とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

寒い中出初式

2008年01月28日 | インポート

Photo 酒田市消防団の出初式が、寒い中総勢600人の消防団員と30台の消防自動車が参加しておこなわれた。「寒だら祭り」の日程と合わせての実行だけに、大勢の見物人で賑わった。毎年行われる本楯地区の、大正時代から伝わっている、手押しポンプによる放水の意外な威力に、大きな拍手があった。人力の呼吸をあわせた作業も捨てたものではない。
 恒例の「はしご乗り」は、出初式の目玉である。今年の演者は、はしごの天ぺんで、「そんなの関係ねえ」のギャグを入れ大拍手をとっていた。今年からは、女性消防団員も加わり分列行進に華を添えた。
 消防団員のなり手の減少が、課題である。地域の防災は地域で守る、この気概こそがコミュニティーの原点であり、大切にしたい消防団である。 。それにしても、寒い1時間だった。からだの芯まで冷えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒田にドカ雪

2008年01月23日 | インポート

Photo  今月の17日一晩で、酒田では珍しく30cmのドカ雪が降った。NHKの全国ニュースでも報道される等の異常ぶりである。その前日までは、雪が降る気配などみじんもなく、不気味な暖かさだったので度肝を抜かれた感じだ。その後も、ずっと低温が続き雪が溶けずに残っている。議会で山形に居たが、山形は雪がない。「天気は気まぐれなものだ」と思いつつ、忍び寄る地球温暖化現象が脳裏をかすめる。 
 21日に、山形へ酒田の「寒だら」を持ち込み、常任委員会で「寒だら汁」をメーンに、新年会をやった。寒中の鱈は、脂がのっていて旨い。三杯もお代わりする人もいて、皆喜んでくれた。雪国に雪があるのは当たり前で、雪のないのが不自然だ。雪と共存して、そこから生活の知恵や、文化が生まれ、厳しさに耐え忍ぶ力が身につく。それにしても、異常なドカ雪はあまり有り難くない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒田のさかな談義

2008年01月16日 | インポート

002  活気のいい魚市場を見に行こうと、酒田水産物協同組合に出かけた。家からの出発が遅れたことと、アイスバーンでのろのろ運転も重なってセリは終わっていた。われながら情けないスタートだ。でも、何人かの活きのいい魚を買いに来る人で賑わっていた。そこで、魚談義を交わし庄内浜のあれこれや、海水温が高く摂れる魚種や、時期が変わってきたことなど話題が尽きなかった。
 そうこうしている内に、FMラジオで「お魚情報」の定期インタビューの収録があるというので、事務所に行ってみた。若い女性アナウンサーに答えるのは、組合理事長の佐藤さん。庄内なまりもなく、慣れた感じ。私もいるせいか、時々噛んでしまって頭をかいていたが無事終了。
 「お魚情報」を聞いていると、名物の寒鱈はまだ早いらしいい。アンコウが豊漁で、地場で消費し切れない位らしい。アワダチガレーや口細ガレーなども順調に揚がっているとのこと。ナマコやコダイの調理方法や、十和田湖で摂れるワカサギの食べ方などの解説もしていた。エビ、サメ、カニ、フグ、ブリ。庄内浜はおいしい物は何でも摂れる、豊かな漁場だ。
 間もなく寒鱈祭りが始まる。今年で21回目。そう言えば寒鱈祭りは、相馬大作さんが酒田市長の時始めたものだった。鱈が高くなるなどと、悪口も言われたが、今では冬の風物史に定着し、あちこちの庄内でも行われている。東京霞ヶ関での寒鱈会も、今はやる人がいない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水村山郭

2008年01月08日 | インポート

Img_0843  正月2日から5日間続いた、朝日新聞の特集記事「水村山郭」は読み応えのあるものだった。早瀬のように変わる経済変遷に、ついて行けない農山村の実態を余すことなくついている。定点は、真室川町周辺ではあるが山形県の多くが似たような地域であり、日本中、特別な地域を除いては原風景ともいえる。ここをどうするのか、日本政治の根幹に関わるものだとつくづく感じさせられた。
 60年代から始まった高度経済成長は、農村部から都市部へ労働力を吸い上げることに始まる。農機具の高度化は、多額の現金が必要となり需要と供給がマッチし、多額の現金収入の道として出稼ぎが盛んになった。集落の男性過疎がうまれ、大きな社会問題にもなった。そうこうしている内に、74年のオイルショックを境に経済が低迷。企業は、安い労働力を求め地方の工業団地へと移転をはじめ、家族とも離れず現金収入を得られる兼業農家へと傾斜していく。やがて、80年代半ばに円高不況による企業の海外流出と、公共事業の激減による農家の現金収入の道は、細ってくる。90年代には、食管制度も廃止され農家を支えた安定米価、安定兼業は崩れた。離農、離村、集落崩壊へと道は続く。
 農業の自立を名目に、今年から集落営農が導入された。減反も農家自らの判断という事になり、米余り米価の低落は目を覆うばかりとなり、さすがの政府も、傷口を絆創膏で貼りだした。展望は開けないままだ。机上プランの農政補助金に翻弄され、借金を積み上げた農業担い手は、途方にくれている。今、村を支えている高齢者の不安は、臨界点にたっしている。
 村を壊してはいけない。古い遺産は大事にしなくてはいけない。誰もが感じていることだ。それが、何故出来ないのか。市場主義経済の限界を見た思いの特集記事だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年

2008年01月02日 | インポート

Img_0916  謹賀新年。「坂の上の雲」ではないけれど、今年こそは良い年でありますようにと宮野浦の日枝神社にお参りをした。家内安全身体堅固、交通安全、心願成就、五穀豊穣。一度に全てのことが旨く行くようにと、お願いをした。われながら、こんなにいっぱいお願いすることがあるのかと驚いてしまった。
 祈念するのは、足ることを知らない人間の業なのか、進化し続けようとする人間の本質なのかは別にして、古より引き継がれた神仏への祈願は、自分ではどうする事も出来ない事柄を、見えないけれども大きな力があるに違いないと信じて、祈り続けてきた。言い換えれば、自分自身の無力さでもある。同じ思いの参拝者100人ほどが、頭をたれて日枝神社にひたすら今年1年の安泰を願った。
 今年の正月は、うっすらと雪化粧している。何が惹起するのか分からないけれども、ひとつひとつ丁寧に向き合って進んで行こうと、心に誓った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする