とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

大阪府の企業誘致

2008年06月26日 | インポート

Img_1340  訪中から戻ると、とんぼ返りで大阪へ飛んだ。大阪の企業立地について調査するためだ。大阪府は、累積赤字5兆円と賑やかに報道されているが、街の活況ぶりはケタ違いに賑わっている。大阪府産業労働部の企業誘致推進課長からお話を聞く事が出来た。
 大阪府は、企業立地には熱心ではなかった。臨海タウンや臨空タウンを造成しても、閑散としており企業立地は進まなかった。平成15年に、これではいけないとして、商工労働部に企業誘致推進課を立ち上げ、企業誘致に本腰を入れ始めた。景気回復とシャープ工場の国内回帰が引き金になり、企業誘致推進課の電話が鳴り出した。誘致件数は、10年前の10倍に膨らんだ。2010年までに、シャープ液晶パネル工場(第一期事業)127ha投資額3800億円。シャープ太陽電池工場、投資額720億円。大日本印刷、凸版印刷、コーニングジャパン(株)、宇部興産、松下電器プラズマディスプレイ工場、旭硝子、三井化学、三洋電機太陽電池パネル工場。メモしきれない位の企業立地が進んでいる。さすが大阪だなと思った。インフラが完璧なのに、企業立地促進補助金が、厳しい財政の中でも限度額が150億円だと言う。我が山形県は、今年になって10億円にやっと引き上げられたのだ。実績が結果を生むのかもしれない。
 企業誘致推進課長の言葉が心に残った。「失敗もたくさんあったし、いろいろなことがあった。企業誘致は、運を引っ張ってくれる人でないとダメだ。努力しても結果がでなければゼロ。それに、経済に興味のない人も話題についていけない」 運を引っ張ってくれる明るい人は、乾 俊人企業誘致推進課長その人だなと思った。

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1100haの葡萄農園

2008年06月24日 | インポート

Img_1336  中国は、莫大な農業生産国でもある。訪中のチャンスに、ハルビンの郊外にある葡萄農場を視察する事が出来た。その農場は、松花江を渡って30分位のところにある。マイクロバスで農場に着いたのだが度肝を抜かされる広さである。高さ2メートルくらいの葡萄のビニールハウスが、走っても走ってもハウスは続く。やっとの思いで事務所に着き、若い社長に話を聞くことが出来た。
 この葡萄農園の広さは、1100haで、害虫や有害雨水から葡萄を守るためにビニールハウスにしているのであり、根元に冠水用のパイプが敷設されており、その長さが200kmにもなると言う。4種類の高級葡萄を栽培しており、その殆どが黒龍江省内で消費され、売上高は、日本円に換算して7億円で、500人の従業員が働いていると、説明してくれた。有機肥料を使い、何よりも安全安心な葡萄を作っているいると力説した。日本で報道されている中国産品の疑惑を意識されているのかなと感じた。
 私は、従業員の賃金と投資額について少々立ち入った質問をした。賃金は、月給で1万5000円で、投資額は45億円との事。従業員の賃金は、技術を用する仕事なので、高いのだと説明してくれた。今日のハルビンの気温は40度、ハウスの中は相当なもの。葡萄はやっと実を着けていた。食べてみることは出来なかったが、中国農業の進化に驚いた。このほかに、トウモロコシを1000ha栽培していると言う。これにも参った。帰りに、馬耕で作業している農家も車窓から見えた。中国は複雑だ。

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具体的に進んだ商談会

2008年06月22日 | インポート

Img_1326 中国は、体面や原則を重視する国だと言われている。今回の訪中にも良くそれが現れていると実感した。もっとも、東方水上シルクロード開設者の新田会長が団長での訪問であるからでもある。16日に行われた黒龍江省の栗戦書省長との会談は、ものものしいものだった。大きなゲストルームに、ゆったりした椅子。分厚いじゅうたんの模様や調度品には、気品が漂っている。それに、ずらりと並んだ省幹部。この雰囲気でいろんな要求を出すのは、さすがにおじけそうだ。
 新田団長は、用意されていた四つの要望にひとつを付け加えてくれた。1、やまがた米の輸出入を受け入れて欲しい。2、観光交流、修学旅行生を山形県に送り出して欲しい。3、トウモロコシの安定的供給を図って欲しい。4、相互経済交流の促進。特に、山形県に企業の進出を検討願いたい。要望のエキスだけを取り出すと以上の4点である。それに、「隣県に自動車産業の集積が進んでおり、酒田港を使って、完成車及び関連部品の輸出入をお願いしたい」と結んだ。
 17日にハルビン市と初めての商談会がもたれた。張 桂華ハルビン市(共産党)委員会常任委員 統一戦線部長をトップにした面談会でも、同様の要望を新田団長がしてくれた。全ての事柄について、前向きの返答があり、報道されたように具体的に話が進んだものもある。何度か私も訪中団に加わったことがあるが、こんなにはっきりした回答がでた記憶はない。新しい一ページが始まろうとしている。

