とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

県議最後の日

2019年04月29日 | 日記

 私にとって県議会議員最後の日となった。天気は快晴、さわやかな春の風が心地よい日である。特別な感慨はないけれど、洪水のように流れてくる山形県からのファクスがピタッとと止まると淋しく感じるものだと、先輩議員から聞いている。たくさんの労いの言葉や花束も頂戴して、ありがたく、ただ恐縮の限りと思っている。  

 昨日は、事務所を閉める片付け作業を仲間の皆さんと一緒にやった。軽トラック3台に20年間の荷物が積み込まれた。思いがけない写真が出てきたり、パソコン、机、椅子、畳、カウンターなどは処分をお願いした。各地に立っていた野立て看板の撤収や、事務所前の看板も専門の方から消してもらい、事務所は大家さんに引き渡して全てが終わった。  

 夜は、20年間応援し続けてくれたコアな皆さん15人と慰労会をした。振り返ってみれば、20年もの間変る事無く、後援会を引っ張ってくれたからこそ、私が自由奔放に活動できたとつくづく思っている。  

 会報部は、51号のを発行で千秋楽となった。青年部長は還暦を迎えたと笑っていた。ブログくらい書けよと言った方が仙台から駆けつけてくれた。ブログは724本になった。  会報委員会は会議が終わればひたすら酒席に変わる。口もうるさいが、味にもうるさいシェフもいる。写真を撮り続けてくれた方。聞き上手の方の判断も正しかった。見た目ヤクザっぽいが実はやさしかったり、会社派遣の仲間も同じ気持ちになれる面白さがあった。  事務局も自分を含め、うるさい仲間にに耐えてくれた。

「終わり良ければ全て良し」悔いのない議員生活が送れた。皆さんに感謝である。

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自民党に除名申請

2019年04月18日 | 日記

 酒田飽海にある自民党5支部が、党県連に私の自民党除名を求める意見書を提出したと山形新聞の報道で知った。理由は県議選で自民党公認以外の候補者を応援した事によるとある。  

 正確に経過を説明しておく。私が応援する事になった方は、昨年の10月に党費を添えて、自民党に入党の手続きをした。しかし後日、入党は認められないと、入党手続き書類が返された。理由は分からないが、県議選へ立候補のうわさかも知れない。その時、私はその方を応援することを決めてはいない時期である。   

 定数5人の酒田・飽海選挙区に自民党公認候補は4人は充分可能なことで、党勢拡大は自民党の党是である。自分たちの狭い利益のために、余計なものは排除する体質は理解しがたい蛮行である。迷惑なのは選挙を控える国会議員で、頭を抱えていると聞いている。  

 いよいよ立候補も決まり、その方は無所属立候補と報道された。その後に、自民党以外の国会議員から応援のオファーがあった時、本人はきっぱり断ったと聞いて驚いた。これは、芯からの保守系無所属候補だと実感し応援を決めた。党勢拡大には絶好のチャンスである。自民党酒田支部が主導したと思われる一連の行動は、排他的で自民党の「錦の御旗」を振りかざした越権行為である。  

 自民党県連がどう扱うかは分からないが、結果は県民に大きな影響を与えることは確かだ。

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県議選考

2019年04月12日 | 日記

 県議選は終わった。酒田・飽海選挙区は私の引退を含めて2議席の空席に新人5人が名乗りをあげる激戦区となった。しかし、少し時間が経つと、色々透けて見えてくるものがある。先ずは、投票率の低さである。遊佐町は地元候補が出てないので、52,63%は分からなくもない。酒田は激戦地でありながら、51,73%には驚いた。山形市の49,25%に次ぐ低さは気味が悪い。    

 理由は県議会議員に対する期待感が薄い事に尽きる。酒田・飽海の未来に何を貢献したのか。県議会議員として評価されてない現実が投票行動に現れたものと思われる。自らの自戒も込めて申し訳ないと思っている。酒田・飽海は各分野で遅れが目立つ。取り戻すには県議会議員の力量にかかっている。県議は国会議員の下請け機関ではない。無益な系列争いから抜け出し、地に足の着いた未来のために、今すべき活動を期待したい。  

 もう一つ驚いたことがある。酒田市長が公務をキャンセルして特定候補の選挙運動車、いわゆる選車に乗り込み「市長ともどもよろしくお願いします」と連呼した事実がある。市長は市民を代表する権力者である。建設会社の前で、連呼されたらたまったものではない。元市議会議員がその選車に遭遇した時、市長が身を隠したと笑っていた。悪いと思ってる証左である。市長の品性が問われる。

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やっさら藁人形流し

2019年04月04日 | 日記

 遊佐町洗沢川の左岸にある樽川集落に伝わる八皿(やっさら)行事が今年も行われた。樽川集落は、新田開発されて415年と、村はずれの石碑から推測される伝統深い17戸の集落である。

 やっさら人形は、各戸で作る約30センチほどのわら人形に鉢巻、腹巻、前垂を巻き、頭には赤い椿のかんざしをさす。神棚に飾り、赤飯やお頭付きの魚など八つのご馳走をわら苞(つと)に入れて背負わせた手の込んだもの。それぞれに意味があり、頭痛、腹痛、護身を意味するもので、それを、竹に刺して集落の中央に集まる。  

「やっさら人形おぐっぜ(送る)。どこまでおぐっぜ。さどしま(佐渡島)までおぐっぜ」と歌いながら、小太鼓とジャンガラ鉦(かね)で村を練り歩いたあと、洗沢川に無病息災の祈りを込めて流す、流し雛の一種の様な行事である。  この奇祭は毎年4月4日夕刻から実施するもので、旧暦のひな祭りにあわせたと言われている。以前は子供たちだけの行事だったが、少子化の影響から存続が危ぶまれていたが、平成27年に集落総会で有志による存続を決め、現在に至ってる。

 樽川集落では「やっさら人形」と呼んでいる。 やさらの風習は、中山集落、平津集落でも続いている貴重な伝統文化であり他に例を見ない。

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