とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

希望という名の

2017年09月30日 | 日記

 「希望」は酒田市を代表するシャンソン歌手故岸洋子さんの代表作である。「希望という名の あなたをたづねて 遠い国へと また汽車にのる」 1970年、日本レコード大賞歌唱賞を受賞してこの歌は全国に響き渡った。
 岸洋子さんは、酒田市の旧八軒町に生まれ、小さい頃から歌が好きだった。当時、元宝塚歌劇団の声楽教授で酒田市名誉市民である加藤千恵先生がボーカルスタジオを開設していた。そこへ小学5年生の頃、姉さんに連れられて指導受けたのが始まりである。
 「あなたは昔の あたしの思いで・・・」と歌詞は続く。半世紀近くたっても新鮮な旋律と歌詞が口を紡いで出てくる。不思議な力がこの「希望」にはある。
 「希望の党」が出来たとマスコミは連日の報道合戦が続いてる。政権選択の総選挙直前の出来事に国民は戸惑っている。「黙ってどこかへ 立ち去ったあなた」無性に岸洋子さんの歌が聞きたくなった。

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酒田市議選まで1ヶ月

2017年09月23日 | 日記

 任期満了に伴う酒田市議会議員選挙があと1ヶ月に迫った。28人の定員に34人が名乗りをあげ、6人の定員オーバーとなる厳しい選挙戦になりそうである。
 名乗り上ている新人9人は、農業に根を下ろした人や地域に押された人。団体職員や会社経営に携わった人など、私の知ってる親御さんのご子息も多く、結果の予測はなかなか難しい市議選になりそうである。
 前回の酒田市議選は候補者不足で、定員を満たすのか、ぎりぎりまで分からなかった事が思い出される。今回は、市民の選択肢が増えた分、当事者は苦しいが、選良された意義は大きくなる。
 私も、市議3期、県議5期で連続5回の選挙を同志と共に闘いぬいてきたが、楽な選挙は一度もなかったし、もくろんだ得票通りになった事もなかった。
 ただ今回の市議選は、総選挙もからみ複雑な要素も加わった。選挙民の動向を考えれば無関係とはいかないものの、やっぱり人間力が勝負を分ける。選挙民はそれを見ている。

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衆議院の解散報道

2017年09月18日 | 日記

 「衆議院解散だね」と電話が入った。「ええっ」と驚いて聞き返した。その翌日、17日の朝日新聞朝刊は「首相、年内解散を検討 臨時国会冒頭も視野」と1面トップで伝えた。読売新聞は18日「衆院選来月22日 首相、28日解散へ」と一面トップで報道している。
 地方紙の山形新聞も18日トップで「衆議院選10月22日軸 首相、国会冒頭解散へ」と報じ、これは、いよいよ解散だなと実感した。
 山形新聞には県内代議士のコメントが載っている。その中で気になる言葉があった。「報道ペースの話」とした上でと、述べた代議士がいた。当事者が報道で知った様な言い方には、さすがに驚いた。情報の外にいるのか、たまたまなのかは分からないが、情報が命の政治家として違和感を覚えるのは私だけだろうか。

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「酒田ラーメン」が大ブレーク

2017年09月17日 | 日記

 酒田のラーメンが大ブレークしている。第2回「酒田のラーメンexpo(エキスポ)2017」が、東北公益文科大学キャンパス内の特設会場で3日間にわたり開催される。初日の16日、ラーメン好きの県内外のファンがどっと押し寄せ底力を見せつけた。
 これは、酒田市民有志と酒田市麺類食堂組合などで実行委員会を組織して活動している民間団体で、昨年の9月、第1回目を酒田海鮮市場駐車場で開催したところ、行列のできる「酒田ラーメン」となった。2時間で完売したことの反省をふまえ、今年は、ブースのウイングを広げ、広い会場で3日間にわたって実施することになったものである。
 初日の11時30分ごろ会場に行ってみた。8店舗のブースには2重3重の長い行列で、2時間待ちだと言う。当日券売り場はごった返し、つり銭がないと言う。つり銭を運ぶ人、行列を整理する人、駐車場も満車。整理する人もどうにもならない。シャトルバスも運行され酒田ラーメンの経済効果と賑わいが頼もしい。
 主催者によると、16日に会場を訪れた客は数千人、当日券だけで千数百枚だと言う。この盛況が3日間続くと、大変な仕掛けである。実行委員会の中で「博多ラーメン」「喜多方ラーメン」「酒田ラーメン」を「3かたラーメン」のネーミングで売りだせないかとの議論もあったと聞いている。たかがラーメンされどラーメンである。

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いよいよ始まる30年問題

2017年09月12日 | 日記

 半世紀続いた米の減反政策は今年で終わる。政府が示してきた4割を超える生産調整面積を、来年度からは提示をしない。よって、減反協力農家に支給されていた10a当たり7500円の支払い根拠がなくなり、廃止となる。
 米は日本の主食として食糧管理法によって国が管理してきた。米価は米価審議会で議論され政府が決め、農工間格差の是正や都市農村格差の是正に大きな役割を果たし日本の形が造られた。それに政治は大きな役割を果たしてきた。
 昭和40年代頃より米が過剰基調となり、食管赤字が増大し、自主流通米制度が導入され、米の流通の一部が政府の手から離れることになった。同時に1割一律減反も始まったが、コメ余りは改善されることなく、減反配分面積は増え続け、ついに、10年前の平成17年食管法そのものが廃止された。
 政府がコメ政策から手を引く、いわゆる「平成30年問題」で米作農家の不満が高まり、山形市民会館で「JAコメ政策見直し」要請集会が開かれ、長澤JA山形中央会会長は「生産現場には不安と動揺が広がっている。需要に応じた生産をする農家が報われるようにして欲しい」と悲痛な挨拶をした。
 市場原理主義は一年一作の農家には厳しすぎる。

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JPA北海道・東北ブロック大会in山形

2017年09月10日 | 日記

 日本難病・疾病団体協議会「JPA」の北海道・東北交流会が山形市西蔵王のヒルズザンビア山形を会場に開催された。これは北海道及び東北各県の難病団体協議会が持ちまわりで開催している交流会で、今年は山形県が当番県として実施されたものである。
 一泊2日の交流会には80人程の難病関係者参加者で、長年ALS患者の治療に携わっている加藤文夫医師の講演やJPA参与の伊達たてお先生の講演が初日にあった。人口呼吸器装着の会員も複数参加していた。加藤先生の講演は、停電を伴う震災時の人工呼吸器装着在宅患者の慢性期病院への搬送システムのネットワーク化で、山形県で初めて結んだ「KINT協定」の経緯についてだった。東日本大震災に学んだ現場からの発案である。
 私は開会式の挨拶で、救急車に家族として同乗した時の話をした。「病院まで6キロほど。救急車が近づくと大型ダンプや高級乗用車、軽自動車が道路端によって救急車に道をあける。交差点に差し掛かれば交差点に車が入らないで待つ。命を大切にしてくれる皆さんの行為に涙がこぼれた。同じ様に、たくさんの人が皆さんに寄り添っています」と述べた。
 会場の入り口で山形県腎友会の方たちが待っていた。重度心身障がい医療給付制度の自己負担上限額改正が後期高齢者医療制度に準拠して執行した山形県への不信感だった。対応を急がねばならない。

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知覧特攻隊の語り部

2017年09月08日 | 日記

 先般、「知覧特攻平和会館」に立ち寄った。知覧は第二次世界大戦末期、沖縄戦の劣勢を挽回するため、全国から若年兵士を集め人類史上類のない特攻作戦が展開された所である。
 過去に何度か訪問しているが、語り部の語りを聞いたのは初めてで、いつも、決死を覚悟して戦場に散った少年兵の遺書には涙が流れる。「国の存立が危うい」と感じて特攻任務を遂行したのか遺書で読み取るのは難しいが、再び戻る事のない戦闘機に爆弾を装着し、敵の艦船に体当たりをする命の尊さ、尊厳の重さを考えるには十分すぎる。
 昭和20年3月に書かれた遺書がある。「僕はもう、母さんの顔をみられなくなるかも知れない。お母さん、良く顔を見せて下さい。しかし、僕は何にも「カタミ」を残したくないんです。十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。それが僕の別れです。」
 特攻作戦に殉じた戦死者1036人の約半分近くの439人が知覧基地から出撃していると言う。山形県でも10人が殉死している。

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国技館目指して学童相撲大会

2017年09月02日 | 日記

 8月27日、第36回東北学童相撲大会が酒田市相撲場を会場に開催された。酒田会場は6年振りである。これは全日本小学生相撲大会東北ブロック予選会も兼ねており、全国大会出場への登竜門である。
 酒田市相撲場は観覧席が屋根付きで、相撲場には照明もついている本格的なもので山形県が当番の時は決まってここの会場が使われる。
 少年たちの相撲人気は、今一つの感もあるが、さすが東北大会ともなれば200人を超える少年力士が出場し、協会関係者や応援団を含めて会場には異様な活気がある。勝ち残った8人が国技館で開催される全国大会の出場権を得る事になる。
 開会式で、私は山形県相撲連盟を代表して「日頃の練習成果を充分発揮して欲しい。勝者は敗者を思い、敗者は勝者を認める寛容の気持ちが大切である。相撲は礼に始まり礼に終わる」と激励の挨拶をした。
 山形県からは2名の選手が全国大会へ出場が決まった。

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