津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(302)寛永五年・日帳(六月六日)

2020-07-27 12:29:59 | 展覧会

                      日帳(寛永五年六月)六日

         |              
         |   六日         
         |
         |  宇佐神宮    (久盛)豊前岡藩主
中川久盛宮成掃部 |一、宮成掃ア、中川内膳殿へ御礼二参、色々御馳走之上、御帷子五つ、内弐つは御単物拝領仕候、又
ヲ厚遇ス     |  御内衆ゟ銀子弐枚給候、宿奉行両人迄日仰付、別而之御馳走、 殿様御影故忝と、書付を以申上
忠利ノ御影故トノ |                           (成政)
書物ヲ上グ 鈴鉢 |  候、掃ア進上ニ鈴鉢弐つ上被申候処ニ、御取次之衆坂崎清左衛門尉被申候ハ、掃ア儀 御前如
         |  何敷候処ニ、進物など差上候儀、何共合点不参候、同ハ進物ハ差置、先内膳殿ゟ之拝領之様子迄
         |  申上候ハヽ、可然と被申、我々共申候ハ、重而とても無其堺候間、只今進物をも差上、埒を明
         |  可然由を申、右之書付幷進物共、熊谷九郎兵衛を以差上候処ニ、被成 御合点之由、御意に候、
         |  左候而、進物も納り申候事、
         |  (早鞆社)
早鞆社廻廊建立奉 |一、隼友廻廊被成 御建候御奉行ニ、神西謹右衛門・荒木権右衛門尉差遣候事、
行        |
台所茶ノ用    |一、当年上林甚介仕候御茶、大つほ弐つニ詰、御台所茶の御用ニ上申候事、但、皆川治アニ渡候へと
         |  申渡候也、
中国へ楊梅買入ニ |一、中国へ山もゝ買ニ被遣ニ、関迄小早ニ而渡可被申候旨、白木兵介・鏡善右衛門方へ申渡候事、
渡ル小早を用意ス |  但、人数弐人也、
         |                         (三淵之直)
田川郡ヨリ楊梅進 |一、田川郡赤忠左衛門手永ゟ、山もゝ弐籠被差上候、則左膳殿を以上ヶ申候事、
上        |
硯屋大森土佐注文 |一、下関ゟ、硯屋大森土佐御あつらへの御硯持参仕候ニ、御帷子弐つ被遣候、硯代銀も相渡可申旨、
之硯を仕上グ   |  御意也、右硯之代銀可相渡通、色々申候へとも、請取申間敷候由申候、然ハ、当暮運上に差
代銀ヲ請取ラズ  |  次可申由、申候間、其分可然由申候、御使ニ被参候歩之御小性山本喜兵衛を、手形を仕、被渡候
手形ニテ運上ニ差 |  へ、重而其切手を以、運上に差次可被申由、可被申渡由申渡候事、
次グ       |
         | (烏丸光賢室)
烏丸万へ楊梅進上 |一、御万様へ山もゝ被進之候、御返書、御小人六右衛門・助作持帰、則上申候事、
         |           (猪膝、田川郡)
         |一、木村九郎久兵衛ニ、いのひさ迄日付遣候歩之御小姓河上ク兵衛・赤尾茂兵衛罷帰候事、
         |    〃〃
楊梅       |一、安宅太左衛門手永ゟ、山もゝ三籠差上候処、能時分/\ニ上候由、可申遣旨、奉九郎兵衛、
算用人切米十石三 |一、財津惣兵衛登城仕、被申候ハ、前廉被成御抱候御算用衆御切米之儀、前々ゟ三人扶持ニ拾石之筈
人扶持      |  にて、御奉公ニ罷出候処ニ、旅役仕時は拾石、又御国ニ有之時ハ八石にて候よし候て、御借米以
旅役       |  下も未かり申さす候而、迷惑仕由ニ御座候、前廉ゟ拾石之御約束慥成儀成候由被申候間、於其儀
         |  は、何之道ニも、前々如約束之可被仕候、深野次郎右衛門なとゝ能々御吟味可有由、申渡候事、

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■梅雨明けはいつ?

2020-07-27 09:56:08 | 徒然

  朝食を終えて、さて今日の散歩はどうしようかと考えていると、「今日はペットボトルです、早めにお願いします」と奥方から声がかかる。
一昨年の奥方の入院以降、「護美すて(細川護美公には申し訳ありませんが)」は私の担当に決まってしまった。
「ペットボトル」の回収は割と時間が早く、時々持ち帰るっこともあったから、雨がぱらついているな~と思いながらも、早々に出かける。
きょうは一日中、こんなパラパラ状態で雨模様らしい。梅雨の上りは30日とか報じている。
歩き出すとどうも足元がふらついて仕方がない。50㎝位の巾の中をフラフラしている。
とても急ぎ足では歩けず、所定のコースは断念、時計を見ながら都合の良いところで折り返し。都合45分の散歩となった。
ますます小脳が委縮しているような気がする。
最近は色々やりたいことが出てきて、簡単にはくたばりたくないなという想いが強くなってきた。
コロナも昨日熊本市内で2人、県北の事業所では10人のクラスターが発生したという。
こちらにも用心しながら、天候の変わり目に身体を順応させて頑張っていかなければならない。皆さまもお大事に・・・

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■文久三年「恕斎日録」(24)

2020-07-27 07:03:15 | 恕斎日録

171
  八月朔日 佳節出仕
  二日  今度之事躰ニ而 此方より肥前江御使者として                                   
      神谷矢柄被差立 昨日帰着いたし候處 惣躰之様            神谷矢柄・文久元年十月~慶応元年二月 小姓頭(700石)
      子 矢張薩州同様ニ而 差而異存も無之候由なり           肥前(鍋島藩)の意向、薩摩藩同様
  三日  今日より小田新地再興等ニ付出在候事
      今日小天横嶋新地新塘築立候場所幷所々損所
      取繕将監殿手築立之破損潮留之ヶ所等も見分 同         将監=有吉清助、細川家三卿家老
      方より役人出案内 同方新地中ニ而蔵屋敷ニ昼
      休 同方より饗応之事
             (津脱か)
      横嶋村御家人三家清之允宅泊 積り立等者 達物帳記 
172
  四日  早天より出立 坂下引移 海辺新地取繕所々見分
      晒渡場より乗船 名珠宮社内昼休 尚乗船新塘
      筋海上より見分 荒尾引移御茶屋泊
  五日  早天より出立 同所より乗船海上見分 大嶋村再
      興いたし候塘手ハ御城石垣同様築立候ニ而
      少しも損所無之 大嶋村福嶋春岱別荘ニ而饗応
      之事
  六日  同所出立 野原村・石炭山見分 坂下詰所へ四頃着
      直ニ文芸試業 同所泊
  七日  同所ニ而武芸試業
173
      今晩六手永御惣庄屋同所ニ而会談               玉名郡六手永=伊倉・内田・坂下・中富・荒尾・南関
      横嶋新地再興之積立等咄合治定之事
      右之内横嶋京泊り石塘江新規大井樋明方之衆
      試 新地九百間治定
     一刑部殿より被申聞候南関御防禦筋 六手永惣御
      家人同所へ馳付候仕法等衆議
      内田引移側量見分 御囲籾操直検分右相済帰府
      京都より之飛脚等ニ而異聞左之通捽候
     一先月廿七日夜手 京都高臺寺庫裡焼失いたし 其           京都高臺寺放火など不呈浪人の暗躍
      最中門前へ高札を建書面
174
      高臺寺奸僧共朝敵松平春嶽ニ寄宿差免候段不
      届至極ニ付放火焼捽畢向後右様之者有之ニ
      おゐて者可為同罪也
        亥七月
      右之高札を建候ニ付 一人も消し候者ハ無之 見
      物迄いたし候由之事
     一阿州様を勤皇連より呼寄せ候手段いたし候處           阿州=松平阿波守=蜂須賀斉裕
      京都詰之御家老某より 御登不宜候ニ付心配い
      たし 御登を御留メ申候處 勤皇連より大ニ
      憤り 右御家老を刺殺候由 其上ニ而同人共より
175
      尚御登り之手段いたし候間 不得已御登り被成
      候由 右乱防之者共ハ大躰知レ候得とも 御吟味
      茂無之由也
     一頃日公義より 御役人を長州下関へ被差下 幕
      命を以 長州へ者 此間小倉之地を押借いたし 臺
      場を立て候間、早々臺場を引取候様御申付 小倉へ
      ハ 右之通長州へ申付候而も 若立退不申候ハヽ
      追払候様 夫ニ而も引払不申候ハヽ 筑前・肥前よ
      り援兵を出し候様 芸州も同様之御達之由候處
      右御役人様者 前文ニ録し候通 頃日下ノ関通
176
      船之節 小倉御奉行を取隠候ニ付 長州より大
      炮を打懸 右之御役人様ハ山口迄引立参り いま
      た帰り無之候由 心遣之風聞之由
       右者右田才助噂之事
  十日
  十一日
  十二日
  十三日
  十四日
  十五日 今日例之通御神事御能拝見之事
177
  十六日
  十七日 今日荒木氏より口達之趣左之通
     一近日京都之御模様 弥以不穏ニ付 近々 御連枝
      様之内 御一方為 御名代御出京之筈候処
      右不穏ニ付而者 余斗之御人数被召連候筈ニ付
      在御家人之内 強壮ニ而 武芸相心得之者共被召
      連候筈ニ付 早々相達候様 惣斗三百人斗り被召
      連候見込 右之趣 仰山ニ無之様 御惣庄屋共へ早
      々相告候様との事
      御達左之通
178
      方今事躰益及切迫候ニ付而者 公武江被 仰
      立候筋被為在候ニ付 太守様ニ者可被遊 御
      出京処 藩屏之 御任ニ被為在 御近国外冠之儀
      も有之候間 御名代として 澄之助様御差登           澄之助細川護久(当時31歳)
      右被仰立筋其外被遊御委任旨被仰出候

      此段触之面々江も相知セ可申旨 御用番被申聞
      候条 被奉承知 触支配方有之面々者 可被相知候
      以上   八月十三日

       昨日刑部殿へ参り 南関御防禦之人数等申伺
       候上ニ而 乍恐今度 御連枝様御出京之儀者
179
       当時之事躰ニ而 御出京御乗鎮之事ハ甚六敷
        叡慮も攘夷之御決定と相見 浪人共者弥以
       はびこり 容易ニ者除かたく候間 如何哉之段
       申伺候処 至極左様ニ存候 此節者誠ニ御大儀
          澄か
       ニ而 強之助様御上京ニ而 公武御一躰之
       御建白と相見候段被申候間 此方より何様御
       背踏者御無用ニ被為在 成る丈御持込御出京
       可宜と申伺候處 至極尤ニ而 昨日も夫のミ御
       評議被為在候との事ニ而候 此節者此方より
       御人数出候ハゝ 薩州・筑前・越前様ニも御登り
180
       候筈との噂有之候間 其中ニ而も成る丈御跡
       より様子を御伺候上御出京可然段申伺候處
       同意ニ相成候事
      
      

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