とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

友好関係に新時代

2009年06月29日 | インポート

Img_2054 今年の商談会は、なんと言っても「はえぬき」が2年継続してハルビンに輸出できた事が大きい。その価格は、2キロ入り2個の箱詰めで、日本円で5000円だと言う。何故こんな高価格になるのか。これでも北京と比べれば安い値段だと言う。数%程度の関税があったとしても出荷時の5倍になる。これが半分の価格に下げる事ができたら飛躍的にハルビンの需要は伸びるだろと思う。「はえぬき」が中国全土に広まり画期的な戦力商品に育つ可能性を大いに秘めている。
 もうひとつの目玉は、日本海水産の初めての輸出である。ハルビンの水産は、900キロ離れた大連からのものが大半で、輸送手段などの遅れを考えると、とても高品質とは思えない。今回のサケ、カニは冷凍品として輸出の契約である。日本海水産の大川社長は「当初は、現地の輸送手段や、保管状況を考えると冷凍品になるが、状況を見ながら生魚も送り出したい」と意欲を見せている。日本海の魚で、ハルビンの寿司や、カニ料理、刺身の日本料理が食べられるのも近い将来になる。
 近く北海道、新潟県がハルビンで物産展を開催すると言う。山形県も遅れずに後に続こうとしている。新田会長が20年もの間商談会の発展に貢献したとして、商談会記念行事「文芸の夕べ」の席上で、栗省長より表彰された。世界で8人、民間で唯一人であった。「ひとつの小さな商談が、本県とハルビンとの新たな経済交流のきっかけになる。」と築きあげてきた人脈の大切さを強調していた。新たな友好、交流関係へと一歩を踏み出した。

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友好を重視した知事訪中

2009年06月24日 | インポート

Img_2042  環日本海時代などと言われて久しくなる。山形県は地の利を生かした取り組みを充分行ってきただろうか。県庁が港から離れている実態は、如何ともしがたい現実である。山形県の地図は顔の形をしている。「前方を見ないで、後ろ髪に引かれている」と政策を皮肉るのが合言葉だった。その間、東方水上シルクロード貿易促進協議会は、当初は県との連携を持ちながらこつこつ地道な商談会活動をつづけてきたが、県財政の厳しさや、県幹部の理解の無さで、年々先細りの感はぬぐえなかった。昨年の商談会で、それがピークに達し、「はえぬき」の輸出試食会に商工労働観光部の非協力的な態度には、驚きを通り越して唖然とした。
 今年は、それががらり変貌した。吉村知事就任後初めての外国訪問は、東方水上シルクロード貿易促進協議会の同行だった。訪中団は52人に膨れ上がり、受け入れ側の黒龍江省栗省長は「知事就任後、すぐにハルビンを訪問してくれたことは、双方の友好重視の現われと、歓迎したい」知事訪問に大変な気の使いようだった。
 この商談会は、68ヶ国が参加、3000ブースを越える大規模なもので、出展者とバイヤーの盛んな商談が繰り広げられる。山形県からは、日本酒、ワイン、水産加工品、漬物など20企業が参加して成果を収めている。知事の先頭にたってのPR効果も手伝って盛況だった。特に、「はえぬき」は昨年に引き続き10トン、新たに梨、りんご5トン。今年の目玉は、サケ、カニの水産物12トンが契約されたことである。山形県の規模はまだまだ小さいが、豊富な山形県産品売り込みは、緒に就いたばかりである。今後の課題については、次回報告する。

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広がるハ中国ハルビン商談会

2009年06月22日 | インポート

Img_2064  戦後途切れていた日中政府間協議は、1972年、当時の田中首相が訪中し周恩来首相との間で日中共同声明に調印、6年後の1978年8月に日中平和友好条約が調印された。中国側は、賠償金を放棄する代りに、日本側から多額のODA援助を引き出し、今の中国経済成長につながっている。
 それから20年。1992年酒田開港500年記念に合わせて、平田牧場の新田嘉一会長が、ハルビンから松花江、黒龍江、アムール川、馬宮海峡、日本海を経て酒田港に至る2800キロの航路を提案。「東方水上シルクロード」と命名され、酒田港の発展への熱い思いが具現化した画期的な出来事であった。
 その年の8月に、トウモロコシ3000トンを積んだ第一船が酒田港に入港。熱い日の入港式は今でも鮮明に憶えている。その翌年には、河海両用船「木蘭号」も建造され、期待は膨らんだ。
 1996年には「中国ハルビン貿易商談会」に山形県事業として継続して出展し今年で20年になる。中国の経済成長は世界のトップとして世界経済をリードしており、貿易額はアメリカを抜いて第一の相手国となった。中国は、県内の農水産物の大きな市場に育ってきつつあり、県民あげて、隣県に負けない対策が必要である。
 今年もトウモロコシ3000トンの輸入がが契約された。しかし、残念ながら輸入港が酒田港ではない。酒田の飼料工場が閉鎖されて、東北での飼料工場は釜石ただ一箇所になったので、釜石港にはいる。山形県で栽培される飼料米も釜石へ運び込まれる。 しかし、今年の商談会に、吉村知事の訪中の意義は大きい。米、梨、りんご、海産物の輸出契約については次回報告する。

