とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

酒田港から木材輸出

2024年09月21日 | 日記

 無尽蔵とも言われたロシア極東地域の森林木材は、1970年代に始まった日本の高度成長を支える貴重な資源であった。山形県酒田港もその一翼を担い巨大な輸入丸太木材が溢れていた。近隣には大きな製材所が集積し酒田港木材工業団地組合は使用用途に応じて製材加工され木材が全国へと配送されていった。大手製紙会社の事務所もあった。
 しかし、森林の乱伐は長くは続くはずはない。世界最大の木材輸入国日本はロシアの森林維持に責任はある。1995年代には米材、および南洋木材の輸入に変わってきた。しかし、輸出国は丸太輸出を規制し、製材木材の輸入へと切り替わった。輸入木材は減少を始め、やがて酒田港から木材は消えていった。
 それが最近、県森林組合連合会が県産木材が輸出を始める事を報道で知った。それによると、住宅着工数の減少などで木材需要は低下傾向にあり販路拡大が課題となっていた。県森林組合は、全国森林組合が窓口となって進めている中国向けの合板・集積材用のB材の輸出に参加すると決めた。必要量は確保済みで今月中の輸出に向けて調整を進めている。酒田港からの木材輸出は初めてのことであり注目されている。
 県産材は「木材の行き場がないと現場が止まってしまう」として一か月半に一度のペースの輸出を目標にしている。酒田港は木材輸出港に生まれ変わる。

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ドコモモ・ジャパンに土門拳記念館

2024年09月14日 | 日記

 写真家土門拳は、昭和時代に活躍した日本を代表する写真家です。写実主義に立脚した報道写真家でもあり、日本の著名人をリアリティに撮られたものや、ポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財の撮影を多く手掛け、第2次世界大戦後「広島の子どもたち」など併せて日本を代表する写真家と知れ渡った。
 土門拳は酒田市に生まれたが7歳で東京に移住、その2年後には神奈川県に一家で移り住んでいる。その頃から絵画に興味を持ち始め、土器や石器の収集や三味線の弟子入り、農民運動にも参加し検挙される事もした。そんな中から、遠縁にあたる宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み写真の基礎を学んでいった。
 土門拳の代表作、写真集「古寺巡礼」が発刊され話題を呼んだ。実物より実物に近いと話題となり、一気に土門拳の名は広まった。
 土門拳は昭和49年に酒田市名誉市民第一号に議決された。その時、同氏より酒田市に77万点の作品全部が寄贈され、それを受けて酒田市は個人の写真展示館として世界最初の写真展示館を10年後にオープンさせた。
 その土門拳記念館は歴史的・文化的価値がある近代建築を選定するDOCOMOMO(ドコモモ)「日本におけるモダン、ムーブメントの建築」に選ばれた。DOCOMOMOは近代建築の保存に取り組む国際的学術組織で80か国の地域が参加して活動している。
 名誉なことである。

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うそ電話詐欺

2024年09月07日 | 日記

 先日わが家の固定電話がなった。私が出ると「○○さんですね。総務省の者です」とフルネームで呼ばれ、官庁からの電話に少し違和感があったものの、長男が官庁勤務なこともあり電話は切らずに続けた。「携帯番号は○○の○○番ですね」と聞いてきた。違っていたので「いや、○○の○○番ですよ」本当の電話番号を教えてしまった。「すみませんでした。するとお誕生日はいつだったでしょうか」と聞いてきた。これも又本当の事を言ってしまった。
 「変だなあ。どのようなお要件だったのでしょうか」というと「変だと感じたなら電話を切っても構いませんよ」これはやられたと思い電話を切った。相手番号の履歴が残っていたのですぐに警察に電話した。「それはうそ電話詐欺です。また掛かってきたら絶対電話に出ないことです」と注意をされた。本名と電話番号はホームページで公開している。携帯番号を教えた事は私の不注意である。その後、携帯に変な電話はない。
 前には妻に投資話の電話があった。家族と相談をすると言ったら「2時間後にまた電話する」と言ってきたので、警察に連絡した。すると刑事さんが来てくれて2時間待った。予定通り電話があり、刑事さんが電話に出て、矛盾点を突きながら、最後に「警察だよ。バカ」で終わった。
 毎日のようにうそ電話詐欺の被害が報道されている。自分は大丈夫とは思わない方がいい。だますのが仕事だからうまいに決まっている。

