津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■なみなし丸

2015-04-27 07:22:28 | 歴史

 細川藩主の御召船の第一号は小倉時代に忠興公の命によりつくられたという説や、万治元年に川尻で作られたとか諸説あり決定的ではなさそうである。いわゆる「波奈之丸」のことだが、命名したのは綱利公だとされている。「重要文化財細川家舟形修理工事報告書」において、第五節 史的調査にそう記載されている。もしそれが本当であれば漢字をあてはめただけではなかろうか。

「福岡県史 近世史料編・細川小倉藩(一)の寛永元年八月五日の項に「鏡善右衛門登城、波無丸かち取甚介と申者、新参ニ被召置候、(以下略)」とあり、「なみなし丸」という船がこの時期存在したことになる。
そうすると先の報告書にもふれられている、「忠興が豊前の中津で御召舟を新造することを命令し、元和九年造替えて翌寛永元年に完成し中津へ常置した」という説明が真実に近いと考えられる。 
元和九年八月十八日に「十九日ニ出舟新造拾端抓(帆)御召舟・新造九端抓御風呂舟、内新造拾端抓ニ主殿(桑原)・半兵衛(志方)乗上り申候也」という記事が ある。廿日の記事で「六十丁立」とある。閏八月十一日には、「御召舟六十丁立ノかこい、明日ゟ申付へき事」「御加子ノそろいかたひら百六拾九可申付へき事」という記事も見え、これが新造の波無丸のことであることは間違いなさそうである。

こういう記事を発見してわくわくしている。

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