイトルにしたんだ。まさか日本人の歌手にカヴァーされるなんて思ってもみなかった。日本を意識して曲を書くようになったのは「ポップス・イン・ジャパン」をレコーディングしてからのことで、東芝のスタッフが日本のヒット曲を色々送ってくれたんで、僕らもそれに見合うようなオリジナルを6曲ほど書いたんだ。” とのこと。要するにベンチャーズ歌謡の第1号であるこの曲は偶然の産物だったということらしい。
その後、私は「ベンチャーズ歌謡大全」というCDで初めてこの山内&和泉ヴァージョンを聴いたのだが、あまりの歌のヘタさ加減に愕然としたのを覚えている。まぁ二人とも日活の俳優さんということで当然本職の歌手のようにはいかないのは分かるが、それにしても和泉雅子の音程の外しっぷりは強烈だし、いきなり取って付けた様な高音で歌い出す山内賢の素っ頓狂なヴォーカルも正直言って痛かった。まぁ何度も聴いているうちにだんだん慣れてきて今では昭和歌謡の名曲の一つとして楽しんでいるが、それでもやっぱりヘタなもんはヘタやわ(笑)
作詞・編曲は「東京ナイト」と同様、永六輔と川口真のコンビで、 “みゆき通り すずらん通り~♪” と地名を連発するご当地ソングのお約束的な展開といい、軽快なノリの良さ一発に賭けたエレキなアレンジといい、原曲の魅力を活かしながら一般ピープル受けしそうな歌謡ポップスに仕上げている。
YouTube の動画は同名映画の演奏シーンを巧く編集してあって、モノクロ画面が古き良き昭和の空気を感じさせてくれる。残念ながらここでは映画の一部しか見ることはできないが、山内賢の爽やかな好青年ぶりや、思わず抱きしめたくなるような和泉雅子の愛らしさ、そして若者たちの風俗・ファッションなども含め当時の世相が実に魅力的に描かれていて中々面白そうだ。もしDVD化が無理なら、せめて日活に強いチャンネルnecoあたりで山内さんの追悼特集を組んでほしいなぁ。
山内賢&和泉雅子 - 二人の銀座
THE VENTURES - GINZA LIGHTS - 33RPM 1967
山内&和泉ペアは60年代に計5枚のデュエット・シングルを出しているが、「ユー・アンド・ミー」、「星空の二人」、「二人の朝」といった歯が浮くような激甘青春歌謡は私的にはNGで、やはりこのデュオは「東京ナイト」と「二人の銀座」というベンチャーズ歌謡の2曲に尽きる。そういえば太陽レコードで「東京ナイト」をレジへ持って行った時、店主のオッチャンが “山内賢、亡くなったんやてなぁ... いくつやったん?” と話しかけてこられたので “67歳やったみたいですよ。映画とかリアルタイムで見たことないので、僕が知ってるのはこの曲と「二人の銀座」だけなんです。” と答えたところ、 “せやなぁ... 僕もその2曲だけで十分やと思うわ。” と仰っていた。
私のこの曲との出会いは今から6年ぐらい前のこと、ベンチャーズにハマるきっかけとなった4枚組CD「EPコレクション」に入っていたオリジナル・ヴァージョン「Ginza Lights」を聴いて大感激! ベンチャーズってめっちゃエエ曲書くやん!と目からウロコ状態で、心の琴線を震わすようなマイナー調のメロディーにすっかり参ってしまった。彼らはこの後「北国の青い空」(奥村チヨ)や「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「京都の恋」に「京都慕情」(渚ゆう子)と、ひょっとして日本人よりも日本の情緒を深く理解してるんやないかと思わせるような哀愁舞い散るメロディーを持った名曲をいくつも生み出していくのだが、そのきっかけとなったのがこの「二人の銀座」なんである。
この曲、元々は66年のアルバム「ゴー・ウィズ・ザ・ベンチャーズ」に入っていたもので、彼らのインタビューによると “特に日本を意識して書いたわけではなく、出来上がってみるとどことなく日本的な感じがしたのでそういうタイトルにしたんだ。まさか日本人の歌手にカヴァーされるなんて思ってもみなかった。日本を意識して曲を書くようになったのは「ポップス・イン・ジャパン」をレコーディングしてからのことで、東芝のスタッフが日本のヒット曲を色々送ってくれたんで、僕らもそれに見合うようなオリジナルを6曲ほど書いたんだ。” とのこと。要するにベンチャーズ歌謡の第1号であるこの曲は偶然の産物だったということらしい。
その後、私は「ベンチャーズ歌謡大全」というCDで初めてこの山内&和泉ヴァージョンを聴いたのだが、あまりの歌のヘタさ加減に愕然としたのを覚えている。まぁ二人とも日活の俳優さんということで当然本職の歌手のようにはいかないのは分かるが、それにしても和泉雅子の音程の外しっぷりは強烈だし、いきなり取って付けた様な高音で歌い出す山内賢の素っ頓狂なヴォーカルも正直言って痛かった。まぁ何度も聴いているうちにだんだん慣れてきて今では昭和歌謡の名曲の一つとして楽しんでいるが、それでもやっぱりヘタなもんはヘタやわ(笑)
作詞・編曲は「東京ナイト」と同様、永六輔と川口真のコンビで、 “みゆき通り すずらん通り~♪” と地名を連発するご当地ソングのお約束的な展開といい、軽快なノリの良さ一発に賭けたエレキなアレンジといい、原曲の魅力を活かしながら一般ピープル受けしそうな歌謡ポップスに仕上げている。
YouTube の動画は同名映画の演奏シーンを巧く編集してあって、モノクロ画面が古き良き昭和の空気を感じさせてくれる。残念ながらここでは映画の一部しか見ることはできないが、山内賢の爽やかな好青年ぶりや、思わず抱きしめたくなるような和泉雅子の愛らしさ、そして若者たちの風俗・ファッションなども含め当時の世相が実に魅力的に描かれていて中々面白そうだ。もしDVD化が無理なら、せめて日活に強いチャンネルnecoあたりで山内さんの追悼特集を組んでほしいなぁ。
山内賢&和泉雅子 - 二人の銀座
THE VENTURES - GINZA LIGHTS - 33RPM 1967
大阪・京都猟盤ツアー!観光地に目もくれず(笑)はばかりさん。
しかしベンチャーズ歌謡は、ほんまエエどすなぁ。
・・・と、言いながら大人になるまで作曲がベンチャーズとは知らずに聴いてました。山内賢&和泉雅子デュエット曲や欧陽菲菲「雨の御堂筋」渚ゆう子「京都の恋」「京都慕情」小さい頃からズットいい曲だな~と思うとりましたけど。
まさかね~あのベンチャーズが作曲しゃはるとは!だから昔はベンチャーズがカバーしてはると思うとりました。
P.S 昭和歌謡の忘れな草 和製シャーリー・バッシー/朱里エイコさんは shiotch7はん どないどすか?(笑)
コメントおおきに。
レコード・ハンティングはえろう楽しおすなぁ。
次は神戸あたりに行きとうおすえ。
ベンチャーズはん、歌謡曲でもエエ曲ようけ書かはって
ただのエレキ・インスト・バンドとはちゃいますなぁ。
朱里エイコはんは「北国行きで」しか知れへんけれど
どちらかと言うと、歌謡曲よりも R&B に向いてはるんやおまへんか?
ほんに日本人離れした歌い方どすなぁ...