今日職場でめっちゃ面白いネタを教えてもらった。幻に終わったポール公演チケット騒動の際にお世話になったH姐さんから “shiotchさん、こーゆーの大好きやろ?” と1枚の紙切れを渡されたのだが、そこには「マンボウの死因一覧」と書かれてあった。“マンボウ? 何がそんなにオモロイねん?” と思いながら読んでみるとこれがもうめちゃくちゃ面白い。おバカなネタが好きな方はぜひ「マンボウの死因一覧」でググってみてください。腹筋が崩壊しますぜ(^o^)丿
で、ココからはいつも通り音楽の話でいこう。山口百恵→アン・ルイスとくれば次はもう中森明菜しかない(でしょ?) しかし実を言うと私はリアルタイムでは彼女をちゃんと聴いてこなかった。山口百恵の引退と入れ替わるようにして雨後のタケノコのように登場してきた80年代アイドル達の歌のほとんどは私には薄っぺらく感じられてまともに聴く気にはなれなかったし、デジタル臭いバックの演奏も曲の軽薄さに輪をかけているようで、中森明菜がシーンに登場した頃には邦楽そのものをほとんど聴かなくなってしまっていたからだ。だから私は実に残念なことに彼女の黄金時代をほとんど知らない(泣)。
そんな私が彼女の凄さに気付いたのはその約20年後のことで(←遅いっ!!!!!)、井上陽水自らがジャズ・アレンジで歌った「飾りじゃないのよ涙は」を聴いてその素晴らしさに圧倒され、アホみたいにこの曲ばかり聴いていた時期があった。こんなクールでカッコイイ曲は古今東西探してみてもそう簡単に見つかるものではない。
【高音質High-quality sound】飾りじゃないのよ涙は(JAZY)/井上揚水ver.「Tears'm not a decoration/yousui inoue
すっかりこの曲にハマった私はどうせならオリジナル・ヴァージョンも聴いてみようと思い明菜のベスト盤をレンタル。そこには彼女が “単なるアイドル” から “80年代を代表する歌姫” へと進化していくプロセスが克明に刻まれており、その時初めて彼女の凄さを知った次第(←恥)。その後ヤフオクで彼女の主要シングルを15枚セットで600円(!)という超安値でゲットするという幸運にも恵まれ、今ではすっかり明菜フリークだ。ということで真夏の昭和歌謡祭り(?)のシメは昭和という時代が生んだ最後の歌姫、中森明菜の大特集だ。
①少女A
私は大学に入ってほとんど洋楽しか聴かなくなっていたのだが、当時私の仲間内では「ぎゅわんぶらあ自己中心派」という麻雀漫画が流行っており、その中にこの曲の替え歌パロディーが登場、友人たちが腹を抱えて大笑いしているのを見て興味を持ち、カセットを借りて聴いて大爆笑したのがこの曲との出会いだった(←何じゃそりゃ!)。それが “おもわせぶ~りに面子を落とし 引っ掛けぐらいはこっちで作ってあ~げるぅ♪” というような感じで笑わせてくれる「雀士A」だ。作者の片山まさゆき氏は彼女のファンらしく、別の回では「1/2の神話」もパロディー・ネタとして使っており、おかげで邦楽と絶縁していた私もこの2曲だけは知っていたというワケだ。