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日本最大級の地滑り

2009年06月20日 | インポート

Img_2074 森敦の代表作「月山」の舞台となった注連寺の眼下、七五三掛地区の急傾斜地部分が、日本で最大級の地滑りが顕著になり今対応に追われている。もともとこの地域を含む広範な月山地域は、厚い火山灰土で形成されており、急峻な地形上からも地滑りは注目されており、志津地区も含め、年に数センチの地滑りが所々に観測されていた。国の地滑り防止対策のパイロットとして取り組まれる予定になっていた矢先の今回の災害である。
 注連寺すぐ下、幅約400m長さ700m深さ20~30mの一帯が4月の始めに急激に滑り出した。1日10cmの速度で地滑りが始まり、5戸25人が避難せざるをえなくなり、新築の家屋も含め、崩壊寸前に追い込まれた。段差は既に5m近くに及んでいる。国、県、市が連携して地滑り防止対策を打ち出し、地下水の水抜きを中心に、国直轄工事13億円を含め25億円の予算で、日本最高技術の地滑りを止める対策が打たれ始めた。
 庄内支庁は、連日の視察対応に追われ、ていねいな説明を続けている。説明担当者の「田んぼに植えたものの、水が止まりました。枯死が始まってます。新築のうちも含め、電線、水道管も切れました。めじょけねぐ思ってます」庄内地方の方言「めじょけね」は、深い意味がある。手の打ち様がなく、深い同情と悲しみを表す。被災者側にたった担当者の一言が耳に残った。

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稲の一生シリーズ(3)

2009年06月11日 | インポート

Img_2024  今日で、田植えして丁度1ヶ月になった。その間寒暖の差あり、強風ありでイネもじっと耐えてきたように思う。イネ姿としては小学校1年生位で、まだまだ保護観察の身である。外気温が少々低くても、田んぼの水温は以外に暖かく水を一定の深さに保つ事が、生育を助ける唯一の手段で、朝晩の田んぼの見回りは欠かせない日課である。でも、ここまでくれば先ずは一安心でありイネはもう分けつを始めている。
 草丈は25cm位で、田植え時の2倍になった。イネは一生で13枚の葉をつける。現在は、5.5葉位と思われる。5~6日で一葉づつ展開し続けて、8月の始めに最後の13枚目の葉が出て止葉となる。その後に穂が出てくる順序になる。田植えは、一坪に70株位の5本位づつが植えられている。環境次第で、どんどん分けつするが、普通は5~6倍まででうっぺい状態になり、それに穂がつくのが一般的である。三つ子の魂100までもといわれるが、イネもまさしく、今しっかり根を張り、太い丈夫な茎に仕上がるかが、後の収穫に深く結びつく大切な時期である。

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酒田「小さな親切」の会

2009年06月05日 | インポート

Img_2018  「小さな親切」運動は、46年前の昭和38年東京大学の茅誠司学長が大学の卒業式の告示で「小さな親切」の重要性を訴えたことに始まる。日常生活における「小さな親切」を重視し環境美化や、お年寄りなどの弱者への援助、社会奉仕などちょとの心づかいで社会全体が潤いのある、温かい社会の形成を作り上げようと言う運動である。
 特に小中学校を重視し、作文コンクールや「あいさつ運動推進校」を呼びかけ、あいさつを通じて子ども達の心づくりをする狙いがある。「小さな親切」八か条がある。1 朝夕のあいさつを必ずしましょう。2 はっきりした返事をしましょう。3 他人からの親切を受け入れ「ありがとう」と言いましょう。4 「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」と言いましょう。5 紙くずなどをやたらと捨てないようにしましょう。6 電車やバスの中で、お年寄りなどに席をゆずりましょう。7 人が困っているのを見たら、手伝ってあげましょう。8 他人のめいわくになることはやめましょう。
 酒田「小さな親切」の会は、前田製管株式会社の前田直己会長が中心に運動が継続され、前回まで会長をつとめられた五十嵐千秋さんが勇退、内閣官房長官賞を受賞、昨日の21年度総会で伝達披露があった。「小さな親切」誰にでも意識して出来る善行である。実行したすがすがしさは、何にも変えがたい。

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