津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■「生田又助覺書」閑話休題

2024-04-15 11:08:05 | 人物

 宗孝公江戸城殿中で凶事に遭遇された際、介抱のために殿中に入ることが許された供頭で小姓頭の生田又助のことに触れておきたい。
その後熊本に帰国した際、自宅に帰るより早く藤崎宮に詣で、「日頃は弓矢の御神といとも崇み奉りつれども、萬民の事は扨置、君(宗孝公)の御身一人をだに擁護し玉はねば、此後は敬ひ奉る事も候はじ」といいて絶交をつたえた。「生田の神義絶」というが、又助の無念のほどがひしひしと伝わる話である。
享保19年家督、560石、元文2年2月川尻奉行、其後御使番に召直、寛保元年8月御奉行、延享元年9月御小姓頭、延享4年8月15日・宗孝公逝去、同5年7月御役御断、寛延4年2月御番頭、宝暦2年5月同役御断、同年10月隠居43歳、号・長風。
養子の又兵衛が跡を継いだが、いつの頃か御暇となり生田家は断絶している。又助隠居後の約32年間どう過ごしたのだろうか。
天明4年10月22日歿・75歳 墓・高麗門禅定寺。

  御小姓・御使番・大阪御留守居   御使番・御側弓頭・同筒頭      御切米触頭     
 初代・生田又助ーーーーー 2代・又助(坂崎清左衛門三男)ーーー 3代・又助(小坂半之允三男)ーーー 4代又助(上月十郎大夫二男)ーーー5代・又兵衛   
                                                       (貴田角右衛門二男)御暇・断絶

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■熊本大林區署・・?

2024-04-15 07:07:53 | 古写真

 オークションに「熊本大林區署」なる熊本の古写真が出品されている。
熊本に大林區なんて行政区ないぞ、しかし戦前の話のようだが・・聞いたことがない。何かの間違いではないのかとググってみた。
どうやら行政区ではなく、営林局をそう呼んでいた時代があったらしい。「小林區」もあったらしい。
「市政100周年記念 熊本・歴史と魅力」には掲載されているのではないかと思ったら・・あった。
この写真の建物がどこにあったのかはよくわからないが、熊本大林區署は明治22年に草場丁にあったものが24年には船場川端町、35年には京町台に移転したとある。今は「九州森林管理局」と称する京町にかってあった建物ではなかろうか。
明治45年の「官庁分布状況」という地図を見ると、現在の京町8丁目の中央くらいの位置に熊本小林區署があったらしい。
私が現役時代に使っていたゼンリン住宅地図・熊本市【西部】には、九州森林管理局は熊本営林局・熊本営林署と表記されている。
三人の子供が京陵中学に通っていた時代を思い出しているが、私の中では熊本営林局である。

             
              

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする