津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

本結之事

2013-10-28 08:08:05 | 熊本

 前回、髻(もとどり)の事を書いたので、ついでながら元(本)結いの話、「番太日記」から御紹介する。

本ゆは享保の比まては皆肥前より来る、金平本結※程あり(※は長四角の形が書かれているが1.5㎜×3.0㎜程である)。十二通にて四文、是は子供の本ゆひなり。中本結はせし(世事)通也。きんか本ゆひ当時通用の本ゆひ程あり。然処に下職人町御鉄炮屋のとなりに勘七、市兵衛といふ人、となり同士本ゆひ仕出し大はん昌にて、夫より肥前よりは来らす。夫より又はしり屋敷に三軒本ゆひ出来る。極々職人ようしてはしり屋敷といふて大はん昌なり。山崎小路に久助とゆふ人の本ゆひは又はしり屋敷よりも極上也。山崎山東杢右衛門様御長屋に茂吉とゆふ人、是はきんか本結の上手なり。其比迄は本ゆひうりは細き皮子に入、本ゆひははかり売に出る也。宝暦の中比よりちくご柳川本結多く来り殊の外よりしきゆへ、地本結買ひ人もなくおとろへ申候処に新一丁目生島屋庄助殿、柳河より本結作りを呼寄、彼方にて柳川同前に出来する故柳河よりきたらす御国計になる。新鳥屋町もとひ出来、此人壱人にて川尻より八代迄壱人にてうり申され候。今は中職人町布屋はん昌。

 

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