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中国へ山形米を輸出

2008年06月20日 | インポート

Img_1316 東方水上シルクロード貿易促進協議会の第48次訪中団として、黒龍江省を訪問した。最大の狙いは、中国へ「やまがた米」を売り込めないかであった。中国には既に、新潟コシヒカリ、宮城ひとめぼれが輸出されており、米の御三家「山形はえぬき」が遅れをとっている。しかも、新潟コシヒカリは北京で60キロ当たり8~9万円で売られていると言う。山形の米作農家の意地をかけても、中国へは食い込みたいところだ。今回の商談会のブースに「山形米はえぬき試食コーナー」を設営しピーアール、商談を有利に運ぼうという計画だ。
 ところが、思わぬ敵が現れた。それは、山形県商工労働観光部が、中国への米の持込は「ならぬ」というのだ。あの書類ではダメ。この書類でもダメ。私に苦情が持ち込まれた。庄内総合支庁長の言葉を思い出した。「ダメと言う言葉はない。どうすれば出来るのかを考えよう」 知恵を出し合ってどうにか実現できたのは、出発直前である。商工労働観光部の律儀的(?)
な仕事には、皆びっくりした。
 商談会ブースの山形県スペースは貧弱だ。新潟県とは比較にならない。ほとんどの人が素通りする中、山形米ブースだけは、違っていた。行列ができたのだ。たくさんの人が試食、「いつになったら食べられるようになるんですか」「契約したい」とサインしていく人もたくさんいて、思わぬ反響に皆驚いた。
 その反響を見抜いた、新田会長との古い友人である中国経済界の実力者桑洪会長との間で、18トンの山形米の売買契約が成立した。皆飛び上がって喜んだ。しかも、桑会長は、世界最大のスーパーマーケット「カルフール」の株主でもあり、中国店に「山形米コーナー」を作ると約束した。夢は、またひとつ広がった。課題はたくさんあるだろう。しかし、皆で乗り切っていこうと心から思う。

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アメリカ視察(その10)デンバーの夜

2008年06月13日 | インポート

Img_1119 コロラド州は、昭和61年に山形県と姉妹県州盟約を結んでいる。その州都「デンバー」は、ロッキー山脈の麓にある標高1600メートルの高所にひらけた都市である。比較的に日本人が多く親しみやすい街であった。日本食レストランも多く寿司店の看板も何軒か目に入ってきた。平成15年には、食品販売店(株)マルトダイがデンバー市内のレストランに、日本酒の販売を始めたことが資料に載っていたので楽しみにしていた。
 いよいよ夕食である。ホテルより市内電車を乗り継いで、歩いて寿司レストラン「笹」についた。「いらっしゃい」店員の声がかかった。あまり大きな店ではないが、超満員である。予約席だったのでテーブルに着く事ができたが、行列の出来る店だった。日本酒があった。山形県の酒は一銘柄「初孫」があったので、早速リクエストした。訪米して初めての日本酒と日本食である。冷たい「サッポロ」と「初孫」はことのほか旨かった。だんだんピッチもあがったところで「値段はいくらなのだ」と言う事になり、メニューをみたら「初孫」300ml一本20ドルとある。チップも含めると2300円位になる勘定だ。だいぶ本数も空けたので、ちょっと贅沢な夕食になった。
 魚や寿司もまあまあ美味しかった。満足できる会食で、皆上機嫌である。たばこは、外でしか吸えない。いつもの「モクトモ」が外に出ては一服した。上機嫌になったところで、アメリカ視察の私のレポートも最終回とする。

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庄内地域のみちづくり

2008年06月11日 | インポート

Img_1301  北庄内の道路インフラが今ほど大切だと痛感した事はない。北庄内のすぐ150キロ東に、ビッグ企業が軒を連ねることになった。高速道路が出来ていれば、1時間半の距離だ。通勤だって可能だし、なによりも酒田港が重要な役割を果たせる。2010年代には、ここを中心に莫大な物流が往来する事になる。対岸との交易に最短距離の酒田港は、黙ってても物流が集約されるはずなのだが、現状のアクセス道路では、如何ともしがたい惨状だ。遅ればせながら、県もやっと気づいてくれて対策をとり始めようとしている。
 今回の県政報告会は、道路の勉強会を、国土交通省東北地方整備局酒田河川国道事務所長の俵谷祐吉さんにお出でいただいて、道路の課題や現状についてお話を伺った。道路特定財源に端を発した道路整備計画の見直しが気にかかるところだ。所長としては「日沿道の県境の整備については、高速道路がつながるという観点から、車線を少なくしても順位は高いのでは。新庄酒田道路は、余目酒田道路、高屋道路、新庄古口道路の着工道路を先ず優先的に完成させる事が大事だ。山形道とのインターチェンジは、仮称酒田中央インターチェンジとして整備を進めている」など貴重なお話を聞く事ができた。
 いつもながら、県政報告会には大勢の皆さんに参加していただき感謝している。北庄内の課題を皆でもっともっと勉強して行きたいものだ。
 

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アメリカ視察(その9)大豆からバイオ燃料

2008年06月09日 | インポート

Img_1110  2008年2月にオープンした、大豆からバイオ・ディゼル燃料を生産する、アーカンソー・ソイ・エネルギー会社を訪問した。これは、民間会社で、アーカンソー州の穀倉地帯だけにスケールの大きさは想像を超える。同様の会社はアーカンソーに三社もある。世界的に食料不足が叫ばれている中、資本主義社会アメリカのたくましさを見た思いがした。
 アーカンソー・ソイ・エネルギー会社は、年間400万ブッシュの大豆クラッシュ能力(工場の大豆を粉砕できる量)がある会社で、スタッフは15人である。この人数で大豆オイルを生産しているのだ。1ブッシュは8ガロンで、1ガロンは約4リットルでややこしいが、概ね1万5000トン位の大豆だろうか。
 そこから、4百万5千ガロンのバイオ・ディーゼル燃料を生産する計画だと言う。約1万6千キロリットルの計算になる。燃料高騰がどこまで続くのか、会社にとっては追い風になる。日本のエネルギー政策は、お粗末なものだ。のんびりしていると、いつかつけが回ってくる。

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やまがた森の感謝祭

2008年06月07日 | インポート

Img_1288  今日、遊佐町の森の公園「遊ぽっと」で「やまがた森の感謝祭2008」が開催された。「森への感謝」なんといい響きか。森は海と同じ様に全ての生命の根源である。どんなに感謝しても尽きる事はない。山形県もなかなかいいイベントを企画したものだ。庄内海岸33キロに植林されたクロマツ林は、日本最大の松林である。特定非営利活動法人「庄内海岸のクロマツをたたえる会」の砂山理事長は、この会場でのメッセージとしてこの一体の松林を「鳥海の松原」と呼びたいとアピールした。まったく同感である。心から拍手を送った。
 齋藤知事の挨拶も、感動した。「森は、先人からの贈り物であると同時に、未来の世代からの預かりものである」やまがた緑環境憲章の前文の一説であるが、こんなにぴったりした挨拶は他にない。森から頂く恵みは、古今東西感謝し続けてきた。日本に広く分布する神社も、根源は森である。広く雄大な分、少々の破壊には耐えられるが、度を越すと元には戻らない。森を大事に育むことは、未来の世代に引き継がなければならない現世に生きる我々の使命でもある。
 その時の様子は、藤悠会活動報告に掲載する。

