津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

失われる藩政時の姿

2013-10-29 08:46:06 | 熊本

ブログ「徒然なか話」の昨日の話に、「消えゆく城下町の面影」があった。黄色いラインが引かれているのが京町の大通り、かっての国道3号線である。
家老・小笠原民部の屋敷と勢屯は、現在の京陵中学・熊大付属中・小学校となっている。同じく家老の有吉家下屋敷は住宅地に成っているようだが、その裏手に堀の跡が残されていたのだそうだが、これが埋め立てられたという。埋め立て前に撮影された写真が往時を伝える貴重な記録となった。
勢屯には番所が設けられ、有吉・小笠原という有力家臣の屋敷を配して豊前街道の出入りを固めていたことが判る。
この絵図には、宇土小路(しゅうじ)、柳川小路等と記載されているし、俳優(コメディアン)財津一郎氏の生家などもみえて眺めているだけで楽しいものだ。 

 

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1 コメント

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城下町の面影 (柴田)
2013-10-29 10:36:38
ご紹介ありがとうございます!
私たちが子供の頃には昔の勢屯の真ん中あたりに交番がありましたが、きっと番所の名残りだったんでしょうね。
東の宇土小路が現在の京陵中学校のグラウンドを突っ切っていたような形になります。
東の柳川小路は今のように坂ではなく、平坦な道路で階段を降りて瀬戸坂につながっていたようです。
今では「出京町」なんて言う人はいませんが、私の子供の頃は普通に言ってました。
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