津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

説明資料として・・・・(1)

2013-10-29 10:56:18 | 徒然

 11月の史談会の資料として「肥藩落穂集」(33頁)の釈文のタイピングを終了した。後は配布資料としての体裁を整わせなければいけないが、これは二三日も有れば出来る事なので、先ずは一安心である。

処がこの内容を詳細に説明しようとなると、語句の説明など一苦労を要する。
この史料は「銀臺遺事拾遺」という別名がある。
先ずは「銀臺=ぎんだい」についてである。これは細川重賢公の尊称だが、細川家下屋敷が「銀臺」つまり「しろがねだい」にあったことによる。
代々の当主が住まいされたから一人重賢公をして「銀臺公」と申上げるのも不思議な話ではあるが、当時の幕閣や大名衆が「銀台の細川侯」と親しみをこめて呼ばれたのではなかろうか。
通称は「霊感公」、法名の霊感院殿中大夫前羽林次将兼越州太守徹岩宗印大居士による。中大夫(なかのだいふ)は従四位下の唐名、羽林次将(うりんじしょう)も同じく唐名で近衛権少将である。越州はもちろん官名越中守を表している。

ところでこの「銀臺」は「しろがねだい」と呼んでいるが、これについては作家・谷潤一郎の面白い話がある。
     作家今東光は、谷崎潤一郎と話していて、うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」
    「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦
     茶になってきたな」
しかし、もともとは「銀=しろがね」であったらしく、それが「白銀」になり「白金=しろかね」になったらしいが、本当の所はどうなのだろうか。 

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文章を読み進めていくうちに在ることを思いだした。
「被遊候(あそばされそうろう)」とある語句は、もともとは「被成候(なされそうろう)」としていたらしいが、重賢公就封後このように改める様公ご自身の指示があったとされる。
言葉には随分厳格なご性分らしく次のような一文がある。
「或時御取次に何某、御安否を奉伺由申上る時、御安否(あんぴ)とは安否(あんふ)とこそ云へき筈の字音なれ共と被仰き」とある。 

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54万石の太守なれども、「吾は弐拾万石の大名と思ふ故、其心得を次て諸事を取斗ふへし」と仰せられて、その生活ぶりは大変慎ましやかであったらしい。御部屋の敷居がさがって唐紙(襖)が倒れることが度々あったが、繕うことも許可されなかったというし、タタミも痛み老女が嘆くと「古いものはいかぬか、ならば古く奉公の其の方も捨てようか」と冗談を言われたという。
我々が幼いころ、敷居を踏むのは親の顔をふむようなものと教わり、特に人様の家にお邪魔した時には敷居や畳の縁は絶対踏まないようにと言われたものだ。                             

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「肥藩落穂集」は教訓めいた話が多く、川口恭子先生が「重賢公逸話」で取り上げられた「聞くままの記」の方が、ざっくばらんな逸話が多いような気がする。

                                              
                                    http://www.kumanichi-jb.co.jp/books/ind/new34.html

こちらは川口先生の、」NHKの古文書口座で史料に使われているというから、あまり踏み込まないようにしなければならない。
                                    http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_438081.html 

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