ということで当時はそのような不謹慎な聴き方(?)で楽しんでいたのだが、改めて今の耳で聴くと実に良い曲だ。私的には彼女の最高傑作は「飾りじゃないのよ涙は」だと思うが、少なくとも楽曲のインパクトという観点から見ればこの「少女A」こそが彼女の代表作だろう。彼女のイメージを決定づけたツッパリ路線の嚆矢となったこの曲は、突き刺さるようなイントロから一気呵成に突っ走るノリノリの歌謡ロックで、刹那的な詞の内容をを上手く表現した明菜のヴォーカル、切っ先鋭いナイフのようなフレーズを連発するギター、そのギターと激しくせめぎ合いながら緊張感を高めていくブラス・セクションなど、聴き所満載だ。唯一不満なのは極端なドンシャリ型サウンド(←低音もプアーなスカスカ・ミックスなので “ドン” のない “シャリシャリ型” と言うべきか...)のため高音がキンキン耳につくことで、とてもヴォリュームを上げて聴く気にはなれない。担当エンジニアの耳とセンスを疑いたくなるが、せっかくの名曲がもったいない限りだ(>_<)
少女A / 中森明菜
②1/2の神話
初期の明菜は清純アイドル系スローバラッド路線の曲とツッパリ系イケイケ歌謡路線のシングルを交互にリリースしていた。前者の「スローモーション」や「セカンド・ラブ」、「トワイライト」も悪くはないが、極論すればこれらの曲が誰が歌ってもそれなりに聴ける名曲であるのに対し、後者のツッパリ系の曲の方は明菜にしか歌えない類の曲だと思うのだ。そういう意味でもこの「1/2の神話」は「少女A」の路線を更に推し進めながら彼女のオリジナリティーを上手く引き出しており、表現力が大幅にアップした明菜のヴォーカルと緩急を見事に活かした曲想の相乗効果で非の打ち所のないキラー・チューンに仕上がっている。70年代昭和歌謡の薫りを感じさせる器楽アレンジの妙も素晴らしく、一体誰やろ?と思ってクレジットを見ると、何と百恵の阿木&宇崎作品の編曲を手掛けた萩田光雄だった。やっぱりこの人のアレンジは絶品ですな(^.^)
中森明菜 '88 「1/2の神話」
③禁区
この「禁区」という曲はイエローマジックオーケストラの細野晴臣が作曲した、いわゆるひとつの “テクノ歌謡” だ。私はシンセサイザーの軽薄な音が嫌いでテクノポップの無機質なピコピコ音を聴くと虫唾が走るのだが、この曲はそんなハンデ(?)を軽く一蹴して更に倍返しのおつりがくるぐらい素晴らしい。名曲目白押しの明菜ナンバーの中でも「飾りじゃないのよ涙は」と一二を争うスーパーウルトラ愛聴曲だ。サビの “戻り~たい 戻れ~ない 気持ちうらはぁらぁ~♪” のフレーズが強烈なフックとなって脳内リフレインを誘発、明菜の類稀なる表現力を極限まで引き出す流れるようなメロディー展開に唸ってしまう。そんな「禁区」の名曲度を更にアップさせているのが萩田光雄のツボを心得た絶品アレンジで、ストリングスの大量投下や絶妙なタイミングで飛来する女性バックコーラスなど、匠の技が随所で炸裂(≧▽≦) まさに歌謡ポップスの王道を行く大名曲だ。
中森明菜「禁区」
④北ウイング
この「北ウイング」は中森明菜には珍しい正統派歌謡曲だ。ジュディ・オングあたりが歌えばぴったりハマりそうな哀愁のメロディーを持った前サビでつかみはOK、しっとりとしたヴォーカルで聴き手を唸らせ、印象的な女性バックコーラスとくんずほぐれつしながらサビでは伝家の宝刀 “明菜ビブラート” でたたみかけるという、明菜のシンガーとしてのポテンシャルが存分に発揮された、“昭和最後の歌姫ここにあり!” と声を大にして言いたくなる圧倒的名唱であり、昭和歌謡のエッセンスを凝縮したようなドラマティックな展開に涙ちょちょぎれる。この曲のタイトルは元々「ミッドナイト・フライト」(←アースシェイカーかよ...)か「夜間飛行」(←これではちあきなおみになってしまう...)になる予定だったものを、ユーミンの「中央フリーウェイ」にインスパイアされた明菜の提案で「北ウイング」に変更したという有名なエピソードを聞いた時、 “単なる歌い手ではないアーティストとしての” 明菜の才能に感心したものだ。尚、この曲の続編である「ドラマティック・エアポート -北ウイング Part II-」(アルバム「POSSIBILITY」に収録)も実に良い曲なので未聴の方は要チェックだ。
