てうちたっしのひかえ
「手討達之扣」も15回になったが、まだ4割ほどしか進んでいない。
そんな中で、「23、寛政五年七月廿一日 此条最長シ 緒方定八郎 松本信平手討不首尾」が、随分ページ数があるなと思いながらタイピングしたが、今回の案件もそれに劣らない長さがある。
今回も「手討不首尾」と共通の語句があるが、こちらの不首尾は原田次郎助(350石)の事後報告に虚構えがあったようで、知行召し上げという重い処分に処せられている。
原田家が古い家柄(丹後以来)であるということで、息弥三郎に対し10人扶持が下されて一応の処分が完了している。
息子への処分まで決着を見るのは2ヶ月余かかり年末に至ってからである。
しかしながら「侍帳」(先祖附は未見)によると、弥三郎はその後250石を拝領していることが判る。
また3回ほどに分けてご紹介する。
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ぶんだ
29、寛政十二年九月七日 原田次郎助 分田村喜太郎手討不首尾
大木弥助組
口上之覚
私隠居原田七郎左衛門儀山鹿郡中村手永日置村へ罷越滞留仕居申候ニ付私儀用事御座候而昨日罷
越勿論日帰之覚悟ニ而御座候處無余儀隙取夜ニ入申候故一宿仕今日罷帰候 途中多田村ニおゐて
慮外仕候者有之候 然處今日は重キ公儀御日柄之儀ニ付手堅ク仕置追而打放可申と心付候
候得とも何分難差通筋ニ付打放申候 左候而得斗吟味仕候処玉名郡中富手永分田村百
姓勘七と申者之忰喜太郎と申者之由ニ御座候ニ付支配庄屋清右衛門と申者呼出右之次第申聞死骸
は親勘七江引渡申候 前文重キ御日柄手討仕候儀奉恐入候 如何相心得可仕哉奉伺候 以上
九月八日 原田次郎助
口上之覚
今度玉名郡中富手永分田村喜太郎と申者手討仕候始末之趣左之通
一昨七日隠居江用事御座候処隠居儀比日より山鹿在ニ逗留ニ罷越居候ニ付勿論日帰之覚悟ニ而罷越申候へ
共用事先急ニ濟兼候ニ付不得止事一宿仕候 翌日罷帰候節右分田村際を通懸り居候節私ゟ
五六間斗り相見へ向ニ百姓笠をかぶり居候而其所ゟ馬ニ乗候節馬を道筋江横向ニいたし無作法ニ相見
候得共差扣乗抜させ候所存ニ而態々そろ/\参居候処右之者間近ク相成候ニ付私儀ゟ外壱人連立
同様ニ笠をか婦り居申候此者を綱を取候様申聞候処子供ニ付不苦由返答いたし其侭ニ而先之方之様に
そろ/\参申候ニ付私儀無程近付候処猶又乗居候者ニ下り候様申聞候ニ付其節ニ至り右之者
下り申候 壱人之者は親と見受申候ニ付其方忰ニ而有之候哉と相尋申候得は忰之由返答仕候ニ付
私申聞候は其方付添居ながら侍と見受候て如何様之所存ニ而乗打いたさせ候哉且又笠を
かぶり居申候ニ付かた/\不届之由呵申候処何之返答も不仕候ニ付其侭ニ差置左候而忰
親側ニ立居申候間猶又私申聞候は侍を見受ながら如何様の所存ニ而乗打いたし候哉其上笠
かぶり居何の返答も不仕候ニ付笠を抜候様再應申聞候得共脱不申候ニ付引脱候処最
早初而之見込と違未タ前髪有之候ニ付振捌と見受候而一言之教戒をも不仕且又早速ニ詫出も可致
筈之処返而踏立居少しも恐怖之躰迚も無之不敵之次第ニ而一旦此者を手討可仕哉と存候得共
畢竟此事之發端は子之慮外ゟ起候事ニ御座候へは親を殺候ニは子の情ニおゐて如何思惟仕
殊ニ若年茂者ニ而其上重キ御日柄とも心付親ゟか様とて慮外氣味得心仕断申出候ハゝ差免
申度所存ニ而御座候得とも断不申出何分差免可申志同無之候ニ付不埒止事打放申候 以上
九月九日 原田次郎助
覚
原田次郎助
右去ル八日中富手永分田村百姓勘七忰喜太郎と申す者を致手討候ニ付被相達置候書付左之通
一喜太郎儀次郎助ゟハ先ニ馬ニ乗り参候を次郎助家来ゟ聲を懸候ニ付馬ゟ下り候而参居候と
次郎助追付候而喜太郎かぶりい候笠を次郎助引脱直ニ討放申たるニ而は無之哉
一右討放候跡ニ而親勘七相尋書付取次早々可被相達候 以上
九月晦日
覚
私儀去月八日中富手永分田村百姓勘七忰喜太郎と申者手討仕候ニ付而御達仕置候書付之内
御尋之趣奉得其意候 左ニ申上候
一喜太郎儀私ゟ先へ馬ニ乗り参居候を私家来ゟ聲を懸候ニ付馬より下り候而参居候と私追付喜
太郎冠り居候笠を引脱直ニ打放申たるニ而は無之候哉
此儀明細書ニ申止候通喜太郎儀は馬ニ乗り外ニ壱人付添居候者江私家来ゟ綱取候様申
聞候処子供ニ付不苦由返答仕候 猶又家来下り候様申聞候得共聞入不申其内ニ間近
相成候故私ゟ下り候様申聞候処其節下り申候 私近付候而笠を引脱直ニ討果申たるニ而は
曽而無御座候 右喜太郎親へも不届之由咎為申儀ニ御座候
一右討放候跡ニ而親勘七馳付候而及應對申たるニ而は無之候哉
此儀喜太郎下馬仕候ニ付先親勘七を呵其後喜太郎を打放申候 曽以討放候跡ニ而勘七
馳付相對仕候ニ而は無御座候 前分之通勘七儀ハ始末馬ニ付添居申候
右之通ニ御座候 以上
十月 原田次郎助
(つづく)
段々奉行所による被害者父親の聞き取りと、原田次郎助の証言に食い違いが生じている。