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店頭からコメが消えた

2024年08月31日 | 日記

 「全国各地のスーパーからコメが消えた」と連日報道されている。どうやらコメ不足が顕在化してきたようだ。1993年の「平成のコメ騒動」を彷彿させる思いである。気の速い報道はタイ米がおいしくなったと騒いでいる。
 そもそもコメ不足の予兆はあった。今から2ヶ月前、飲食店のオーナーから「とうやさん、コメが余っていたなら売ってもらえないか。仕入れが大変なんだ。多ければ有難い」と話し掛けられた。一日数十キロも多量消費する寿司店や割烹などではJAや卸問屋と売買契約を結んでおり、その量は確保されていると思う。しかし、思いのほか売り上げが伸びれば、その分スポット買いとなる。それがスーパーにも現れコメ不足現象がニュースとなり消費者心理に火をつけた。「新米が出るから心配ない」と政府はやっきだが、台風や天候で思い通りにもならない。備蓄米の放出の方法はよくわからないが、輸入米で対応するなどの轍だけは踏んで欲しくない。
 天候不順は農家に一番の悩みである。1年に一度の収穫に農家の全てがかかっている。利益は少なくても作物への愛情はたっぷり注がれている。

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SUICAの使えない酒田駅

2024年08月24日 | 日記

 

 先般、たまに電車の旅もいいなあと思い、酒田駅に向かった。この前使った東京でのSUICAを使おうと改札口に向かった。だがそれらしき装置がなかったので、駅員に尋ねた。「この駅ではSUICAは使用できません。自動券売機で乗車券を買って下さい」との返事だった。その券売機はカード利用もできず現金のみで、札を入れるとジャラジャラと釣銭が出た来た。一世紀前の現象である。
 調べてみると山形県でSUICAの使用できる駅は仙台支社管内の山形市周辺の21駅が今年から使用可能駅と書いてある。国を挙げてキャシュレス化に進もうとしている時、このアナグロニズムは何だろう。常々、JR東日本への不信感は今始まったことではない。自分たちの努力はなしで赤字路線の声を張り上げている。米坂線は被災して2年経つが手付かずのまま放置されている。復旧工事をしても赤字路線だから、行政で何とかしろ。それなら走らせてもいいという態度である。
 羽越線も最大の赤字路線だと公表した。2005年12月25日に強風による脱線事故が起きた。それを理由に運休、遅延の続発は電車の信用を失墜し、飛行機へと移った。暴風柵は費用が大きいとして進んでいない。JR東日本は公共交通機関としての自覚が欠如していると思える。
 郵便、電気、電話はユニバーサルサービスでどんな離党や山奥でも統一料金で安心、安全を守っている。全体の最適化がそこにはある。

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笑点「林家たい平」独演会

2024年08月17日 | 日記

 日本テレビ系列で放映される「笑点の大喜利」は楽しみにしている番組だ。毎週日曜日の夕方5時半から30分間の番組なので、夏はまだ陽が高く、外で仕事をしている。冬は暗くなり夕食時になるがテレビの前にいる。出かける用事もあったりするが、録画してまでは鮮度が落ちる気がする。
 番組の創始者は立川談志さんらしいが私の記憶にはない。司会役の前田武彦さん、三波伸介さん、三遊亭円楽さん、桂歌丸さんたちは印象に残っている。いい答えを出すと司会者が「座布団」と叫び座布団が増え、納得できない答えだと取り下げる。一般社会でもうまくいくと「座布団」と声がかかる程普遍した言葉になっている。
 メンバーの中で林家たい平さんの印象は強い。「青雲」のコマーシャルソング、花火大会の疑似音、「昇太」何があったのか劇場は見事なものだ。先月、その林家たい平師匠の独演会が酒田の希望ホールであった。私がファンである事を知っている長女が2枚のチケットをプレゼントしてくれた。2時間の独演会は見事だった。「笑点」の裏話から入り、古典落語をたっぷり聞かせてもらった。満場の客席と反応の呼吸も合い感動の2時間だった。中は撮影禁止なのでチラシの写真しか撮れなかった。

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酒田にコンテナホテル開設

2024年08月10日 | 日記

 かつて酒田港の倉庫として使われていた築50年以上の広大な上屋を県を巻き込んでリニュアルした「サカタント」は飲食交流広場に改造し話題を呼んだ。その「サカタント」が今度は付近の船場町緑地公園にコンテナホテルを建設している。9月中旬の開業を目指して工事が進められている。
 コンテナホテルは20フィートコンテナをホテル用に室内を改装し、キャンプ以上ホテル未満のリーズナブルな宿泊施設として整備が進められている。松林に囲まれた広い敷地に14個のコンテナホテルが並ぶ。一戸の車庫や空きスペースがゆったりで多目的でも使える。中間地点の管理棟にはトイレ・シャワー・サウナ・洗濯機・自動販売機・24時間チェックイン可能なスマートチェックインカウンター等が設置されている。
 料金は1棟2人まで一泊6~9千円で3人以降は一人千円で小学生以下は無料に設定している。「酒田港に賑わいを創出したい。市内の宿泊施設不足を補い、定期船とびしまの補完として役立てたい」と本間代表は語っている。
 ボルトを外してトレーラーで運ぶと災害時の仮設住宅にも使える様に思えた。

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「上沼垂色」いなほ特別号

2024年08月03日 | 日記

 私の情報収集力不足で、JR東日本新潟支社が羽越本線100周年を記念して、7月31日にE653系4両編成「上沼垂色」の特急いなほ号が「特急シンボルマーク」をつけて運転された。酒田駅でもセレモニーがあった事を翌日に知った。
 上沼垂色は新潟車両センターが上沼垂運転区にあり所属していた485系の車両が白は雪国、青が日本海、緑が平野をイメージして塗装されていたもので、100周年に合わせてそれを復活させたものであり「いなほ」の原点でもある。
 当日のセレモニーに参加して「撮り鉄」したかったが、もう間に合わない。翌日酒田駅に行き、今度いつ来るのかを尋た。「いなほ」は4種類走っていていつどの列車が来るかは知らされてないので分からないという。とりあえず12時11分新潟行「いなほ8号」を撮ろうとホームに入った。いつもの黄金色だったが先頭車両に「100周年記念のステッカー」が張られて雰囲気があった。日本海を縦断する「いなほ」はこれからの観光媒体としての意味合いは増してくるように思える。

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経験した事のない大雨

2024年07月27日 | 日記

「これまでに経験した事がないような大雨になる」山形気象台が25日午後1時に酒田市・遊佐町を対象に「大雨特別警報」を出した。予想はピタリとその通りとなった。
 低気圧がゆっくりと進みながらも雨は激しく降り続いた。やがては内陸方面へと進み、内陸の市町村にも大雨特別警報が出され「命の危険が迫っている」との呼びかけられた。大雨特別警報と庄内・最上に線状降水帯が発生し、長時間の災害危険度が急激に高まってると呼びかけた。
 秋田県南も同じ様な危険状態である事も分かった。我が家は庄内平野の北側で平野の真ん中にある。中小河川、排水路は満タンでキャパを超えそうである。じわりと水田の水位が上がり始めた。夕方の最高時には屋敷際まで迫ってきたが小降りとなり少しづつ水は引き始めた。川下に水は集まる。長時間危険な時間が続く。被害は広範に及んでいる事が報道で分かってきた。救助に向かったパトカーが流されて警察官2人行方不明となった。山崩れや堤防決壊は2年前と同じような場所で起きている。
 庄内は猛暑日もなく災害のないいい所だと思っていた。ところが今度の豪雨には参った。市の指定したコミュニティの避難場所も水浸しだった。

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コメ11年ぶりに高値

2024年07月20日 | 日記

 主食のコメが不足気味だという。早場米地帯の今年産米の出荷が始まり、コメの端境期が始まろうとしている。農林省によれば、JAグループ等がコメ業者に卸した時の相対取引価格が、昨年産米より11%高い(60㎏)1万6127円となり11年振りの値上げになっていると発表した。テレビ報道などでは、品薄感から大型飲食店などの買いだめ現象なども見られ異常事態の前触れ感がある。
 これは異常気象による昨年の熱波、高温障害による品質の低下と減収穫によるもので「暑さに強い品種」への切り替えが全国で始まっている。反面、農業の担い手不足の加速も目に見えて進んでいる。
 30年前の1993年の凶作が記憶に残る。冷害で作況指数が74.1%。コメ不足はタイ米を輸入してしのいだ。自給率100%を誇るコメも静かに崩れそうな不気味さが漂う。山形県では来年度に「暑さに強い」品種「雪若丸」最大級の増産を決めた。地球温暖化現象は慣行農業の曲がり角を迎えている。

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東北エプソン敷地に新工場

2024年07月13日 | 日記

 7月7日に都知事選は終わった。まず過去最多56人の立候補者に驚いた。公選法で設置される掲示板に風俗店の広告や全裸に近いポスターが張り出され、特定の政治団体が選挙ポスター掲示板の一角を占拠し、希望者に販売するという情報が全国を駆け巡った。これが「日本の首都か」ただ人口が多く集まり過ぎているだけと思えた。
 「法律などで明確に禁じてないことは何をもやってもいいという意識が有権者に浸透している。一定のルールは守らなければならないという教育を改めて普及させるべきだ」と片山義博氏は警鐘を鳴らしている。
 一方、酒田では朗報があった。酒田出身でセイコーエプソンの元社長・故中村恒也氏が故・相馬大作市長の懇願要請に答えて1985年に東北エプソンの誘致に成功した。工場は半導体や一般・産業向けプリンター用ヘッドの精密機械の製造で、塩分濃度の高い臨海地帯は不向きとされていたがフィルター等を開発し、それらを克服したと聞いている。
 その東北エプソンが、このほど敷地内に新工場の建設を発表し地鎮祭が行われた。新工場は今後の全世界的なインクジェットプリンターの需要要請を受け、生産能力を現在の4倍程度引き上げるための計画としており、酒田市にとっても力強い朗報である。新工場は来年9月末に竣工予定と聞いている。

