とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

アフターコロナの保育園

2023年03月25日 | 日記

 コロナ感染症で日本を震撼させたのは2020年2月、53か国3700人を載せたクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」に未知のウイルス感染が広がり、日本が寄港を許可しなかった事に始まる。世界中の目は停泊中のクルーズ船に注がれ、3日に横浜港に入港したクルーズ船から10名の新型コロナウイルスの感染者が確認され、日本のコロナとの闘いが始まった。
 空気感染のコロナは人との接近が怖い。3密を避けるため集会の禁止、飲食店、観光、イベント、大会、卒入学式、授業、交通など全ての社会生活が制限され、ただひたすらマスクの着用とワクチン接種に追われた3年間だった。
 ようやくコロナ感染も収まりつつあり、政府もマスクの着用を緩め、全ての規制は撤廃されたが3年間のライフスタイルは身に染みている。北平田保育園の卒園式は3月21日だった。来賓は限定され保護者は2名までとされたが、お別れの歌はマスクなしの大声だった。保護者に向かって、ひとりひとりが園の思いでを語る場面で泣きじゃくる園児にもらい泣きもした。クラスター発生で園は何度か休園に追い込まれ、緊張した日々がよみがえってくる。
 感染症の怖さを体験した園児たちが身に付けたライフスタイルは一生の宝物になるだろうと思っている。

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日本の農業が危ない

2023年03月17日 | 日記

 私の家は庄内平野の北側で、山形県地図の目ん玉付近にある。菩提寺の過去帳によれば最初の没者は享保7年と記載されており、江戸時代中期から300年は続いたことになる。住職によれば寺院の火災でそれ以前は分からないと言う。数えると私で15代か16代目にあたり代々コメ農家として継承されてきた。自作農家だったのでひどい小作料はなかったようだが、百姓は絞れば絞るほど出ると生かさず殺さずの歴史だった。
 米は貴重品で白いご飯が生活の目標であった。換金性も高く酒田県令三島通庸は納税が金本位制になったにも関わらず、コメで物納させ、差額に気づいた農家がワッパ事件を起こした歴史もある。
 文藝春秋4月号は「日本の食が危ない」の特集記事を69ページにわたって警鐘を鳴らしている。特に鈴木亘弘教授はコロナ禍、中国の爆買い、異常気象、ウクライナ戦争と日本の安全保障は防衛予算だけではない。日本の食糧に危機がある。有事になれば食糧自給率は実質10パーセントに落ちる。鶏卵、肉類、牛乳、コメの生産基礎であるトウモロコシ、ヒナ、肥料はほとんどが輸入品である。国内農家に「コメは作るな、牛は殺せ」は亡国への道へと進む。
 今日の山新サロンに「コメの消費拡大は急務」と57歳の女性の方から投稿があった。一俵2万円のコメが今は9千円、半分は減反、それに肥料の高騰でやっていけない。今の農家はもっと声を上げて日本中に知らせて欲しいと訴えている。
 地域の周りを見ると若い農業後継者はほとんどいない。年ごとに農家の高齢化は進み、委託者の増加に受託者がいない状況が加速している。農業は黄色信号から赤信号に変ろうとしている。その我が家も危ない域にある。

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春が来た

2023年03月11日 | 日記

 部屋に差し込む朝日がやたらと強くなった。そう言えば3月9日のお昼に我が家の寒暖計が20℃を指していた。「まさかや」と思ったがテレビニュースで4月並みの気温だと報道していたので気温計の故障ではないと分かった。
 「春よ来い。早く来い」北国、雪国に住む叫びである。今年の冬は2月の厳冬期間が長く続き、耐える日々が続いた。その分春の喜びは大きい。よく観察するとばんけ(ふきのとう)が芽をクロッカスは花が咲いていた。どこで春を知るのか確実に季節は進んでいる実感である。
 3月11日は12年前マグニチュード9クラスの東日本大震災が発生した日である。三陸沖で発生した巨大津波は想像を絶するものだった。ビルの上や木の上に自動車が乗っている状況を現場で視察した記憶が鮮明に残っている。
 酒田では24時間ほどの停電があった。信号が止まり主要道路の交通渋滞や物流が滞りガソリン不足が顕在化した。選挙事務所へガソリンの差し入れがあるほど深刻だった。
 仙台港が使用不能となり、酒田港が代替え港としてリダンダンシーを発揮した。日本列島には多彩な顔がある。それを補完し合う仕組みが必要だ。政治の責任は大きい。

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選挙仲間と久々の乾杯

2023年03月04日 | 日記

 選挙は魂の戦争であると私は思っている。県議選は事実上、選挙戦の真骨頂にあるといってもいい。公平性を保つため公職選挙法によって規制はあるものの、戦争の勢いは効果のあると思われるグレーゾーンを狙って仕掛けられる。
 昔は選挙用ビラを紙爆弾と称して運動員が一斉に無差別にポステングをする。夜回りである。今はネットを使ったスマートな形になった。その分選挙への参加意識が低下したと思える。選挙が他人事になったのか低投票率が課題である。
 口コミ戦術もある。自分に有利な事、相手の不利な事を噂として意図的に広げる戦術である。人の口に戸は立てられないとして広がっていく。フェークニュースは戦争の核心的戦術でウクライナ戦争でも多用され実態は分からないと言われている。
 県議5期20年、選挙で一緒に戦った仲間を私は戦友だと思っている。その中で仙台に移住した戦友がいる。その戦友が酒田に来るというので一杯やろうと声がかかった。「久しぶりだなあ。3年ぶりだろうか」と乾杯をすると、時々は酒田に来ているらしく、一人二人と会っていたらしい。大げさな事が嫌いな彼らしいと納得をした。
 一晩語り合った事は、昔の選挙話より現在の酒田の分析が大半だった。誰よりも酒田の未来を心配しているなあと感じた。

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