津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■度支彙凾 延享より明和迄 法令條論・十四(15)

2018-10-18 07:16:17 | 史料

 二三一
隆徳院様來月十六日十七囘忌御法會候、七月廿五日御達    隆徳院細川宗孝

 二三二
一先般御歸國御暇被出候處、夫夏以來之御病氣二付、暫御
 保養之上可被遊御發駕宗御届被遊候段、五月廿九日御達
一當秋迄御滞府被遊度御願書被差出候處、秋冷の時節相成
 候二付、來春迄御滞府御願日遊儀も可有之哉、何そ御容
 躰非為替御儀二は無御座不奉氣遣候様、今度山路太左衛
 門日差下被仰付候段、六月御達
一御滞府御願は重キ御事ニ付、於此元も別て相慎候様、尤
 一通り之出會又は漁獵等罷出候儀は其通、或ハ鳴物・音
 曲等停止二ハ不及事候得共、右躰之儀ニも随分心を付相
 慎候様との御達

 二三三
一年號明和と改元之旨、先月十三日於御城被仰渡候旨、七    明和 『尚書』の「九族既睦、平章百姓、百姓昭、協
 月朔日御達                            万邦、黎民於變時雍。」から。
                              「昭和」の出典も同じである。
 二三四
一御切米取之内被為拝領置候屋敷餘人え釈置、其身は在地
 子等之内致居住候類有之様子ニ候、左候ては拝領屋敷は
 入用二も無之事に付、右躰之屋敷は早々差上可申事
一右同屋敷不致所持、相應之屋敷被為拝領被下候様二と相
 願置候輩えは、屋敷有次第追々被為拝領事候、其内荒屋
 敷被為拝領候節は、依願家建料をも被渡下候處、間二は
 家建料受取引移不申輩も有之様子相聞不埒之至候、依之
 以來荒屋敷被為拝領、依願家建料をも被渡下候上は、家
 作出來何月幾日其屋敷え引移候との儀、支配方へ相達可
 申候、勿論是迄家建料受取無引移不申輩は、如何様之譯
 二て引移及延引候との儀相達可申候事
  但、井門堀料被渡下、堀方相濟候上、早速相達申筈之處
  右之通達方及延引候も有之候、是又以來家建候建方向
  前相心得可申候
一右同在役被仰付候歟、又は病死等二て家屋敷差上候節、
 之戸障子・敷居・鴨居等無之屋敷は、屋敷方より遂吟    扌偏に乄=
 味申筈候事
   明和元 九月

 二三五
太守様當冬中迄御滞府被遊度段、先月六日御願書被差出    太守様→細川重賢
 候處、如御願可被遊旨被仰渡由、十月四日御達

 二三六
一細川若狭守殿・同中務少輔殿家來と養子縁組等取遣候
 節、以來向方主人被存寄無之儀に付奉願旨、願之文面ニ
 調加可被相達候、以上
   十月

 二三七
一九十才相成候者ハ前年十二月中書付達有之候様相達置候
 へ共、士席以上従類之儀當年は今月中可被相達候、左候
 て以來ハ前年九月限書付可被相達候、輕輩又は支配家來
 等之儀は今迄之通候、此段可及達旨已下例文
   十一月

 二三八
一太守様為御保養白金御屋敷え折々被遊御出度、先月十一             白金御屋敷→下屋敷
 日御書付被差出候處、御願之通相濟候旨
一御滞府付て於此御地も一統心得之儀、先達て申達置候處、
 右之御到來ニ付各別之慎ニは不及、乍然御病氣ニよつて
 御滞府之御事ニ付、其心得可有之儀勿論之旨
 右御用番御渡之由、十一月九日御達之事

 二三九
一道幅狭く屋敷内ニ懸り候所々生垣等之類ハ、當年より五
 ヶ年限垣仕直之節々打置候定杭、間敷之通引入仕直シ可
 日申候、尤仕直相濟候上ニては其段支配方へ可被相達候
  但、右定杭之儀は一丁之内催合ニて打置候所へも有之
  事ニ付、垣等仕直之節示合可被申候
[付札]「此定杭催合打置候所は、垣等一同ニは仕直難成、
  追々仕直價有之事ニ付、仕直相濟候所より右定杭向々
  え引譲可被申候事」
一右同長屋又は塀等ニ懸り候分、年限可被極置候へ共、當
 時急ニハ建直難成可有之候條、右之分は以來修復之節ニ
   至、無間違定杭間敷之通引入可被建直候、左候て達方右
 同断
一御切米取屋敷間々引替りも有之事ニ付、其身居住之内改
 之通仕直不申候ハヽ、其段支配方へ相達定杭をも差出可
 申候、左候ハヽ跡屋敷拝領之者へ右之定杭屋敷方より引
 渡申筈候
 右之通候事
   明和元 閏十二月

明和二年
 ニ四〇
胤次殿當春中御出府被成候様被仰出、公義え御届も被遊     胤次殿→細川治年
 筈之段申來候ニ付、來月十一日御發駕之筈之段御用番達、
 二月十日御達

 ニ四一
一朝鮮種人参之儀輙(スナワチ)難相用候二付、萬民之為御救、先々御
 代朝鮮國へ人参種御所望、野州今市邊ニて御作せ其効有
 之、其外ニも種々御世話被遊、江戸・大坂其外諸國ニも
 下賣等之場所被定置、上人参半両目金一両、並同二歩、
 肉折同壹貫文、細鬚同六百文、但し並肉折細鬚は小半両
 包・五分包共ニ相渡旨、公義より申十二月之御觸御達

 ニ四ニ
一大豆幷乗馬飼料大豆望差出、銘々より直ニ惣銀所へ相達
 來候を、以來は御扶持方望同様頭々支配方へ取揃、一同
 ニ惣銀所へ相達候様、日限ハ今迄之通四月廿九日限之旨
 三月二日御達

 ニ四三
一九十歳達、輕輩・支配家來共以來惣て九月中相達候様、
 七月廿質日御達

 ニ四四
一御切米取屋敷餘人へ借置、其身は在地子等ニ致居住候ハ
 ヽ差上候様御達之處、未不差上も有之候ニ付、吟味之上
 直ニ被召上筈候、若難差上上子細も候ハヽ相達候様御達
   明和二 九月
 

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