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土門拳写真記念館のアジサイ公園

2024年07月06日 | 日記

 酒田市に広大な面積の飯盛山公園がある。その中心は広い人工池で、白鳥が羽を休める場所でもある。その岸辺にはドコモモ・ジャパン(日本におけるモダン・ムーブメントの建築)23年に選ばれた「土門拳記念写真館」がある。土門拳は酒田市出身の写真家で、作品の全てが酒田市に寄贈され昭和58年に展示写真美術館として建設された日本初めての写真専門美術館である。
 池の廻りに広大な散策道がある。その外側の小高い丘に135種類のアジサイが1万本植栽されている。アジサイ公園として親しまれ大勢の市民が訪れている。アジサイには少し遅れた訪問ではあったが訪れると、たくさんの保育園児やディサービスの人たちで賑わっていた。所々のベンチで休憩してる人などなかなかの風情であった。再訪問を掻き立てられる景勝地である。

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荘内南州会「えらぶゆりまつり」

2024年06月29日 | 日記

 酒田に西郷隆盛を祀る南州神社がある。庄内藩は佐幕派で戊辰戦争は新政府軍と最後まで戦った。その時の弾痕が杉林の杉に残っているとされる激しい戦いだった。敗れた庄内藩の敗戦処理に西郷隆盛が寛大な措置したことから、旧藩士らは西郷を慕うようになり交流を深めていった。西郷隆盛を祀る南州神社が篤志家によって建立され、遺徳を後世に伝える「庄内南州会」が設立された。
 その南州会による初めての「えらぶゆりまつり」が26日から始まった。十数年前から西郷隆盛が流刑になった沖永良部島か「ゆり」の球根が送られていた。球根は神社周辺に地植え等をしていたが、参拝者らに美しい「ゆり」を鑑賞してもらい西郷をもっと知ってもらおうと、その球根を計百鉢ほどに植え替え「えらぶゆりまつり」が企画された。
 南州神社の西側に西郷と菅実秀向き合った銅像と記帳所がある。記帳名簿には全国からたくさんの記帳があり西郷隆盛の遺徳が現在にも伝え継がれている実感が伝わる。

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豊な海を目指して

2024年06月22日 | 日記

 山形県遊佐町にすごい男がいる。桝川鮭漁業生産組合組合長であり、山形県鮭人口孵化事業連合会会長も兼務する尾形修一郎である。遊佐町は鳥海山の伏流水が至る所で溢れ出ており、清流で名高い牛渡川がある。鮭の遡上で人工ふ化事業は江戸時代からともいわれている。彼はそれを引き継ぎ温暖化で危なくなった孵化事業を先進地の北見・宗谷管内に技術を学び2016年に指導を受けて先端技術の詰まった孵化場を完成させた。巨額の投資だった。「日本海を豊かな海にしたい」が彼の壮大な夢だった。
 孵化場新設の4年後、孵化場は遡上する鮭の豊漁に沸いた。例年の2~3倍の鮭が帰ってきたのだ。すでに不漁に悩む各地の鮭産地から卵の融通が求められて700万個前後の卵を出荷して仲間を救った。全国さけます増殖振興会会長の鈴木俊一(現財務大臣)さんから表彰されている。
 孵化場の新設に合わせて石碑も建立されていた。めじかの故郷 桝川孵化場が正面で揮毫は友人で元酒田副市長、書家の中村護さんである。裏面は尾形組合長の理念を私が短文で書いたのが石碑になっている。私の名前を刻みたいと以前からつぶやいていたが、昨日出来たと連絡あったので訪れた。恐縮の限りである。石碑は永久に残る重さがある。

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酒田港で漁火まつり

2024年06月15日 | 日記

 酒田はイカの街として別の顔がある。全国でもトップクラスの水揚げ量を誇り港町のシンボルとなっている。コロナ禍以外は毎年「イカ釣り船団出航式」が10艘以上も集結し賑やかに開催されていた。しかし、近年のスルメイカ漁は不良が続いており山形船団でも廃業船が出るなど打撃を受けている。好漁場である大和堆周辺は違法操業の外国船が押し寄せ、トラブル寸前となっている。
 出航式が見送られる中「第1回酒田港漁火まつり」が酒田本港で開催された。本県中型イカ釣り船団の半数以上が能登地方の会社が所有する船であることから応援しようと実施されたもので、県漁協とサカタント運営会社が共催したものである。来場者は漁船の漁火がともる中、イカなどの海鮮ものに舌鼓を打っていた。県漁協の専務は「出航式はないが、イカの街酒田を盛り上げよう。石川県を元気づけよう」とあいさつした。
 売上金の一部を石川漁協に寄付される事になっている。

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