とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

日本初のミニ新幹線誕生のルーツ

2021年11月27日 | 日記

 山形県は1992年の「べにばな国体」を前にして、交通体系の在り方探っていた中からミニ新幹線構想が浮上したものです。
 山形新幹線はミニ新幹線と呼ばれ、全国新幹線鉄道整備法に基づかない路線で、在来線の奥羽本線を広軌鉄道に改良し、福島駅で東北新幹線と連結して東京駅と結ばれている。しかし、踏切や急こう配の板谷峠などを残したままでの改良であり、最高時速は130キロに設定され、特別急行と定義されている。
 この実現に故鹿野道彦代議士は関係省庁を奔走し、工期も経費も格段に安いとして山形・福島間をミニ新幹線方式として導入を決めたものです。1992年7月1日、日本で初めてのミニ新幹線の山形新幹線が開業した。事業費は630億円で、地上工事費357億円、車両費が273億円を国、JR東日本、山形県がそれぞれで負担した。
 開業の翌年、当時の高橋和雄知事は山形から新庄への延伸を県の重要事業とし、1994年に「山形新幹線新庄延伸推進会議」を発足させた。
 併せて県、国、JR東日本、学識経験者による「山形県在来線高速化検討委員会」で議論したが、JR東日本は赤字路線のために消極的だった。しかし、県は1997年2月に県の外郭団体である山形県観光開発公社を経由して建設費の351億円を10年据え置き、10年償還、無利子融資でJR東日本と合意、新庄延伸が実現する運びとなった。
 総工費の6割は地元金融機関の協調融資で、残りは県負担として新庄延伸工事は7月にスタート。沿線自治体は駅舎の改築や踏切の統合半減などに取り組み一体となって延長61キロに10の駅舎を持つ山形新幹線は2年半の工事を経て1999年12月に開業したのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形新幹線庄内延伸の旗は降ろすな

2021年11月20日 | 日記

 山形新幹線はミニ新幹線と呼ばれ、福島駅で東北新幹線と連結し東京駅と結ばれている。故鹿野道彦代議士が奔走し、四年間の工期を経て、べにばな国体前の1992年に開業している。
 その翌年、高橋和雄知事は県、沿線自治体、民間団体による「山形新幹線新庄延伸推進本部」を立ち上げ、山形・新庄間61キロを繋ぐ作業に着手した。しかし、赤字路線のためJR東日本や国は消極的だった。高橋知事は外郭団体である山形県開発公社を経由して、建設費351億円を10年間据え置き、10年償還を無利子でJR東日本に貸し付ける事の合意で、JR東日本は開業を決定した。
 新庄延伸は、福島・山形間とは違い、国、JR東日本の支援が無く県内金融機関の協調融資と県単独事業として2年半の工期を経て、1999年12月に開業出来た。
 県内人口の4分の一を占める山形新幹線庄内延伸は道理である。当時の高橋知事は選挙公約として取り上げ、加藤紘一代議士も4年間で実現すると具体的に選挙公約で訴えた。沿線自治体は一斉に連動して「山形新幹線庄内延伸期成同盟会」を立ち上げ活動を始めた。
 だが、高橋知事は加藤代議士の押した斎藤弘知事との選挙で敗れた。斎藤知事は新庄延伸より、羽越線改良工事の方が費用対効果で有利として、陸羽西線の高速化への情熱は薄れていった。加藤代議士の声も庄内延伸には触れなくなった。
 しかし、沿線自治体は県土の一体感を訴え活動を展開し続けている。酒田市を中心に5万人を超える署名活動もした。酒田市と沿線自治体にとって根幹となる政治テーマである。未来の子孫に残すインフラとして有無の責任がある。
 阿部市長、本間市長と真剣に取り組んできた運動である。しかし、現丸山市長が「陸羽西線高速化促進市町村連絡協議会」を解散したと報道があった。議論もせず通告だった事も分かった。何をもって即断したのか納得できる説明を示して欲しい。
 「旗はおろすな」と心から叫びたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安田バイパスに合わせて全農が大型コメ倉庫

2021年11月14日 | 日記

 国道344号線は酒田市と最上郡金山町を最短距離で結ぶ県管理の国道である。国道になるまでは、酒田と八幡町(観音寺)結ぶ主力道路で定期バスはいつも満員、酒田に近い停留所はノンストップの素通りが続いた。その延長上に金山町があり金山街道とも観音寺街道とも呼ばれていた。
 昭和50年に国道となり、秋田県湯沢市まで13号線を経由して97,4キロが344号線となったが、実質路線は金山町までの56,9キロである。
 国道になると起点の7号線タッチ部分から道路整備は急速に進んだ。観音寺を超えて青沢トンネルも抜けた。しかし、そこから先の難所が青沢峠越えである。九十九折の難所急所は続く。
 それでも、酒田と真室川町は30分圏内で最上郡と最短距離で結ばれている。新庄よりも近く通勤圏内でありり交流人口が以外に多い。 
 難所がもうひとつあった。1キロも続く曲がりくねった安田集落内を国道が通っている事だ。当初からバイパス整備計画があったものの地権者の反対で実行できなかった。30年間は計画のまま塩漬けとなった。
 私が県議時代、地区の関係者とタッグを組み猛烈な運動を展開した。結果、調査費が計上され用地買収も終わり、来年には実質工事に入る段階となった。
 すると、安田バイパス隣接地に全農山形が3haの用地に大型の米穀倉庫建設との情報が入って来た。米穀倉庫はフルコン集荷に合わせた近代化施設では庄内ふたつ目である。
 道路は地域創生の大切なインフラである事を示している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北平田保育園児のカウントダウンで花火ショウ

2021年11月06日 | 日記
 
 11月1日の夜、北平田保育園児のカウントダウンで北平田地区新青渡の村はずれから、突然花火が上がった。これは、「酒田を元気にしたい花火」打ち上げ実行委員会が実施したもので、5回目で最後の「花火ショウ」だった。
 「酒田を元気にしたい花火実行委員会(代表 小野香織)はコロナ禍のため今年も「酒田花火ショウ」が実行できなかったため、県内唯一の花火製造業者「安藤煙火店」を少しでも知って頂きたい事と、こんな時だからこそ「酒田を元気にしたい」との思いから企画、多くの企業の協賛を得て、地元FM「ハーバーラジオ」の実況と音楽に合わせて実行されたものである。
 9月から市内の5カ所で打ち上げられた。ハプニングもあった。ある地区での打ち上げで、白鳥が驚いて飛び去ったとの苦情が寄せられ、打ち上げ場所を厳選し、大玉の打ち上げは控えるなどの対応もとった。
 私は近くの農道からの観戦した。ハーバーラジオの軽快な音楽に合わせ、解説付きの花火ショウは楽しいものだった。フィナーレはスターマインで締めくくられた。
 30分程度の「酒田を元気にしたい花火」に元気をもらった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする