私はほとんど趣味を持たない。釣りもしないしゴルフもしないし、楽器もだめだし、麻雀はやれるがあまり強くないし、パチンコは嫌いだし・・・酒の方は大いに楽しんだが、これは趣味とはいかない。
唯一若いころ15年ほど茶道の勉強をし、60歳ころからは歴史にのめりこんだ。これに加えて「読書」といいたいところだが、所蔵の本の8割強は歴史の本で「趣味は読書」とは言い切れない。
「ビギナーズラック」という言葉があるが、釣りなどは最たるものだろうが初心者で間違って大物が釣れてのめりこんだなんて友人がいた。私にはそういう経験がないから、何も趣味にはつながっていない。
学生時代のテニスも、社会に出てからはスケート場やボーリング場などの設計に携わり、両方とも道具をそろえて人並みにはできるが「趣味」には至っていない。
文科系だな~と思うのだが、楽器がひけないのがなんとも悔しい。ギターにも触れたが今になってみると真剣にやっておけばよかったなという機会はあったのだが・・・
趣味とはいかないが数年前から「メダカ」を飼い始めたが、これとて繁殖に成功したとは言えず、次々に死んでいってはまた購入してを繰り返すお粗末さである。
「趣味は歴史の勉強です」は現役で20数年のキャリアである。
浅学菲才の身にはこの「佛法的々(ぶっぽうてきてき)」という言葉の真の意味を知らない。
「的々」とは「明らかな事」という意味があるようだ。
私が若いころ15年ほど御稽古をした肥後古流茶道の結社名の「的々社」の名前の由来となっている。
茶道・肥後古流の祖と言われる円乗坊宗圓は本能寺の僧であったが、利休はこれを還俗させて娘の婿となし、ひとり「極真の台子盆点」という秘宝を伝授した。
これを「三千家」の祖とされる千宗旦に乞われて設けられた茶会の席でこれを伝授している。(この話は千家さんのお弟子さんに話すと嫌な顔をされるが・・)
その際宗旦がお礼の意味を込めて書を呈しているが、ここに「佛法的々」とあった。
肥後古流茶道は、利休茶道を「正伝」しているとされる。このことは磯野風船子氏によって茶道の専門誌などに発表されたが、御点前の作法や茶花が一種であることなどが指摘されている。誇りの思うこと大である。
ところでこの「佛法的々」語句そのものの解説にはなかなか至らないが、逸話として臨済宗の祖・臨済義玄が黄檗禅師のもとで修行していた時のことが紹介されている。「黄檗三打」
臨済義玄に臨済宗の開祖なり、曹州南華の人、姓ば那氏、夙に禪風を慕ひ.黄蘖希運の会下に投ず、春秋三周、一たびも師に参する能はず、首座陸之を憫み、勤めて佛法的々の大意を問はしむ,義玄到り一棒を喰ひ、再びし三たびして三たび打たる、義玄自ら深旨を領する能はざるを知り,去つて行脚の途に上らんとず、希運曰く、爾去らば速に灘頭の大愚に赴くべしと、因つて大愚に往き。希運に三たび問うて三たび棒を得たるを告げ、何の過か吾に在ると問ふ、大愚曰く希運に老娑心切の故に汝を打つ、何ぞ過の有無を問ふやと、是に於て義玄言下に領し、覺えず希運が仏法に多子なしと呼ぶ、大愚何故に爾かいふといふ、義玄拳を握りて大愚の腋下を突く三度なり、大愚手を擧げて之を賞し再び希運に到らしむ、希運之を聞きて曰く、大愚無用の事を為せり、彼來らば一棒を与へん、義玄何ぞ彼の来るを待たんと、立ちて希運を打つ、希運、汝再び吾に来る恰も虎の髪を埓つるが如しと.義玄即ち一喝大声す、是に於て始めて希運の印可を得たり。
(以下略)
釈迦の教えは膨大であり、一つの言葉の真意を簡単に言い合わされるものではない。つまり、自らその真意について大いに勉強しなさいとの打擲(臨済三打)であろう。先輩首座の導きもその意味では臨済の開眼の手助けをしていることになる。
つまるところ、仏法にしろ茶道にしろそれぞれの道に於いて「真」を究める道の険しさを示唆していると考えるのだが如何だろうか。
まさに「佛法的々」は「茶道的々」に通じ、宗圓が宗旦に快く秘伝の伝授をおこない、宗旦もまたこの言葉を贈って共に利休の教え「真」を共有できたありがたさを素直に表したものだろう。