中森明菜 北ウイング
ドラマティック・エアポート【 北ウイングPartⅡ 】
で、ココからはいつも通り音楽の話でいこう。山口百恵→アン・ルイスとくれば次はもう中森明菜しかない(でしょ?) しかし実を言うと私はリアルタイムでは彼女をちゃんと聴いてこなかった。山口百恵の引退と入れ替わるようにして雨後のタケノコのように登場してきた80年代アイドル達の歌のほとんどは私には薄っぺらく感じられてまともに聴く気にはなれなかったし、デジタル臭いバックの演奏も曲の軽薄さに輪をかけているようで、中森明菜がシーンに登場した頃には邦楽そのものをほとんど聴かなくなってしまっていたからだ。だから私は実に残念なことに彼女の黄金時代をほとんど知らない(泣)。
そんな私が彼女の凄さに気付いたのはその約20年後のことで(←遅いっ!!!!!)、井上陽水自らがジャズ・アレンジで歌った「飾りじゃないのよ涙は」を聴いてその素晴らしさに圧倒され、アホみたいにこの曲ばかり聴いていた時期があった。こんなクールでカッコイイ曲は古今東西探してみてもそう簡単に見つかるものではない。
【高音質High-quality sound】飾りじゃないのよ涙は(JAZY)/井上揚水ver.「Tears'm not a decoration/yousui inoue
すっかりこの曲にハマった私はどうせならオリジナル・ヴァージョンも聴いてみようと思い明菜のベスト盤をレンタル。そこには彼女が “単なるアイドル” から “80年代を代表する歌姫” へと進化していくプロセスが克明に刻まれており、その時初めて彼女の凄さを知った次第(←恥)。その後ヤフオクで彼女の主要シングルを15枚セットで600円(!)という超安値でゲットするという幸運にも恵まれ、今ではすっかり明菜フリークだ。ということで真夏の昭和歌謡祭り(?)のシメは昭和という時代が生んだ最後の歌姫、中森明菜の大特集だ。
①少女A
私は大学に入ってほとんど洋楽しか聴かなくなっていたのだが、当時私の仲間内では「ぎゅわんぶらあ自己中心派」という麻雀漫画が流行っており、その中にこの曲の替え歌パロディーが登場、友人たちが腹を抱えて大笑いしているのを見て興味を持ち、カセットを借りて聴いて大爆笑したのがこの曲との出会いだった(←何じゃそりゃ!)。それが “おもわせぶ~りに面子を落とし 引っ掛けぐらいはこっちで作ってあ~げるぅ♪” というような感じで笑わせてくれる「雀士A」だ。作者の片山まさゆき氏は彼女のファンらしく、別の回では「1/2の神話」もパロディー・ネタとして使っており、おかげで邦楽と絶縁していた私もこの2曲だけは知っていたというワケだ。
ということで当時はそのような不謹慎な聴き方(?)で楽しんでいたのだが、改めて今の耳で聴くと実に良い曲だ。私的には彼女の最高傑作は「飾りじゃないのよ涙は」だと思うが、少なくとも楽曲のインパクトという観点から見ればこの「少女A」こそが彼女の代表作だろう。彼女のイメージを決定づけたツッパリ路線の嚆矢となったこの曲は、突き刺さるようなイントロから一気呵成に突っ走るノリノリの歌謡ロックで、刹那的な詞の内容をを上手く表現した明菜のヴォーカル、切っ先鋭いナイフのようなフレーズを連発するギター、そのギターと激しくせめぎ合いながら緊張感を高めていくブラス・セクションなど、聴き所満載だ。唯一不満なのは極端なドンシャリ型サウンド(←低音もプアーなスカスカ・ミックスなので “ドン” のない “シャリシャリ型” と言うべきか...)のため高音がキンキン耳につくことで、とてもヴォリュームを上げて聴く気にはなれない。担当エンジニアの耳とセンスを疑いたくなるが、せっかくの名曲がもったいない限りだ(>_<)
