津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■祝・都市計画道路 新町-戸坂線の開通

2024-04-02 16:26:35 | 熊本

 蒲島熊本県知事は木村副知事を実質上の後継者として見事当選させ、来る15日には満期を迎えられる。
熊本県知事は三期迄という不文律を破り四選出馬されて、今回の選挙にも自民党から出馬を要請されていたが、是はさすがに断られた。
2008年の初当選以来「運」に恵まれた知事だったという印象がある。


 唯一私が評価しているのが、横手の禅定寺脇を通る計画道路の変更の請願を受理されたことである。
禅定寺に数多い「歴史上貴重な著名人のお墓」いわゆる「歴史墓」が多数ある禅定寺の寺地の中を走る計画道路を、できる限り避けるた
めの計画変更を受け入れられた。

禅定寺様のサイトを見ると「平成の戦大勝利」があり、ここにその経緯を知ることができる新聞記事が紹介されている。
2012年(平成24年)の1月に正式決定があった。

それから12年経過した先週の土曜日に新町から西回り自動車道路に連結する、禅定寺わきのこの計画道路の開通式が行われた。
山越えして安国寺前に至る道路は大渋滞することが多くあったらしいが、この開通でピタリと減ったそうだ。
熊本を去られる蒲島知事に深甚の御礼を申し上げる。高祖父の墓も難を逃れることができた。深謝。

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■行く方知れずの万年筆

2024-04-02 08:07:37 | 徒然

 愛用の万年筆が行方知れずになって久しい。そのうちにひょっこり顔を出すだろうと思っていたが、その気配がない。
それ故に、手紙のご返事などは勢いタイピングすることにしている。
あて名書きはボールペンではまずいだろうと思い、筆ペンで書いていたが、今度はこちらがインク切れとなってしまった。

 一方では、この際買い替えるかという思いもあり、インクはブルーに変えペン先もブロート(太字)が良いなとか考えたりもして、インターネットで値段を調べたりしている。
それでも今日は本格的に万年筆さがしにかかろうと思っている。

 卯の花腐し父の万年筆太し という仁平勝氏の句があることを知ったが、父の遺品であった万年筆は昭和28年の水害で、多くの書籍類と共に流失してしまった。
その後も親友から贈られた万年筆は、ペン先が駄目になり取り替えようと思っていたが、これは先の大地震後行方不明になったままである。

 

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■隱見細倉記-2

2024-04-02 07:12:31 | 史料

1、越中守殿腰物御徒目付衆預り事 (記事不明)
1、越中守殿中ノ口ゟ平川通退出事
   一、御目付衆ゟ被仰付候ニ而細川殿供廻り平川口へ廻り候得と被仰渡■候 平川口へ廻り下乗ゟ中ノ口へ越中守乗物入れ

     中ノ口縁ゟ黒鍬衆受取御座敷へ輿上ケ細川殿家来供頭以下之侍御座敷へ上り越中守殿乗物ニ抱乗平川口ゟ退出也
     尤殿中ニ而御醫師衆被仰付直ニ大疵を縫被申由酢ニ而洗ヒ申儀最早元気も薄く候ヘハ決而難成由西玄哲本道御目見
     醫師岡田昌俊被申候間右之療治ハ無之候と也
   一、越中守殿下城之節御醫師衆附添参可申之由被仰渡外科西玄哲■本道武田叔庵■岡田昌俊■薬□碗持せ越中守殿駕脇
     二付添龍口屋敷ニ被参直ニ滞留ニ而越中守殿様躰段々御注進被申上候也
1、小用所繪圖之事       (省略)
1、水野監物殿江修理殿御預之事
   一、當日水野監物殿ニも登城之事也 則修理殿を為迎左之通人数平川口迄罷越候

   一、迎人数之次第    (省略)
     右之通之人数ニ而引取被申候 監物殿ニも退出ニ付而修理殿引取候跡ゟ押ニ而者無之忍かしめ退出あられ候由 右
     迎之外ニも遠見之もの被差出候由未実説をしるす
1、大御目附衆目附衆ゟ書上之事
   一、今朝五ッ半時大廣間に手負之者有之候由御徒目付部屋ニ居合候者共不残欠(懸)付私共も罷越見申候処大廣間口ノ
     間北ノ脇ニ手負申候者罷在候得共血顔并惣身血多付候而見分候付相尋候処細川越中守と挨拶仕候故相手之義尋申候
     処ニ見覚不申候 上下嫡之者之由申聞候 大廣間小用所其外所々為相尋候 尤早速御醫師外科懸り越中守養生為仕候 且
     又相手尋候内脇差抜刀ニ而小用所廊下ニ捨置有之候ニ付所々相尋候処ニ小用所奥雪隠ニ隠レ罷在候ニ付早速御徒目
     付御小人目付差添罷在候名承候處ニ板倉修理成由申聞候 其後何も立合修理様子相尋申候處誰共不知小用所江罷越
     候者脇差抜切り付申候間私頃も抜合打申候 其外一向覚不申併人ニ疵付申候間難相立存候而懐中ニ有之候鋏ニ而髪
     切雪隠ニ罷在候 脇差も持候而ハいかゝと存候而捨申候由申聞候 全乱心之躰ニ相見申候由 依之修理儀ハ蘇鉄ノ間脇
     小部屋ニ入置御徒目付御小人目付附置申候 以上

        八月十五日         石川土佐守
                      水野對馬守
                      中山五郎左衛門
                      神尾市左衛門
                      土屋長三郎
                      横田十郎兵衛
                      橋本阿波守
                      菅沼進三郎
                      八木十三郎
                   西丸御目付
                      神尾伊兵衛
                      中嶋彦右衛門
                      加藤喜左衛門
1、越中守殿手疵容躰之事
      手負
   一、首筋際横七寸程    一ヶ所
   一、左之肩七寸程     一ヶ所
   一、右之肩五寸程     一ヶ所
   一、背中右之脇腹ゟ左の脇腹迄壱尺五寸程
   一、鼻之上耳之脇     一ヶ所
   一、頭小疵        ニヶ所
   一、左右小疵       四五ヶ所
        八月十五日      御醫師
                     本道名
                     外科名
     右之通之由初發療治ニ相懸り申候御番醫師外科申聞候
        八月十五日      大目附
                   御目附
                御目見醫師
                   岡田昌俊
              右御礼ニ罷出居合申候付療治手傳仕候由

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