とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

未熟な柿の実

2012年09月30日 | インポート

001 「暑さ寒さも彼岸まで」猛烈だった残暑もようやくおさまり、朝晩に清々しさがある。庄内地域の稲刈りもあとわずか。刈り取られた稲わらの芳醇な香りが、田園を包んでいる。ふと見ると、庭先の柿の木に小粒で未熟な柿が、申し訳なさそうに「成熟まで待って」と実をつけていた。
 未熟といえば政権政党の未熟さに、国民はあきれている。マニュフェスト論争で党内抗争に明け暮れ、負け組が大量離党をした。それ自体を批判するつもりはないが、その後だらだらと離党議員の発生に合点がいかない。
 有権者の清き一票は国政のかたちに投じたものであり、私たちの代弁者としての義務を負っている。言い換えると私たちの権利をはく奪し、私的に都合よく行使と言える。
 県議会議員を辞職し、国政を目指した人がいる。より地域の発展を訴えることに期待し、県議会は一議席の空席を皆で補った。その結果今度は県議会の空席を埋めるために、酒田市議会が一議席空席になった。申し訳ないとは感じないのだろうか。
 今度は、国会議員を辞職して市長に立候補したいと言う。おびただしく建てられた総選挙向けの野立て看板。誰が設置したのか、その方たちの心が分かっているのか。どう考えても不条理である。
 もっと言えば、その大義が分からない。選挙に負けそうだったからだとすれば、あまりにも有権者を馬鹿にした事だ。筋を通す勇気は、政治家の根幹である。わがままにもほどがある。

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暑さにうんざり

2012年09月18日 | インポート

006 台風の影響だろうか昨日、今日の暑さにはまいった。酒田、鶴岡では2日続けての猛暑日。内陸より気温が高くなるのは東風によるフェーン現象によるものが常だが、9月も下旬に入ろうというこの時期の異常気象にはうんざりさせられる。
 山形県の過去最高気温は1933年7月25日に山形市の40.8度Cである。この記録は74年間日本一だったが、2007年8月16日に埼玉県の熊谷市と岐阜県の多治見市に40.9度Cで破られ、現在は歴代3位である。
 酒田市は1978年8月3日に40.1℃を記録している。あの日の暑さは尋常ではなかった。飛んでいる鳥やセミが地上に落ちる現象が起き、アスファルトが融けるなど、壁が熱くて触れない程だった記憶がある。
 それにしても、稲刈りの始まりかけた中秋の猛暑日は動植物の対応能力の限界を超えてしまっている。熱中症で救急搬送される例も少なくない。わが家の猫も高齢も手伝ってかぐったりとしている。

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豊田通商が酒田港から初出荷

2012年09月09日 | インポート

Photo トヨタグループの総合商社「豊田通商」が取り扱った鉄スクラップが酒田港から初出荷され、酒田港の利活用が一歩前に進んだ。
 豊田通商が東日本に貨物取扱ヤードを設置したのは初めてである。今後東北一円を視野にリサイクル貨物を集積する見通しで、今回のリサイクル貨物は1200トンであるが、将来的には西日本のヤードと同程度の十数万トンを目指し、リサイクル貨物の積出し拠点港になると見込まれている。
 これは、豊田通商の取り扱い開始を前に、酒田北港の古湊埠頭の木材専用埠頭を新たな品目も取り扱えるように変更したもので、輸入原木材が少なくなったため、広さは十分にある。
 トヨタグループの事業の第一歩が始まった意義は大きい。東北トヨタの拡大基調は今後も続くものと見られ、酒田港発展の引き金を引いた感がある。さらに進んで、トヨタの部品や完成車輸出入の弾みになればと願っているところでもある。
 いずれにしても、地域経済の活性化につながるものと思われる。関係者の努力に感謝したい。

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大相撲千秋楽北平田場所

2012年09月02日 | インポート

004 相撲は国技と言われている。力士が土俵の上で戦う日本古来の神事や祭りであり、同時に武道でもある。それは、弥生時代からあったと伝えられている。神道に基づいた相撲は、日本の津々浦々まで祭りとしての奉納相撲は盛んだった。村祭りの与会式のメーンイヴェントは相撲である。勝ち抜き戦で十人抜きは村の英雄であった。優勝者に送られる孟宗竹の梵天は、家の神棚に奉納し家宝として扱われた。
 形式は別にしても現在も小学校行事として残っている。廃校が決まっている北平田小学校では、最後の相撲大会が行われた。北小の相撲道場は昭和19年の10月に出来た。戦時下であり、道場開きは2年後の昭和21年に、当時の正横綱「羽黒山関」の土俵入りが行われた。その一行は、行司、呼び出し、露払い、太刀持ち、大勢の弟子などを従えたもので、村中は大賑わいとなった。
 相撲道場の場所は学校改築などで、四回変わっているが、相撲大会は欠かさず今年で67回目となる。村の有力者から、土俵入りの太刀持ちに真剣一振り、弓取り式にと、戦時に使った弓一張りが寄贈されている。その他化粧まわしや、呼び出し、行司衣装などは歴代のPTA活動で買い揃えたものである。
 前日からの触れ太鼓もあり、観客席は満員だった。相撲の伝統行事や伝統作法もこれで終わりとなると、淋しさもある。子どもたちの心に残る一日だったに違いない。

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