とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

忍び寄る米作の危機

2007年09月21日 | インポート

_005_1  庄内地方の稲刈りが始まった。高温障害が懸念されるものの、先ずはいい実りの秋になった。今、日本の農業は存亡の危機に瀕している。特に米の値崩れがひどい。昨年の米の出荷時の仮渡金は、60キログラム1万1700円支払われている。今年の仮渡金は、1万円で、約17%の値下がりである。その上、予定通り販売出来ない場合は、後で返却もありうるとの但し書きもついている。米作農家の悲鳴が聞こえてくる。昭和50年代米一表2万2000円時代にほ場整備が盛んだった。その債務が農家を苦しめてもいる。償還期間はまだまだ長期にわたる。生産調整も農家自らやっているのだが、法律ではないので限界がある。市場原理となれば供給過剰は、値崩れとなる。
 先祖伝来の田んぼ。採算ではなく使命として、米作りはどうにか続いているものの、ここまで来ると危なくなってきた。どんな現象がおきるのか予測は出来ない。忍び寄る農村の崩壊は、日本そのものを直撃する。先般の参議院選挙は、農家のクーデターでもあり、新たな農業政策求める声でもある。

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敬老の日

2007年09月17日 | インポート

_009_2  今日は、敬老の日。長寿を皆で喜びたい、そして祝おうと言うことである。日本で、100歳以上の人は2万2300人になった。山形県では、343人。いずれも過去最高記録で、今後とも急激に増えそうだと言う。長寿は人類の長い間の悲願でもある。長く生きることは、それ自体に意義がある。肉体がしっかりしていて、病気にも負けなかった。あまたの環境変化にも負けず、きちっと対応してこられたのだ。何よりも意義あることは、直系の子孫の頂点に立つ素晴らしさである。そのDNAを引き継いだ子孫たちは、その生き様を学習し、後世に伝えていくだろうと思う。
 わが地区でも、敬老会があった。私の小さい頃は、70歳以上が対象でリヤカーで家族に送られて来る姿が、印象にある。人数もそんなに多くはなかた。いつの間にか、対象は75歳以上になっている。公民館は満杯になる。現役バリバリの人も多く敬老の概念が当てはまらない。そして、大事な有権者でもある。お酌に回ると、痛烈な政治批判をあびる。小学生はバンド演奏。中学は給仕。自治会長は接待係。後は、歌あり踊りありの賑やかな懇談。地区みんなでめでたさを味わった。

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山響がやって来た

2007年09月11日 | インポート

_002_8 我が地区の体育館で、山形交響楽団(山響)の生演奏を聴く事ができた。山響は、1972年に東北初のプロオーケストラとして発足したその草分けである。現在でも東北のプロオーケストラは、山形交響楽団と仙台に2団体があるだけで他の県には無い。35年の歴史を持つ山形交響楽団は、山形県の貴重な宝物である。
 その山響が、生徒数78名の北平田小学校に、山響スクールコンサートとして来てくれた。それも、体育館にである。地区の皆さんも30名程加わり本物の演奏を味わった。作曲家の世界一周をテーマに、スイスの「ウィリアム・テル」序曲、ドイツの「運命」、イタリアの「オーソレミオ」、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」、日本の「最上川舟歌」。楽器の勉強では、楽器の名前や、音色の紹介があり、子供たちの知識の多さには驚いた。1時間10分の演奏会は終わった。私が小学生の頃はハーモニカ、良くてアーコディオン。戦後一番進んだのは音楽教育 かなと思う。北小は、マーチングバンドがあり、金管楽器には慣れている。それにしても、フルートの甘い音色と、タンバリンの印象は、耳に焼き付いてしまった。

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伝国の杜

2007年09月07日 | インポート

_001_10  米沢市には、「伝国の杜」がある。「伝国の杜」は、上杉鷹山公生誕250年を記念して山形県と米沢市が87億円の巨費を投じて、平成13年8月に完成させた芸術文化施設である。今まで何度か訪れているが、先般の委員会視察で、改めて感銘を深くした。この施設は、上杉氏米沢入部400年史と、鷹山公を中心にした市立「上杉博物館」それに、可動式の能舞台をメーンにした県立の文化ホールを合築したものであり、日本でも他にない施設である。
 米沢は、今士気が上がっている。再来年の平成21年には、NHKの大河ドラマ「天地人」で、上杉藩の智将「直江兼続」を主人公にした歴史ドラマが放映される事になっている。米沢が舞台である。期待が持てる。夢の様な話しが、実現される要因に「伝国の杜」の果たした役割は、少なくない。
 文化施設を公共で、作る是非はある。しかし、急がば回れと言うことわざがある。費用対効果中心の行政だけでは、深みがない。

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