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アメリカ視察(その8)イズベル農場

2008年06月07日 | インポート

Photo  イズベル農場では、家族4人と長く働いてきた雇用人1人の5人で1000haの稲作経営をやっている。我が地方の稲作経営面積の平均が2haとすると、500戸分を5人で栽培している事になる。旧酒田市の水田面積が約7000haとするとこれを7戸の農家で生産するのだから、これには驚いた。さらに水田一筆が30haだという。
 コシヒカリの栽培は、ここでも難しく収獲量は3割りは落ちるというものの、私の聞き違いでなければ、1ha当たり5トン位にはなると言う。播種、農薬、肥料はすべて飛行機散布で、飛行機チャーター料金は合わせて1ha当たり1万円で仕上がるとの事。しかし、ここまで来るには伊藤忠商事や現地のライスランドの支援のお陰だと、クリス・イズベルさんが語っていた。アメリカは使う単位がメートル法ではないので、すぐには理解しにくいのだが、米の出荷値段を聞いたら、1キロ30セント位のようだ。私はすぐに60キロ換算してしまうのだが、1表1800円になる。この米が日本に上陸したら「ひとたまりも無いな」と直感した。そして、冬期間は水田に水を張り、鴨猟の猟場として大勢のハンターが来ると言う。それが、大きな副業になっている。鴨の糞は、水田の肥料として役に立っているのだ。
 今、食料の自給が国の根幹政策として議論され始めた。遅すぎた感もあるが、アメリカが強いのは、銃だけではない。農業大国である事を忘れてはなるまい。

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アメリカ視察(その7)コシヒカリ生産農場

2008年06月05日 | インポート

Photo  アメリカの中央に位置するアーカンソー州の州都、リトルロックについた。アーカンソー州は農業が最大の産業で、家畜関連産業は州の63パーセントを占める。特に、米の生産量は全米一であり興味のある視察地である。アーカンソー州農務長官を表敬訪問し、州の農業戦略をお聞きした。長官招待の昼食会も設定してくださり、自ら運転して昼食会場に入り同席してくれた。何でも話せる気さくな方だった。
 長官の紹介で、コシヒカリを生産しているイズベル農場を視察する事になっている。その前に、市内のスーパーを視察した。私は、米の売り場に行って見た。たくさんの種類の米が、500グラム単位で陳列されており、米の消費の多さを示している。コシヒカリではなく、品種は確認出来なかったが、500グラムで95セント位。日本円で100円くらいだ。60キロに換算すると、1万2000円である。
 イズベル農場に着いた。経営規模は1000haで殆どがコシヒカリで、ジャポニカ米しか作っていない。現地のコシヒカリを試食させてくれた。炊飯器はナショナル、テレビはソニーだった。日本のコシヒカリの粘り、歯ごたえ、甘みは同じである。ただ鼻に「ツーン」と来るので、精米の時期を聞いてみたら、1年前だと言う。「日本に輸出をするのですか」と訪ねたら、国内需要でいっぱいだと言う。アメリカの食料事情も変わってきているみたいだ。栽培方法は、次回で報告する。

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アメリカ視察(その6)首都ワシントンDC

2008年06月04日 | インポート

Photo_3  日本では一般的にワシントンDCをワシントンと呼ぶ。DCはアメリカ大陸を発見したコロンブスにちなんだ古称で、ワシントン市の事であり、ワシントン州と区別するためにも、DCとよびアメリカ合衆国の首都である。人口は59万人位、大都市ニューヨークから来ると高層建築物もなく、無機的な印象の街である。
 しかし、大統領官邸である「ホワイトハウス」や連邦議会議事堂、連邦最高裁判所と三権の最高機関や、中央官庁などの行政機関が集積している。スミソニアン博物館や、ナショナルモールにおける博物館群は、質・量ともに世界のトップクラスで観光資源になっている。ポトマック川の湖畔にあるソメイヨシノ桜は、当初日本から送られたものであり今では、アメリカ合衆国の花見の名所になっており、私たちが訪れた時がちょうど満開で、大勢の市民が花見を楽しんでいた。
 ポトマック川の向こう側は、ノースバージニア州でペンタゴンとアーリントン墓地がある。アメリカ国防総省の別称ペンタゴンは五角形の庁舎の形から名付けられたもので、五階建てであり、ここから全世界ににらみをきかせている。アーリントン国立墓地は広大だ。これだけの無名戦士の墓標は、アメリカがいかに数多く戦ったかの歴史でもある。
 気づいたことがある。ニューヨークから来ると、肥満の人がすくない。これは、何故か分からない。

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