とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

酒田駅前再開発事業がスタート

2019年01月27日 | 日記

 酒田駅前の市街地再開発事業は紆余曲折をたどり、長期間、空き地になっていた。そもそもは、人口減少が進みドーナツ現象の中心が駅前周辺となり、活力を失っている事が背景にある。酒田市の魅力ある中心市街地の分散化が進み、酒田駅から遠くなった高等学校の配置や、観光スポットへのアクセスの悪さなどが駅前の開発を鈍らせてきたものと思われる。
 ようやく昨日、酒田駅前再開発事業の安全祈願祭が行われ、総事業費109億5千万円の大型工事がスタートする事となった。施設は図書館機能をもった「酒田コミュニケーションポート」とホテル、分譲マンション、立体駐車場に商業店舗の計画である。人が住み、人気となるホテルが稼働すれば、駅前の活性化が期待できる中心の施設である。
 私は挨拶で「酒田駅前は酒田の玄関口。ここが寂しいと酒田全体がさみしく思われる。山形新幹線の酒田延伸が決まっていればもっと元気が出るだろうと思う。山形県は延伸しないとは言ってないので、皆で頑張ろう」と申し上げた。
 駅前は何と言っても酒田の顔である。化粧は必要だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急ピッチで進む人口減少社会

2019年01月20日 | 日記

 華やかな成人式が県内各地で実施された。しかし、その裏側に人口減少社会や低密度社会の到来が現実味を帯びている。ふるさと創生山形版の構築を急ぐ必要がある。県民会館や県立博物館、大型体育施設などを県内に2つも3つも施設を作るわけにはいかない。県庁所在地が持つ、(文化施設や医療施設といった)機能を県内に隈なく行き渡らせる必要がある。
 県内の地域間格差を和らげ、庄内、最上、置賜の力を結集させ、山形県の総力を高める事こそが「ふるさと創生山形」への近道と思える。今、県が掲げている首都圏交通アクセス改善への大型プロジェクトより優先して取り組むべき課題と思う。残された時間は少ない。
 未来の山形県を支える「やまがた創生」を加速させるためには「県内は、県庁所在地まで1時間で結ぶ構想」の具体的なロードマップを示し、実行すべき時期に来ている。県内交通体系の改善による県内の地域間格差の是正こそが急ぐべき山形県の課題と思える。
 強いものが生き残るのではなく、変化に柔軟に対応するものが生き残る。低密度社会、超高齢社会、環境社会が急ピッチで進んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログに寄せられたコメント

2019年01月12日 | 日記

 私の県議会議員引退報道の後、たくさんの意見を頂いた。「ご苦労様でした」とねぎらって下さる方には、頭の下がる思いでした。全てを飲み込んで分かってもらえることが嬉しかったのです。「まだ、やるべき事が残っているよ」という方には「すみません」と答えるしかありませんでした。「もう一期頑張れ」という方には、始めがあれば終わりもあると納得して頂いた。
 私のブログにもコメントを頂いた。「卒業式や入学式で数多い祝電の中でも、何故か他の祝電とは違っていた。何故そう見えたのか。少しずつ分かってきたようです。ふるさとを思う心と、志を大事に次代の人を育てるようにと誰よりも強く願っていたからですね。一住民となられた時に、話を聞く事を楽しみにしていたのかもしれません」と、もったいないコメントでした。
 「正直なところ残念です。目的達成のための整然とした理論とブレの無い対応(多少強引なところも)相手に対する暖かい心遣い等、地域を想い人を想う見識・信念に畏敬の念を持っています。問題の所在と対応方向を示してくれるブログを楽しみにしていました。任期はまだ十分にありますので「お疲れ様でしたは、先延ばしにします」議員冥利に尽きるコメントでした。
 農村通信12月号に寄稿したことにもコメントがありました。「国の最近の農政や進め方には、危うさを感じています。地に着いた議論を望んでいます。県議の考えを各方面に届けて下さい」私は農家なので地に足はついてます。これからも発信していきます。
 ふるさとを思う気持ちは、ここに住む者みな同じです。これからもどうぞよろしくお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒田港の初夢

2019年01月06日 | 日記

 私は県議会に当選以来「酒田の元気は港から」と訴え続けていたが、なかなか思い通りに進むようなものではなかった。しかし、チャンスが訪れた。平成23年の東日本大震災で太平洋側の港湾が壊滅状態になり、日本海側の酒田港がその代替機能を発揮したのだ。
 酒田港は例年、コンテナ貨物取扱量が5,000TEU位だったものが、緊急物資の取り扱いで、一気に2倍の1万TEUに跳ね上がっだのだ。その直後の予算特別委員会で、酒田港の重要性を訴え、古くなったコンテナクレーンの整備に加え、新たなクレーンの増設を迫った。部長答弁は「検討したい」だったが、知事に食い下がり「実現したい」との答弁を引き出した。委員会室のどよめきが今でも忘れる事が出来ない。
 その直後のH25年に、花王の紙おむつ工場の新設が発表され、クレーン増設された年のH26年に、酒田港から「紙おむつ」輸出が始まった。その後は、コンテナ貨物量が倍々ゲームで増加し、29年には28,365TEUとなり、この間、リーチスタッカーの増設やヤードの拡張が行われ、クルーズ船が着岸可能な岸壁にも作り替えていただき、ポート・オブ・ザ・イヤーに選ばれるなど、酒田港は飛躍的に生まれ変わることが出来た。現在も、古いコンテナクレーンの大型化や岸壁の延伸工事が進められている。
 バイオマス発電も立地が進み、稼働しているもの、準備をしているもの、風力発電や洋上風力発電など太陽光発電も含めて、港の利活用が進み、外航クルーズ船もこれからが本番の正念場になる。
 港湾は膨大な背後地域との連携で成り立つ。それには、高速道路や鉄道で繋がる事が不可欠である。近代酒田港の雄姿を夢見ている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましておめでとうございます

2019年01月01日 | 日記

 

明けましておめでとうございます。

平成30年12月14日予算特別委員会での質疑の一コマです。20年間お世話になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする