一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

白皚々たる

2014-02-08 15:06:09 | Weblog


     昨夜から降りはじめた雪は午後になって
     もやみそうにない。
     それどころか窓から見えるのはこんもり
     とした雪景色で、さらに昼ごろから風が
     強くなって猛吹雪の様相を呈している。
     ときおり真向かいの家の屋根から吹き
     上げる雪煙は、たけり狂う白竜のようだ。

     こういうのを、「白皚々(はくがいがい)
     たる」というのだろう。

     「白がいがいたる」といえば一葉である。

     すでにこのブログで「雪の日」という題
     で2回ほどUPしているが、
     今日は少し視点を変えて。

    
     明治25年2月4日。
     前日に伺いたいと葉書を出した一葉は、
     「今日、いらっしゃい」という葉書が
     偶然にも届いて「何と気の合うことよ」
     とうれしくてたまらない。
     (その頃の郵便事情は思いのほか良い)

     一葉は雪の中を訪ねていく。
     桃水は隣家から鍋を借りてきてお汁粉を
     ごちそうしてくれる。  
     (桃水は甘党だった)

     話というのは今度創刊する雑誌のこと
     だったのだが、そのとき桃水は「片恋」
     という思わせぶりなテーマで火鉢をかこ
     んで文学論を語ったりする。

     雪は降りやまない。
     夕刻になって、「こんな雪だから泊って
     いきなさい」という桃水。「自分は別の
     ところにいくから」といって。

     一葉は「とんでもない」と強くかぶりを
     振って帰る。
     帰途、覆いかぶさるほどの雪の中を、
     人力車に乗りながら一葉の胸はほっかほか。

     「白がいがいたる雪中りんりんたる寒気を
     をかして帰る。中々におもしろし。
     九段あたり吹きかくる雪におもて向け難く
     頭巾の上に肩かけすっぽりかぶりておりふ
     し目ばかりさしだすもおかし。
     種々の感情胸にせまりて雪の日という小説
     一篇あまばやの腹稿なる」

     
     一葉は桃水との恋はみのらず24歳で亡く
     なった。

     それから16年後、
     一葉の日記が公開されると、当然、桃水へ
     の秘めたる恋心が明らかになる。
     桃水はいい切った。
     「女史の気持ちにはまったく気づきません
     でした。
     彼女とは何もありませんでした」

     桃水は文学の師として、さいごまで一葉の
     原稿を売れるものにしたいと、心を砕いて
     いた。
     そして、一葉死した後のこの態度。
     弟子であり、友としても彼女の名誉を守り
     抜いたのであろう。

     現在では桃水は「一葉の恋いこがれた人」
     として語られないのですが、人間として、
     男としてあっぱれです。

     で、本当に何もなかったかって?
     何かあってもおかしくない状況は何回も
     あった。
     私は、一葉の生涯に桃水と何かあっても
     よかったのではないか、と思う。

     
     ※ 写真は雪に凍えるナンテン     
     
   
     
     

     

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