とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

暑さ寒さも彼岸まで

2016年09月25日 | 日記

 「暑さ寒さも彼岸まで」あんなに熱かった夏が終わり、秋たけなわとなった。わが東北は特に季節感がはっきりしている。山里ではクマの出没が多く、平年の10倍を超えると言う。どんぐりやブナの実が壊滅らしく、人里に下りてエサをあさるしかないのだろうか。自然は都合よく調和をとってくれない。
 五穀豊穣は穀物などの農作物が豊作になる事を広く指す言葉である。五穀とはコメ、麦、栗、稗、豆を差してはいるが、自然界の豊作を広く願う言葉として使われている。豊穣とは万物全てが豊である事を意味し、生物に欠かせない根源でもある。
 穀物の代表格である稲刈りが最盛期に入った。夏場の日照時間が異常に多かったため屑米が極端にに少ない。心配された高温障害も見られず、ほっとしている所だ。
 やがて広葉樹が色づき始め、落ち葉の舞う季節がやってくる。そして、木枯らしが吹き雪の季節になる。その降り方にまた一喜一憂が始まり、やがて、春が来る。
 時代はその繰り返しの中で少しづつ変わって行っているのだ。

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コメ輸出実績が日本一「三代目 俵屋玄兵衛」

2016年09月17日 | 日記

 札幌の「株式会社WAKKA JPAN(ワッカジャパン)」を訪ねた。同会社は平成25年に設立された会社で、香港、シンガポール、台湾、ハワイへ日本産米を輸出し、日本産米輸出販売実績は日本一である。
 ブランド名「三代目 俵屋玄兵衛」として香港からスターとした事業は、年々実績を伸ばし注目されている。当たり前と思っていた日本から玄米のままで冷蔵輸出し、現地の自社精米所で搗精して、日本同様に新鮮な日本産米を宅配で提供する仕組みである。現地で頑張る日本人にふるさとの味を適正値段で届け応援したいたいとし、日本レストランで、日本のコメの本当の味を知って頂きたいとの思いだと言う。当然、日本産米だけを扱っている。
 説明してくれた伊藤取締役によると、「コメ鑑定士」の資格を持った佐藤佑一社長が農家に足を運んで、厳選したコメを扱っている。北海道産、新潟産、が多い中、庄内産のつや姫やはえぬきが扱われていたのはうれしかった。
 世界に向けた日本産米の輸出はこれからが本番となる。デリケートなお米は、品質保持を丁寧に扱わないと日本米ブランドに傷がつく。繊細な味のお米を世界に広げる努力をしている見本の様な会社に出会えた。

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全国豊かな海づくり大会~やまがた~

2016年09月13日 | 日記

 黒森歌舞伎妻道連中の口上で始まった「第36回全国豊かな海づくり大会~やまがた~」は1時間のプロローグを経て、天皇・皇后両陛下がご臨席になり、式典は始まった。先ず、大会旗が入場、山形県議会議長に手渡された。
 大会会長吉村知事が主催者あいさつをされ、功績団体表彰代表やコンクール受賞者代表の表彰は、これ以上の短縮はできないエキスの濃い表彰式だった。続いて最優秀作文の発表があった。
 造船所のお父さんを通して海と漁業を考えた、宮野浦小学校2年前田樹一君の作文には感動した。錆や貝殻が付着した船が造船所に運ばれ、お父さんたちの手で、ピカピカに手入れされる。6月のイカ釣り船団の出航式で、酒田港を船が出て行く様子をみて「全ての生き物は海とつながっています。僕とお父さんとつながっている海のことを、もっと知りたいです」と結んだ。
 稚魚の御手渡しがあり、山形海づくりメッセージがあった。市原太郎さんは、昭和天皇がお詠みになった「山形県民歌」を謡われ式典は最骨頂となった。次期開催県の福岡県知事に大会旗が引き継がれ、山形県議会議長の閉会あいさつで式典は終了した。
 両陛下がご退席の時、ステージ端にいた宮野浦小学校2年前田君の前に近寄られ、長めのお言葉があった。内容は分からないが、ほめて下さったのではと思われる。
 予約していた弁当は「食の王国やまがた」のこだわりがあった。庄内おばこサワラ、めじか、紅えび、つや姫、だだちゃ豆、さくらんぼ、刈屋梨、金華豚、口細かれい等がぎっしりだった。
 準備に1年間は費やした。「海づくり」大会実行委員会の全体会議が3度ほど開催されている。その中で「保育園や低学年の子どもたちの参加に陛下は喜ばれると思う」と提案したことが、活かされた大会だったと思う。

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天皇・皇后両陛下が庄内に

2016年09月11日 | 日記

 入念に準備を進めてきた「全国豊かな海づくり大会やまがた」の当日、天皇・皇后両陛下を迎える準備に緊張感が走っていた。午後に特別機で庄内空港に降りられる予定だ。
 その前の午前10時、海鮮市場で二日間にわたって開催される「豊かな海づくりフェスタin酒田」の開会行事で祝辞を述べた。広い会場に特産品、物販ブースが所せましと並んでいる。式典の様子を映す大型画面が設置されており、大勢の人が同時中継で参加できる仕組みだ。「酒田のラーメン」当日前売り券発売は11時からなのだが長蛇の列が出来ていたのには驚いた。
 両陛下の出迎えに庄内空港に向かった。空港につながる県道は、両陛下を歓迎しようとする人々が、列を成して空港目指して歩いていた。警備の警察官も多く物々しさが伝わってくる。空港内でお迎えするのは、国会議員、県会議員の約30名で、三列の縦列に並んだ。係から両陛下が見えられたら、声をだしたり、万歳や列を乱したりしない様に注意があった。2時きっかりに知事先導で両陛下がお出ましになった。私は前列だったので1m位の至近距離である。自然と頭が下がった。空港前広場には日の丸の小旗を持った市民で溢れている。両陛下が私たちの前を通り過ぎ、空港の外に出た途端、大きな歓声が聞こえる。動けないので良く分からないが「キャー、天皇様ー、皇后様ー、お元気でー」の様な叫び声に聞こえた。お手振りがあったのか、しばらくの時間が過ぎた。
 夜は、両陛下が宿泊する湯野浜温泉の「亀や」で歓迎レセプションがあった。本人確認や持ち物検査など厳重なセキュリティの後、1時間も待たされた。大島衆議院議長や籾井NHK会長の顏も見えた。陛下のお言葉はなかったが、知事の歓迎の言葉で会は始まった。庄内の味が奥田シェフ、太田シェフ等の手で磨かれ、立派な味のあるレセプションとなった。

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水墨画と写真の二人展

2016年09月05日 | 日記

 庄内農業共済ロビー「ふれあいホール」で開催されている水墨画と写真の二人展に行ってみた。「NOSAI庄内」には、たびたびお邪魔しているが、そんなシャレたスペースがあるとは知らなかった。猛暑が続きうんざりする中「ふれあいホール」は快適そのものだった。
 水墨画の作者は、長く酒田市農業委員会委員長を勤められた阿部順吉さんで、水墨画歴は長い。月刊農業専門誌「農村通信」にも隔月位のペースで掲載されている。今回は大作の50号が4点、10号が3点、色紙サイズが2点の11点で、なかなかの迫力である。特に「羽黒山参道」の前では立ち止まった。「いくらするの」と聞いたら「プロではないので売らない」と笑顔で答えた。
 写真は庄内農業共済前々理事長の佐藤櫃(こう)さんで、アマチュアカメラマンとして知られている。この方も「農村通信」にたびたび掲載されている。農村風景が主画題で20点の展示だった。トラクターで代掻きをすると、どこで嗅ぎ付けるのかカモメやウミネコが群がる。トラクターに乗る時、カメラを携帯してシャッターチャンスを待つ。その中で、サギの飛び立つ瞬間を撮った一枚は圧巻だった。「農村の原風景はもう10年位で無くなりそう。カメラに残したい」佐藤さんのポリシーである。
 写真展の副題は「農の風景」だった。お二人とも農業の何たるかを知り尽くし、その上で発信しているのである。

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泊原子力発電所3号機

2016年09月03日 | 日記

 北海道道南の西、日本海に突き出ている形の積丹半島付け根に泊村がある。北海道電力唯一の原子力発電所がこにある。日本最新の3号機も福島原発事故以来、運転を停止している。ここを視察する事となった。
 積丹半島は交通の便が悪く、めったに行くことはない。先ず泊村の北隣の神恵内村を視察した。人口900人、シャコタンブルーの日本海に面した風光明媚な漁村である。髙橋村長と阿部議長が揃って丁寧な説明をしてくれた。江戸時代からニシン漁で栄え、道内一の漁獲量を誇っていた。しかし、ニシンが獲れなくなり、今はナマコとウニの育てる漁業へと変わった。村長は酒田と縁があるらしい。
 泊原子力発電所は3機ある。その中で91万kwの発電能力がある3号機の内部を視察する事が出来た。セキュリティが厳しく、免許証で本人確認、飛行機搭乗手続き以上のチェックが2重にあり、カメラ、携帯電話類の持ち込みもダメ。心臓部のオペレーションルームには8人のオペレーターがいた。これは、3交代で24時間常駐しているのだそうだ。もう一組がいて、実習生として作業取得の訓練をしていると言う。10年位研修を積んで、やっと一人前のオペレーターになれる厳しさである。
 事故ゼロを目指して想定可能な安全対策は限界に達しているようにも思えた。最高難度の原子力を扱う技術者も簡単には育たない事も分かった。しかし、事故ゼロを証明する術がない事も事実だ。文明を知った人類の嵯峨といえばそれまでだが、化学の進歩は世代を超えて進化するものでもある。

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