少女A / 中森明菜
②1/2の神話
初期の明菜は清純アイドル系スローバラッド路線の曲とツッパリ系イケイケ歌謡路線のシングルを交互にリリースしていた。前者の「スローモーション」や「セカンド・ラブ」、「トワイライト」も悪くはないが、極論すればこれらの曲が誰が歌ってもそれなりに聴ける名曲であるのに対し、後者のツッパリ系の曲の方は明菜にしか歌えない類の曲だと思うのだ。そういう意味でもこの「1/2の神話」は「少女A」の路線を更に推し進めながら彼女のオリジナリティーを上手く引き出しており、表現力が大幅にアップした明菜のヴォーカルと緩急を見事に活かした曲想の相乗効果で非の打ち所のないキラー・チューンに仕上がっている。70年代昭和歌謡の薫りを感じさせる器楽アレンジの妙も素晴らしく、一体誰やろ?と思ってクレジットを見ると、何と百恵の阿木&宇崎作品の編曲を手掛けた萩田光雄だった。やっぱりこの人のアレンジは絶品ですな(^.^)
中森明菜 '88 「1/2の神話」
③禁区
この「禁区」という曲はイエローマジックオーケストラの細野晴臣が作曲した、いわゆるひとつの “テクノ歌謡” だ。私はシンセサイザーの軽薄な音が嫌いでテクノポップの無機質なピコピコ音を聴くと虫唾が走るのだが、この曲はそんなハンデ(?)を軽く一蹴して更に倍返しのおつりがくるぐらい素晴らしい。名曲目白押しの明菜ナンバーの中でも「飾りじゃないのよ涙は」と一二を争うスーパーウルトラ愛聴曲だ。サビの “戻り~たい 戻れ~ない 気持ちうらはぁらぁ~♪” のフレーズが強烈なフックとなって脳内リフレインを誘発、明菜の類稀なる表現力を極限まで引き出す流れるようなメロディー展開に唸ってしまう。そんな「禁区」の名曲度を更にアップさせているのが萩田光雄のツボを心得た絶品アレンジで、ストリングスの大量投下や絶妙なタイミングで飛来する女性バックコーラスなど、匠の技が随所で炸裂(≧▽≦) まさに歌謡ポップスの王道を行く大名曲だ。
中森明菜「禁区」
④北ウイング
この「北ウイング」は中森明菜には珍しい正統派歌謡曲だ。ジュディ・オングあたりが歌えばぴったりハマりそうな哀愁のメロディーを持った前サビでつかみはOK、しっとりとしたヴォーカルで聴き手を唸らせ、印象的な女性バックコーラスとくんずほぐれつしながらサビでは伝家の宝刀 “明菜ビブラート” でたたみかけるという、明菜のシンガーとしてのポテンシャルが存分に発揮された、“昭和最後の歌姫ここにあり!” と声を大にして言いたくなる圧倒的名唱であり、昭和歌謡のエッセンスを凝縮したようなドラマティックな展開に涙ちょちょぎれる。この曲のタイトルは元々「ミッドナイト・フライト」(←アースシェイカーかよ...)か「夜間飛行」(←これではちあきなおみになってしまう...)になる予定だったものを、ユーミンの「中央フリーウェイ」にインスパイアされた明菜の提案で「北ウイング」に変更したという有名なエピソードを聞いた時、 “単なる歌い手ではないアーティストとしての” 明菜の才能に感心したものだ。尚、この曲の続編である「ドラマティック・エアポート -北ウイング Part II-」(アルバム「POSSIBILITY」に収録)も実に良い曲なので未聴の方は要チェックだ。
中森明菜 北ウイング
ドラマティック・エアポート【 北ウイングPartⅡ 】